妙一女御返事

〔C6・弘安三年七月一四日・妙一女〕/問うて云く、日本国に六宗・七宗・八宗有り。何れの宗に即身成仏を立つるや。答へて云く、伝教大師の意は唯法華経に限り、弘法大師の意は唯真言に限れり。/問うて云く、其の証拠如何。答へて云く、伝教大師の秀句に云く…

盂蘭盆御書

〔C0・弘安二年七月一三日・治部房祖母〕/御返事ぢぶどの(治部殿)のうばごぜんのかへり事、日蓮。/牙(こめ)一俵・やいごめ(焼米)・うり・なすび等、仏前にささげて申し上げ候ひ了んぬ。/盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と…

浄蔵浄眼御消息

〔C6・弘安三年七月七日・松野殿及びその女房〕/きごめ(生米)の俵一・瓜籠一・根芋、品々の物給はり候ひ畢んぬ。/楽徳と名付けける長者に身を入れて我が身も妻も子も、夜も昼も責め遣はれける者が、余りに責められ堪えがたさに、隠れて他国に行き…

上野殿御返事

〔C2・弘安三年七月二日・南条時光〕/去ぬる六月十五日のげざん(見参)悦び入りて候。さては、かうぬし(神主)等が事、いままでかかへをかせ給ひて候事ありがたくをぼへ候。ただし、ないないは法華経をあだませ給ふにては候へども、うへに…

千日尼御返事

〔C0・弘安三年七月二日・千日尼〕/こう入道殿の尼ごぜんの事、なげき入りて候。又こいしこいしと申しつたへさせ給へ。/鵞目一貫五百文・のり(海苔)・わかめ・ほしい(干飯)・しなじなの物給はり候ひ了んぬ。法華経の御宝前に申し上げて候。/法華経…

大田殿女房御返事

〔C0・弘安三年七月二日・大田殿女房〕/八月分の八木(こめ)一石給はり候ひ了んぬ。/即身成仏と申す法門は、諸大乗経並びに大日経等の経文に分明に候ぞ。爾ればとて彼の経々の人々の即身成仏と申すは、二つの増上慢に堕ちて必ず無間地獄へ入り候なり…

窪尼御前御返事

〔C4・弘安三年六月二七日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人は、こくぼん(斛飯)王の御子、いゑにたからをみてておはしき。のちに仏の御でし(弟子)となりては、天眼第一のあなりちとて、三千大千世界を御覧ありし人、法…

新田殿御書

〔C3・建治三年五月二九日・新田殿並びに女房〕/使ひの御志限り無き者か。経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せんか。恐々謹言。/五月二十九日日蓮…

諸経与法華経難易事

〔C0・弘安三年五月二六日・富木常忍〕/問うて云く、法華経の第四法師品に云く「難信難解」云云。いかなる事ぞや。答へて云く、此の経は仏説き給ひて後、二千余年にまかりなり候。月氏に一千二百余年、漢土に二百余年を経て後、日本国に渡りてすでに七百…

妙一尼御前御返事

〔C6・弘安三年五月一八日・妙一尼〕/夫れ信心と申すは別にはこれなく候。妻のをとこ(夫)をおしむが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等…

持妙尼御前御返事

〔C4・建治二年五月四日・持妙尼(高橋殿後家尼)〕/すず(種々)のもの給はりて候。たうじ(当時)はのう(農)時にて人のいとまなき時、かやうにくさぐさ(種々)のものども、をくり給びて候事、いかにとも申すばかりなく候。これもひとへに故入道殿の御…

富城入道殿御返事

〔C0・弘安四年四月一〇日・富木常忍及び尼御前〕/鵞目一結給はり候ひ了んぬ。御志は挙げて法華経に申し候ひ了んぬ。定めて十羅刹御身を守護すること疑ひ無く候はんか。さては尼御前の御事をぼつかなく候由、申し伝へさせ給ひ候へ。恐々謹言。/卯月十…

上野殿御返事

〔C6・弘安三年三月八日・南条時光〕/故上野殿御忌日の僧膳料米一たはら、たしかに給はり候ひ畢んぬ。御仏に供しまいらせて、自我偈一巻よみまいらせ候べし。/孝養と申すはまづ不孝を知りて孝をしるべし。不孝と申すは酉夢(ゆうぼう)と云ふ者、父を…

日住禅門御返事

〔C6・弘安三年三月三日・日住禅門〕/委細に示し給ひ候条是非無く候。仍って祖父妙厳聖霊の御志ねんごろ(懇)に回向いたすべく候。経文に「是人於仏道決定無有疑」。此の文をひまなく御唱へあるべく候。日月は地となり、地は天となるとも、此の経の行者…

慈覚大師事

〔C0・弘安三年一月二七日・大田乗明〕/鵞眼三貫・絹袈裟一帖給はり了んぬ。法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。/なによりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中に三寸の眼二つあ…

秋元御書

〔C6・弘安三年一月二七日・秋元殿〕/筒御器一具〈付三十〉、並びに盞(さかづき)〈付六十〉、送り給び候ひ畢んぬ。/御器と申すはうつわものと読み候。大地くぼければ水たまる、青天浄ければ月澄めり、月出でぬれば水浄し、雨降れば草木昌…

上野殿御返事

〔C2・弘安三年一月一一日・南条時光〕/十字六十枚・清酒一筒・薯蕷(やまのいも)五十本・柑子二十・串柿一連送り給び候ひ畢んぬ。法華経の御宝前にかざり進らせ候。春の始めの三日、種々の物、法華経の御宝前に捧げ候ひ畢んぬ。花は開きて果となり、月…

本門戒体抄

〔C6・弘安二年〕/大乗戒並びに小乗戒の事。/凡そ二百五十戒を受くれば大僧の名を得るなり。受戒は辺国は五人、中国は十人なり。十人とは三師七証なり。三師とは和尚と阿闍梨と教授となり。十人共に五徳を具す。二百五十戒を別解脱戒と云ひ、亦は具足戒…

上野殿御返事

〔C0・弘安二年一二月二七日・南条時光〕/白米一だ(駄)をくり給び了んぬ。/一切の事は時による事に候か。春は花、秋は月と申す事も時なり。仏も世にいでさせ給ひし事は法華経のためにて候ひしかども、四十余年はとかせ給はず。其の故を経文にとか…

窪尼御前御返事

〔C4・弘安三年一二月二七日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/十字五十まい、くしがき(串柿)一れん(連)、あめをけ(飴桶)一つ送り給び了んぬ。御心ざしさきざきかきつくして、ふで(筆)もつ(禿)び、ゆびもたたぬ。三千大千世界に七日ふる雨のかずはかす…

右衛門大夫殿御返事

〔C6・弘安二年一二月三日・池上宗仲〕/抑久しく申し承らず候の処に御文到来候ひ畢んぬ。殊にあを(青)きうら(裏)の小袖一、ぼうし(帽子)一、をび(帯)一すぢ、鵞目一貫文、くり一籠たしかにうけとりまいらせ候。/当今は末法の始めの五百年に当たりて…

中興入道御消息

〔C6・弘安二年一一月三〇日・中興入道女房〕/鵞目一貫文送り給び候ひ了んぬ。妙法蓮華経の御宝前に申し上げ候ひ了んぬ。/抑日本国と申す国は須弥山よりは南、一閻浮提の内縦広七千由旬なり。其の内に八万四千の国あり。所謂五天竺十六の大国、五百の中…

兵衛志殿女房御返事

〔C0・弘安二年一一月二五日・池上宗長女房〕/兵衛志殿女房より、絹片裏給はり候ひ了んぬ。此の御心は法華経の御宝前に申し上げて候。まこととはをぼへ候はねども、此の御房たちの申し候は、御子どもは多し。よにせけんかつかつとをはすると申し候こ…

富城殿女房尼御前御書

〔C0・弘安二年一一月二五日・富木尼御前〕/いよ(伊予)房は学生になりて候ぞ。つねに法門きかせ給ひ候へ。/はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候。たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわびしく候ひし時より、やし…

富城入道殿御返事

〔C0・弘安三年一一月二五日・富木常忍〕/尼御前の御寿命長遠の由、天に申し候ぞ。其の故御物語り候へ。不断法華経。来年三月の料の分、銭三貫文・米二斗送り給び候ひ了んぬ。/十一月二十五日日蓮(花押)/富城入道殿御返事

上野殿御返事

〔C0・弘安二年一一月六日・南条時光〕/唐土に竜門と申すたき(滝)あり。たかき事十丈、水の下ること、かんひやう(強兵)がや(矢)をいをとすよりもはやし。このたき(滝)に、ををくのふな(鮒)あつまりてのぼらむと申す。ふなと申すいを(魚)ののぼりぬれは…

持妙尼御前御返事

〔C4・建治二年一一月二日・持妙尼(高橋殿後家尼)〕/御そうぜんれう(僧膳料)送り給び候ひ了んぬ。すでに故入道殿のかくるる日にておはしけるか。とかうまぎれ候ひけるほどに、うちわすれて候ひけるなり。よもそれにはわすれ給はじ。/蘇武と申せ…

三世諸仏総勘文教相廃立

〔C6・弘安二年一〇月〕/日蓮之れを撰す/夫れ一代聖教とは総て五十年の説教なり。是れを一切経とは言ふなり。此れを分かちて二と為す。一には化他、二には自行なり。/一に化他の経とは、法華経より前の四十二年の間説き給へる諸の経教なり。此れを権教と云ひ…

四条金吾殿御返事

〔C6・弘安二年一〇月二三日・四条金吾〕/先度強敵ととりあひについて御文給はりき。委しく見まいらせ候。さてもさても敵人にねらはれさせ給ひしが、前々の用心といひ、又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に、難なく存命せさせ給ひ、目出たし目出た…

聖人等御返事

〔C4・弘安二年一〇月一七日・聖人等(日興・日秀・日弁)〕/今月十五日〈酉時〉御文、同十七日〈酉時〉到来す。彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経と唱へ奉ると云云。偏に只事に非ず。定めて平金吾の身に十羅刹入り易りて法華経の行者を試みたまふか。例…