富城殿女房尼御前御書

〔C0・弘安二年一一月二五日・富木尼御前〕/いよ(伊予)房は学生になりて候ぞ。つねに法門きかせ給ひ候へ。/はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候。たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわびしく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん(恩)をもくをもひまいらせ候。それについては、いのちはつる(鶴)かめ(亀)のごとく、さいわい(幸福)は月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経にはいのりまいらせ候へ。さてはえち(越)後房・しもつけ(下野)房と申す僧をいよ(伊予)どのにつけて候ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき(富木)殿には申させ給へ。恐々謹言/十一月二十五日日蓮(花押)/富城殿女房尼御前