一代五時継図

〔C6・不明・門下一般〕/大論に云く〈百巻。竜樹菩薩の造。如来滅後七百年出世の人なり〉「十九出家三十成道八十涅槃」。/涅槃経に云く「八十入滅」。阿含経にも亦此の説有り云云。/┌─兼説処は中天竺・寂滅道場菩提樹下/├─権大乗/│┌─別教─┐┌─六十巻旧訳仏陀跋多羅三蔵の訳/├─三七日─┤├┼─八十巻新訳実叉難陀三蔵の訳/華厳経─┤└─円教─┘└─四十巻/├─乳味/├─結経は梵網経/│┌─他受用報身如来──旧訳の説/└─教主─┼─毘盧遮那如来───新訳の説/└─所居の土は仮立実報土、亦は蓮華蔵世界とも云ふ。/〈愚法二乗教〉┌─一に小乗教──一切の小乗経を摂す。/│〈空〉/├─二に大乗始教──方等部の経を摂す。/│〈不空〉/華厳宗五教を立つ─┼─三に大乗終教──般若・涅槃経を摂す。/│〈三乗の中の絶言の理を説く〉/├─四に頓教──一切経中の頓悟成仏の旨を摂す。/│〈別教一乗〉/└─五に円教──華厳・法華を摂す。/┌─馬鳴菩薩──起信論を造る。/┌─天竺─┼─竜樹菩薩──十住毘婆沙論を造る。/│└─天親菩薩──十地論を造る。/│┌─杜順和尚──終南山の住文殊の化身云云。│├─智儼法師──至相寺の住/祖師─┼─唐土─┼─法蔵大師──京兆涼山大華寺の住〈又賢首大師と云ふ又康蔵大師と云ふ〉/│└─澄観法師──〈清涼山大華寺の住又清涼国師と云ふ〉/│┌─審祥大和尚─〈大安寺の住、新羅国の人。日本最初伝〉/│├─慈訓小僧都/└─日本─┼─明哲律師/├─良弁僧正──東大寺の本願/├─等定大僧都/└─道雄僧都──海印寺の住/┌─一向小乗波羅奈国鹿野園/├─十二年説┌─一に増一阿含──人天の因果を明かす/阿含経─┼─酪味四阿含経─┼─二に中阿含──真寂の深義を明かす/├─但三蔵教├─三に雑阿含──諸の禅定を明かす/└─結教は遺教経└─四に長阿含──諸の外道を破す┌─有部顕宗六百頌/│┌天竺の人なり/倶舎宗─┼─倶舎論〈三十巻。三乗法を明かす〉世親菩薩の造。如来滅後九百年の人なり/│└新訳/└─経部密宗十万頌天親菩薩の造。天竺には婆薮畔豆と云ふなり。/└旧訳/┌─玄奘三蔵/├─光法師/├─宝法師/┌─唐土─┼─神泰/│├─円暉/祖師─┤├─恵暉/│└─道麟/└─日本─┬─善報/└─伝灯満位の勝貴〈延暦二十五年法相宗に付す。私に云く、余抄に云く、延暦十三年官付云云〉┌─訶梨跋摩三蔵、天竺の人、此に師子鎧と云ふ。/成実宗─┼─成実論十六巻〈二十七賢聖の位を明かす二百二品〉/└─如来滅後九百年/┌─羅什三蔵/┌─唐土─┼─僧叡/祖師─┤└─智蔵、開善寺の僧/└─日本──伝灯満位の賢融〈延暦二十五年三論宗東大寺僧に付す、余抄に云く、延暦十三年云云〉/律宗──如来成道五年の後、律を説く。僧祇律之を説く。或は十二年の後須提に依りて戒律を制す。四分律之れを説く。/┌─一曇無徳部/├─二薩婆多部/五部を明かす─┼─三弥沙塞部/├─四婆麁富羅部/└─五迦葉遺部/五篇七聚を立つ┌─一には波羅夷/│└──────────┐├─二には僧残├─一には波羅夷篇│├─三には偸蘭遮/├─二には僧伽婆尸沙篇└┼─四には波逸提/├─三には波逸提篇├─五には波羅提提舎尼/├─四には波羅提提舎尼篇├─六には突吉羅/└─五には突吉羅篇└─七には悪説/┌─天竺─┬─多三蔵/│└─仏滅後三百年/祖師─┼─唐土─┬─道宣律師/│└─弟子鑑真和尚/└─日本───鑑真和尚、唐土の人なり。東大寺戒壇院立つる人なり。/┌─蔵通別円──十六年説時不定/├─対/方等部─┼─権大乗/├─生蘇味/└─結経は瓔珞経/┌─解深密経/〈又有相宗と云ふ〉┌┼─瑜伽論〈百巻弥勒説無著筆〉法相宗───────────┤└─唯識論/〈総じて一切経に依り、│┌─有初又有相教とも云ふ/別しては六経十一部に依る〉└─三時教を立つ─┼─空昔又無相教とも云ふ/└─中今又中道教とも云ふ/┌─弥勒菩薩──如来滅後九百年に出づ/├─無著菩薩/┌─天竺─┼─世親菩薩/│├─護法菩薩/│└─戒賢論師──摩訶陀国の大那爛陀寺の人/│┌─防法師/祖師─┤┌─玄奘三蔵─弟子四人─┼─尚法師/├─唐土─┼─慈恩大師├─光法師│└─智周法師└─基法師/│┌─智鳳/│├─義淵/└─日本─┼─空晴/├─真喜/├─善議/└─勤操/┌─観経一巻良耶舎の訳──宋の代/├─双観経二巻康僧鎧の訳──魏の代/浄土宗─┼─阿弥陀経一巻鳩摩羅什の訳──後秦の代/│〈一巻〉/└─浄土論────〈天親菩薩の造菩提流支三蔵の訳。天竺の人なり〉/┌─天竺───菩提流支三蔵/│┌─曇鸞法師──雑行易行を立てて一切の経論を摂するなり│├─道綽禅師──聖道浄土の二門を立てて一切の経論を摂するなり/祖師─┼─唐土─┼─善導和尚──正雑の二行を立てて一切の経論を摂するなり/│├─懐感禅師──群疑論を造りて一代の聖教を判ずるなり/│└─小康法師已上、五人唐土の人なり/│〈一巻〉/└─日本───法然上人────選択集〈捨閉閣抛入開入帰〉/禅宗─┬─如来禅──楞伽経・金剛般若経等に依る。又は教禅とも云ふ。/└─祖師禅──教外別伝・不立文字云云/┌─西天の二十八祖別紙に之れ有り/│┌─菩提達磨禅師──天竺の人なり/祖師─┤├─恵可禅師/│├─僧/└─東土六祖─┼─道信├─弘忍/└─恵能/真言宗─┬─胎蔵界──七百余尊/└─金剛界──五百余尊/大日経〈六巻三十一品〉善無畏三蔵訳〈開元四年中天竺の人なり〉/供養法の巻を加へて七巻なり、一巻五品/金剛頂経〈三巻一品〉金剛智三蔵の訳〈開元八年南天竺の人なり〉/蘇悉地経〈三巻三十四品〉善無畏三蔵の訳/菩提心論〈一巻七丁〉竜猛菩薩の造。不空の訳、或は不空の造/┌─大日如来/┌─天竺─┼─金剛薩/│├─竜猛菩薩/│└─竜智已上天竺の人なり/│┌─善無畏三蔵/│├─金剛智/├─唐土─┼─不空/祖師─┤└─恵果│┌─弘法又は空海と云ふ/│├─真雅/│├─源仁/│├─聖宝/│├─淳祐/└─日本─┼─元杲/├─仁海/├─成尊/├─義範/└─範俊/┌─一に素多纜蔵〈乳味経蔵〉阿難の結集/├─二に毘那耶蔵〈酪味律蔵〉優婆利/┌─五蔵─┼─三に阿毘達磨蔵〈生蘇味論蔵〉迦旃延/│├─四に般若波羅蜜多蔵〈熟蘇味文殊〉華厳・方等・般若・法華涅槃等を摂するなり/│└─五に陀羅尼蔵〈醍醐味金剛蔵〉大日経金剛頂経蘇悉地経を摂す弘法大師義立─┤┌─一、異生羝羊住心〈凡夫悪人〉二、愚童持斎住心〈凡夫善人〉/│├─三、嬰童無畏住心外道四、唯蘊無我住心声聞/└─十住心─┼─五、抜業因種住心縁覚六、他縁大乗住心法相宗/├─七、覚心不生住心三論宗八、如実一道住心法華宗/└─九、極無自性住心華厳宗十、秘密荘厳住心真言宗/┌─理趣般若経一巻総じて八部の般若有り/┌─┼─大品般若四十巻羅什三蔵の訳旧訳/│└─大般若経六百巻玄奘三蔵の訳新訳/般若部─┤┌─通別円/│├─帯/│├─権大乗/└─┼─十四年の説。或は三十年の説├─熟蘇味/└─結経は仁王経/┌─百論〈二巻〉提婆菩薩の造/三論宗─┼─中論〈四巻〉竜樹菩薩の造/└─十二門論〈一巻〉竜樹菩薩の造/大論を加へて四論宗とも云ふ。/┌─一に根本法輪/二蔵─┬─一に声聞蔵三転法輪─┼─二に枝末法輪/└─二に菩薩蔵└─三に摂末帰本法輪/┌─文殊/├─馬鳴/├─竜樹/┌─天竺─┼─提婆/│├─竜智/│├─清弁/│└─智光/│┌─羅什祖師─┤├─道朗/├─唐土─┼─法朗/│└─吉蔵〈亦嘉祥大師と云ふ、嘉祥寺の僧なり〉/│┌─観勒僧正──百済国の人なり/│├─恵潅───高麗国の人なり/└─日本─┼─善議/└─勤操/┌─妙法蓮華経羅什三蔵の訳/├─正法華経法護三蔵の訳/┌─┼─添品法華経闍那・笈多の訳/│└─薩吽分陀梨法華新訳/│┌─八箇年の説/│├─実大乗/法華経─┼─┼─醍醐味/│├─純円の説/│└─結経は普賢経曇無蜜多の訳宋代/│┌─法華宗─┐┌─華厳──寅時└─┼─仏立宗─┼─四教五時を立てて一代教を摂す├─阿含──卯時/├─天台宗─┤│└──────────┼─方等──辰時/└─依憑宗─┘│├─般若──巳時/┌────────────┘└─法華──午時/│┌─一に三蔵教──諸部小乗の実有の所説を摂す/└┼─二に通教──諸部の如幻即空の旨を摂す/├─三に別教──諸部の大乗並びに歴劫行の所説を摂す/└─四に円教──諸部の大乗経の速疾頓成の所説を摂す/┌─大覚世尊/┌─天竺─┴─竜樹菩薩/│┌─天台大師/祖師─┼─唐土─┼─章安大師/│└─妙楽大師└─日本───伝教大師/┌─一日一夜の説/涅槃経─┼─醍醐味/└─結経は像法決疑経/涅槃宗の祖師┌─一北地師/├─二菩提流支師/┌─一虎丘の岌法師├─三光統法師/南三─┼─二愛法師北七─┼─四護身の法師/└─三法雲法師〈光宅寺の僧なり〉├─五耆闍の法師/├─六北地の禅師/└─七北地の禅師/法華の外は小乗の事/寿量品に云く「楽於小法徳薄垢重者為是人説我少出家得阿耨多羅三藐三菩提」云云。文句の九に云く「始成を説きたまふことは、皆小法を楽へる者の為にのみ」云云。/疏記に云く「但し近成を楽ふ者を楽小の者と為すは、華厳の頓部諸味の中の円」文。/天親菩薩の法華論に云く「一往は三蔵を名づけて小乗と為し、再往は三教を名づけて小乗と為す」文。/文句の九に云く「小を楽ふ者は小乗の人に非ざるなり。乃ち是れ近説を楽ふ者を小と為すのみ」文。/疏記の九に云く「楽小法とは久近を以て相望して小と為す」文。/秀句の下に云く「仏滅度の後の六七百年の経宗論宗、九百年の中の法相の一宗は歴劫修行を説いて衆生を引摂す。是の故に未顕真実なり」云云。/伝教大師の依憑集に云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯し、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠し、沈空の三論宗は弾呵の屈恥を忘れて称心の心酔を覆ひ、著有の法相宗は僕陽の帰依を非(なみ)して青竜の判経を撥ふ」云云。/秀句の下に云く「誠に願はくは一乗の君子、仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ。仰ぎて誠文を信じて偽会を信ずること莫れ。天台所釈の法華宗の諸宗に勝る、寧ろ所伝を空しうせんや」。又云く「謹んで無量義経を案ずるに云く、次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き、菩薩の歴劫修行を宣説す」〈已上経文〉。大唐の伝に云く「方等十二部経とは法相宗の所依の経なり。摩訶般若とは三論宗の所依の経なり。華厳海空とは華厳宗の所依の経なり。倶に歴劫修行を説いて未だ大直道を知らず」文。/妙楽大師の弘決の九に云く「法華以前は猶是れ外道の弟子なり」文。/伝教大師の守護章の上に云く「妙法の外更に一句の経無し」文。/智証大師の授決集の上に云く「経に大小無く、理に偏円無からん。一切人に依らば、仏説無用ならん。若し然らずんば、文に拠りて伝ふべし。己が父は国王に勝ると執すること莫れ。又他に劣ると謂ふこと莫れ。然も家々の尊勝、国々の高貴、大小尊卑、各分斉有り。土を以て金と為さば家々に之れ有り。金を以て金と為さば有無処を異にす。久成の本、開権の妙、法華独り妙にして独り勝る。強ひて抑へて之れを喪し仏説を哽塞す。如来咎め合し、伝者を非すること莫れ」。/又云く「国々とは五味、家々とは四教八教なり」文。天台玄義の十に云く「若し余経を弘むるには、教相を明かさざれども義に於て傷むこと無し。若し法華を弘むには、教相を明かさざれば文義欠くること有り。但、聖意幽隠にして教法弥難し。前代の諸師、或は名匠に祖承し、或は思ひ袖衿より出づ。阡陌縦横なりと雖も、孰れか是なることを知ること莫し。然るに義双び立たず、理両(ふた)つながら存する無し。若し深く所以有りて復修多羅と合する者は録して之れを用ゐよ。文無く義無きは信受すべからず」。/一開会の事/寿量品に云く「諸の経方に依りて、好き薬草の色香美味、皆悉く具足せるを求めて擣和合す」文。/文句の九に云く「経方とは即ち十二部経なり。薬草は即ち教の所詮の八万の法門なり。香美味とは戒定恵なり。空観は擣くが如く、仮観はふが如く、中観は合するが如し」文。/大経に云く「衆流海に入りて同一鹹味なり。故に海味と云ふ」文。/玄の三に云く「諸水海に入れば同一鹹味なり。諸智如実智に入れば本の名字を失ふ」文。一是れ諸経の王と云ふ事/信解品に云く「並びに親族国王大臣を会むる」。文句の六に云く「国王とは一切漸頓の諸経なり」。/疏記の六に云く「諸の小王を廃して唯一の主を立つ。是の故に法華を王中の王と名づく」文。/一法華已前の説を権と云ふ事/玄義の三に云く「涅槃の聖行品に追って衆経を分別す。故に具に四種の四諦を説く。徳王品に追って衆経を泯す」文。/釈籤の三に云く「涅槃に追と言ふは退なり。却って更に前の諸味を分別するなり。泯とは合会なり。法華より已前の諸経皆泯す。此の意は則ち法華の部に順ずるなり」文。/弘の三に云く「彼の経の四教皆常住を知る。故に本意は円に在り」文。/玄義の四に云く「法華の意を得る者は涅槃に於て次第の五行を用ゐざるなり」文。/一常好坐禅と云ふ事/安楽行品に云く「亦、与に師を同じうすることを楽はざれ。常に坐禅を好む」文。普賢経に云く「専ら大乗を誦し、三昧に入らず」文。又云く「其れ大乗経典を読誦する有らば諸悪永く滅して仏恵より生ずるなり」文。/一天台宗阿弥陀の事/弘決の二に云く「諸教の讃むる所多く弥陀に在り。故に西方を以て一准と為す」文。私に云く、此の釈文殊説・文殊問の両経に依るなり。常坐三昧の下。/止観の二に云く「若し弥陀を唱ふれば即ち是れ十方の仏を唱ふる功徳と等し。但専ら弥陀を以て法門の主と為す。要を挙げて之れを言はば、歩々声々念々唯阿弥陀仏に在り」文。私に云く、此の釈般舟三昧経に依るなり。常行三昧の下、口説黙の下。/又云く「意に止観を論ぜば、西方阿弥陀仏を念ず、此を去ること十万億仏刹」文。此の釈、般舟三昧経の文に依るなり。常行三昧の下。/又云く「陀羅尼呪を誦し三宝十仏を請じ、摩訶祖持陀羅尼を思惟せよ」文。此の釈は方等陀羅尼経に依る。半行半坐三昧の下。/又云く「三宝・七仏・釈尊・弥陀、三陀羅尼、二菩薩・聖衆を礼せよ」。此の釈は諸経に依る。非行非坐三昧の下。玄義の九に云く「諸行は傍の実相を以て体と為す。体行倶に麁なり」文。又云く「諸経の方法に依る常行等の行は傍を以て体と為す。体行倶に麁なり」文。/已上四十余年の経釈/止観の二に云く「別に一巻有り、法華三昧と名づく。是れ天台大師の著す所なり。世に流伝して行者之れを宗ぶ。此れ則ち説黙を兼ぬ。復別に論ぜざるなり」文。/法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き、法華経一部を安置し、亦未だ必ず形像・舎利並びに余の経典を安ずることを須ひず。唯法華経を置け」文。/止観の二に云く「意止観とは、普賢観に云く、専ら大乗を誦して三昧に入らず、日夜六時に六根の罪を懺す。安楽行品に云く、諸法に於て行ずる所無く、亦不分別を行ぜざれ」文。/法華経に云く「乃至余経の一偈をも受けざれ」文。又云く「復舎利を安ずることを須ひざれ」文。/一天台の念仏の事/止観の六に云く「見思の惑即ち是仏法界なりと覚して法身を破せざるを念仏と名づく」文。/止観二に云く「意止観とは、普賢観に云く、専ら大乗を誦して三昧に入らず、日夜六時に六根の罪を懺す。安楽行品に云く、諸法に於て行ずる所無く、亦不分別を行ぜざれ」。秀句の下に云く「能化の竜女歴劫の行無く、所化の衆生も亦歴劫無し」文。/一法華成仏人数の事/二の巻舎利弗は華光如来、三の巻迦葉は光明如来須菩提は名相如来迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋旃檀香如来、四の巻富楼那は法明如来、陳如等の千二百は普明如来、阿難は山海恵自在通王仏、羅羅は蹈七宝華如来、五の巻提婆達多天王如来摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏、耶輸陀羅女は具足千万光相如来、娑竭羅竜王の女八歳の竜女は無照光如来正法華経の説なり〉。提婆品に云く「当時の衆会皆竜女の忽然の間に変じて男子と成りて、菩薩の行を具して即ち南方無垢世界に往きて、宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相八十種好あって、普く十方の一切衆生の為に妙法を演説するを見る」。文。/又云く「爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天・竜・八部・人と非人と、皆遥かに彼の竜女の成仏して普く時の会の人天の為に法を説くを見て、心大いに歓喜し、悉く遥かに敬礼す」文。/一四十余年の諸の経論に女人を嫌ふ事華厳経に云く「女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断ず。外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」文。/又云く「一たび女人を見れば能く眼の功徳を失ふ。縦ひ大蛇を見ると雖も女人を見るべからず」文。/銀色女経に云く「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも、法界の諸の女人は永く成仏の期無し」文。/華厳経に云く「女人を見れば眼大地に堕落す。何に況や犯すこと一度せば三悪道に堕つ」文。/十二仏名経に云く「仮使(たとい)法界に遍する大悲の諸菩薩も、彼の女人の極業の障りを降伏すること能はず」文。/大論に云く「女人を見ること一度なるすら永く輪廻の業を結す。何に況や犯すこと一度、定めて無間獄に堕す」文。/往生礼讃に云く「女人と及び根欠と二乗種とは生ぜず」文。/大論に云く「女人は悪の根本なり。一たび犯せば五百生、彼の所生の処六趣の中に輪廻す」文。/華厳経に云く「女人は大魔王なり、能く一切の人を食す。現在には纏縛と作り後生は怨敵と為る」文。一真言を用ゐざる事/伝教大師の依憑集の序に云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯す」文。/安然の教時義の第二に云く「問ふ、天台宗の遣唐の決義に云く、此の大盧遮那経は天台五時の中に於て第三時方等部の摂なり。彼の経の中に四乗を説くを以ての故に云云。此の義云何。答ふ、彼の決義に云く、伝へ聞く、疏二十巻有り、但未だ披見せず云云。此れは是れ未だ経意を知らざる誤判なり。何となれば、天台第三時の方等教は四教相対して大を以て小を斥ひ、円を以て偏を弾ず。今の大日経は応供・正遍知、衆生の楽に随ひて四乗の法及び八部の法を説きたまふ。而も是れは一切智々一味云云。若し爾らば法華と同なりと謂ふべし。何ぞ方等弾斥の教に摂するや」文。/広修・維の唐決に云く「問ふ、大毘盧遮那一部七巻には、薄伽梵、如来加持広大金剛法界宮に住して一切の持金剛者の為に之れを演説するなり。大唐の中天竺国の三蔵輸婆迦羅、唐には善無畏と言ふもの訳す。今疑ふ、如来の所説、始め華厳より終り涅槃に至るまで、五時四教の為に統摂せざる所無し。今此の毘盧遮那経を以て何の部・何の時・何の教にか之れを摂せん。又法華の前説とや為さん、当に法華の後説とや為さん。此の義云何。答ふ、謹んで経文を尋ぬるに方等部に属す。声聞・縁覚に被らしむる故に、不空羂索・大宝積・大集・大方等・金光明・維摩・楞伽・思益等の経と同味なり。四教・四仏・四土を具す。今毘盧遮那経の法界宮に於て説くことを顕はす。乃ち是れ法身の寂光土なり。勝に従ひて名を受くるなり。前後詳らかに明かすべし」云云。/一法華と諸経との勝劣の事/法華経第一─┬─〈本門第一已今当第一。薬王今汝に告ぐ、諸経の中に於て最も其の上の在り。又云く、我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり云云〉/└─〈迹門第二〉/涅槃経第二是経出世/無量義経第三〈次に方等十二部経を説く〉/華厳経第四/般若経第五/蘇悉地経第六〈第一に云く、三部中に於て此の経を王と為す。中巻に云く、猶成就せざれば或は復大般若経を転読すること七遍或は一百遍〉/大日経第七〈三国に未だ弘通せざる法門なり〉/一鎮護国家の三部の事┌─法華経─┐┌─不空三蔵大暦に法華寺に之れを置く/├─密厳経─┼┼─唐の大暦二年に護摩寺を改めて法華寺を立て中央に法華経・/└─仁王経─┘└─脇士に両部の大日なり/┌─法華経─┐┌─人王三十四代推古天王の御宇聖徳太子/├─浄名経─┼┼─四天王寺に之れを置く摂津国難波郡/└─勝鬘経─┘└─仏法最初の寺なり/┌─法華経─┐┌─人王五十代桓武天皇の御宇伝教大師/├─金光明経┼┼─比叡山延暦寺止観院に之れを置かる/└─仁王経─┘└─年分得度者二人─┬─一人は遮那業/└─一人は止観業/┌─大日経─┐┌─五十四代仁明天王の御宇/├─金剛頂経┼┼─慈覚大師、比叡山東塔の西総持院に之れを置かる└─蘇悉地経┘└─御本尊は大日如来金・蘇二疏十四巻之れを安置せらる/一悲華経の五百の大願等の事並びに示現等/第一百十三願に云く「我来世穢悪土の中に於て当に作仏することを得べし。則ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之れを度すべし」文。/第一百十四願に云く「我無始より来、積集せる諸の大善根一分も我が身に留めず、悉く衆生に施さん」文。/第一百十五願に云く「十法界の諸の衆生、無始より来(このかた)造作する所の極重五無間等の諸罪合して我一人の罪と為す。大地獄等に入りて大悲代はりて苦を受けん」文。/悲華経に云く「我が滅度の後、末法の中に於て大明神と現じて広く衆生を度せん」文。/涅槃経の二に云く「爾の時に如来、棺の中より手を出だして阿難を招き密かに言く、汝悲泣すること勿れ。我還りて復閻浮に生じて大明神と現じて広く衆生を度せん」文。/又云く「汝等悲泣すること莫れ。遂に瞻部州に到りて衆生を度せんが為の故に大明神と示現せん」文。悲華経に云く「第五百願に、我来世穢悪土の中に於て大明神と現じて当に衆生を度すべし」文。/大隅正八幡の石の銘に云く「昔霊鷲山に在りて妙法華経を説き、衆生を度せんが為の故に大菩薩と示現す」文。/行教和尚の夢の記に云く「阿弥陀三尊」。/延暦二十三年〈甲申〉春、伝教大師渡海の願を遂げんが為に、筑前宇佐の神宮寺に向かって自ら法華経を講ず。即ち託宣して云く「我此の法音を聞かずして久しく歳年を歴たり。幸ひに和尚に値遇して正教を聞くことを得て至誠随喜す。何ぞ徳を謝するに足らん。苟しくも我が所持の法衣有り。即ち託宣の主、斎殿を開きて手に紫の袈裟一つを捧げて和尚に上る。大悲力の故に幸ひに納受を垂れたまへ。是の時祢宜・祝等各之れを随喜す。元来此の如き奇事見ず聞かざるかなと。彼の施す所の法衣は山王院に在り」文。元慶元年〈丁酉〉十一月十三日、権大宮司藤原実元の女七歳にして託宣して云く「我日本国を持ちて大明神と示現す。本体は是れ釈迦如来なり」。/延喜二年四月二日二歳計りの小児に託宣して云く「我無量劫より以来度し難き衆生を教化す。未度の衆生の為に此の中に在りて大菩薩と示現す」文。一北野の天神法華経に帰して真言等を用ゐざる事/天神の託宣に云く「吾が円宗の法門に於て未だ心に飽かず。仍って遠忌追善に当たりて、須く密壇を改めて法華八講を修すべし」。所以に曼陀羅供を改めて法華八講を始む。吉祥院の八講と号す是れなり。彼の院は北野天神の御旧跡なり。/一賀茂大明神法華を信ずる事〈一条院の御時年代記に之れ有り〉/恵心僧都賀茂の社に七箇日参籠して、出離生死の道は何れの経にか付くべきと祈誠有れば、示現して云く「釈迦の説教は一乗に留まり、諸仏の成道は妙法に在り、菩薩の六度は蓮華に在り、二乗の作仏は此の経に在り」文。/伝教大師賀茂大明神に参詣して法華経を講ず。甲胄をぬいで自ら布施し給ひ畢んぬ。/文句の十に云く「得聞是経不老不死とは此れ須く観解すべし。不老は是れ楽、不死は是れ常。此の経を聞いて常楽の解を得」文。/涅槃経の十三に云く「是の諸の大乗方等経典は復無量の功徳を成就すと雖も、是の経に比せんと欲するに、喩を為すを得ざること、百倍・千倍・百千万億倍乃至算数譬喩も及ぶこと能はざる所なり。善男子、譬へば牛より乳を出だし、乳より酪を出だし、酪より生蘇を出だし、生蘇より熟蘇を出だし、熟蘇より醍醐を出だし、醍醐最上なり。若し服すること有らん者衆病皆除く、所有の諸薬悉く其の中に入るが如し。善男子、仏も亦是の如し。仏より十二部経を出生し、十二部経より修多羅を出だし、修多羅より方等経を出だし、方等経より般若波羅蜜を出だし、般若波羅蜜より大涅槃を出だすこと猶醍醐の如し。醍醐と言ふは仏性を喩ふ。仏性とは即ち是れ如来なり」文。/一金剛峰寺建立修業縁記に云く「吾入定の間、知足天に往きて、慈尊の御前に参仕すること五十六億七千余歳の後、慈尊下生の時、必ず随従して吾が旧跡を見るべし。此の峰等閑にすること勿れ」文。/一弘決に云く「若し衆生生死を出でず、仏乗を慕はずと知れば、魔是の人に於て猶親想を生ず」文。/五百問論に云く「大千界塵数の仏を殺すは其の罪尚軽し。此の経を毀謗するは罪彼れより多し。永く地獄に入りて出づる期有ること無し。読誦する者を毀呰する亦復是の如し」文。/一広宣流布すべき法華の事/伝教大師の守護章に云く「正像稍過ぎ已りて末法太だ近きに有り。法華一乗の機今正しく是れ其の時なり。何を以て知ることを得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」文。秀句の下に云く「代を語れば則ち像の終り末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり。経に云く、如来現在猶多怨嫉況滅度後と。此の言良に所以有るなり」文。/道暹和尚の輔正記に云く「法華の教興れば権教即ち廃(すた)る。日出でぬれば星隠れ、巧みなるを見て拙きを知る」文。/法華経の安楽行品に云く「一切世間怨多くして信じ難し」文。/薬王品に云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」文。/勧発品に云く「我今神通力を以ての故に是の経を守護し、如来の滅後閻浮提の内に於て広く流布せしめて断絶せざらしめん」。/文句の一に云く「但、当時大利益を獲るのみに非ず、後五百歳遠く妙道に沾はん」文。/一乗要決に云く「日本一州円機純一にして、朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賤悉く成仏を期す」。/安然の広釈に云く「彼の天竺国には外道有りて仏道を信ぜず。亦小乗有りて大乗を許さず。其の大唐国には道法有りて仏法を許さず、亦小乗有りて大乗を許さず。我が日本国には皆大乗を信じて一人として成仏を願はざること有ること無し」。瑜伽論に云く「東方に小国有り。唯大乗の機のみ有りと。豈に我が国に非ずや」文。/一不謗人法の事/安楽行品に云く「人及び経典の過を説くことを楽はざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」文。/止観の十に云く「夫れ仏説に両説あり。一には摂、二には折。安楽行に不称長短といふ如き、是れ摂の義なり。大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという、是れ折の義なり。与奪途を殊にすと雖も、倶に利益せしむ」文。/弘決の十に云く「夫れ仏法両説等とは、大経の執持刀杖等とは第三に云く、善男子正法を護持する者五戒を受けず威儀を修せず、乃至、下の文は仙予国王等の文なり」文。/文句の八に云く「大経には偏に折伏を論じ一子地に住す。何ぞ曾て摂受無からん。此の経には偏に摂受を明かせども頭七分に破る。折伏無きに非ず。各一端を挙げて時に適ふのみ」文。/顕戒論の中に云く「論じて曰く、持品の上位は四行を用ゐず、安楽の下位は必ず四行を修す。摩訶薩の言定めて上下に通ず」文。文句の八に云く「持品は八万の大士忍力成ずる者此の土に弘経す。新得記の者は他土に弘経す。安楽行の一品なり」文。/疏記の八に云く「持品は即ち是れ悪世の方軌、安楽行は即ち是れ始行の方軌、故に住忍辱地等と云ふ。安楽行品に云く、他人及び経典の過を説かざれ。他人の好悪長短を説かざれ」文。/一念仏の一切衆生の往生せざる事〈並びに難行道、次に六道輪廻の事〉/善導和尚の玄義分に云く「問うて曰く、未審(いぶかし)、定・散の二善出でて何れの文にか在る。今既に教備はりて虚しからず。何れの機か受くることを得る。答へて曰く、解するに二義有り。一には謗法と無信八難及び非人と此等は受けざるなり。斯れ乃ち朽林頑石生潤の期有るべからず。此等の衆生は必ず受化の義無し。/斯れを除きて已外は一心信楽して往生を求願すれば、上一形を尽くし、下十念を収む。仏の願力に乗じて皆往かずといふこと莫し」文。/往生礼讃に云く「女人と及び根欠と二乗種とは生ぜず」文。一八難処の事/弘決の四に云く「北州と及び三悪に長寿天と並びに世智弁聡と、仏前仏後と、諸根不具を加ふ。是れを八難と為す」文。/善導の遺言に云く「我、毎日阿弥陀経六十巻念仏六万返懈怠無く、三衣は身の皮の如く、瓶鉢は両眼の如く、諸の禁戒を持ち一戒をも犯さず。未来の弟子も亦然り。設ひ念仏すと雖も、戒を持たざる者は往生即ち得難し。譬へば小舟に大石を載せ大悪風に向かって去るが如し。設ひ本願の船有りと雖も、破戒の大石重きが故に岸に就くこと万が一なり」文。/観念法門経に云く「酒肉五辛誓ひて発願して手に捉らざれ、口に喫まざれ。若し此の語に違せば、即ち身口倶に悪瘡著かんと願せよ」文。/法然上人の起請文に云く「酒肉五辛を服して念仏を申さば予が門弟に非ず」文。/観念法門経に云く「戒を持ちて西方弥陀を思念せよ」文。/無量寿経に云く「三心を具する者は必ず彼の国に生ず」文。善導の釈に云く「若し一心も少なければ即ち生ずることを得ずと。明らかに知んぬ、一少は是れ更に不可なることを。茲に因りて極楽に生ぜんと欲するの人は全く三心を具足すべきなり」。/月蔵経に云く「我が末法の時の中の億々の衆生、行を起こし行を修すとも、未だ一人も得る者有らず。当今は末法なり。現に是れ五濁悪世なり。唯浄土の一門のみ有りて通入すべきの路なり」文。/遺教経に云く「浄戒を持つ者は販売貿易し、田宅を安置し、人民・奴婢・畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財宝皆当に遠離すること火坑を避くるが如くすべし。草木を斬伐し、墾土掘地することを得ざれ」文。/善導和尚所釈の観念法門経の酒肉五辛を禁ずる事の依経をいはば、無量寿経一に依り〈二巻〉十六観経二に依り〈一巻〉四紙の阿弥陀経三に依り〈一巻〉般舟三昧四に依り十往生経五に依り〈一巻〉浄土三昧経六に依る〈一巻〉/双観経の下に云く「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」文。一観経と法華経との説時各別の事/善導和尚の疏の四に云く「仏彼の経を説きたまひし時、処別・時別・教別・対機別・利益別なり。又彼の経を説きたまふ時は即ち観経・弥陀経等を説きたまふ時に非ず」文。/阿弥陀経に云く「況や三悪道無し」文。無三悪と説くと雖も、修羅人天之れ有り。/四十八願の第一に云く〈三悪趣無し〉「設し我仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生有らば正覚を取らじ」。/第二の願に云く〈三悪道に更らず。極楽に於て又死すべしと云ふ〉「設し我仏を得んに、十方の無量不可思議の諸の三悪道には正覚を取らじ」文。/第三十五の願に云く〈名を聞き女人を転ずとも往生せざる事〉「設し我仏を得んに、十方の無量不可思議の諸仏の世界に、其れ女人有りて我が名号を聞いて歓喜信楽して、菩提心を発して女身を厭悪せん。寿終の後、復女像と為らば正覚を取らじ」文。/一黒衣並びに平念珠地獄に堕すべき事/法鼓経に云く「黒衣の謗法なる必ず地獄に堕す」文。/勢至経に云く「平形の念珠を以ゐる者は此れは是れ外道の弟子なり、我が弟子に非ず。仏子我が遺弟必ず円形の念珠を用ゐるべし。次第を超越する者は妄語の罪に因りて必ず地獄に堕せん」文。一天台の念仏の事/┌─一大意本尊は阿弥陀/├─二釈名┌─一発大心┌─一常坐三昧──文殊説経・文殊問経に依る/├─三体相├─二修大行│本尊は阿弥陀/├─四摂法五略とは─┼─三感大果四種三昧─┼─二常行三昧──般舟三昧経に依る/止観十章とは─┼─五偏円├─四裂大網│本尊は別に有り/├─六方便└─五帰大処├─三半行半座三昧──方等経・法華経に依る/├─七正観│本尊は観音/├─八果報└─四非行非坐三昧──説経説善説悪説無記├─九起教右四種三昧の次では先段に之れを注せり/└─十指帰/止観の七に云く「若し四種三昧修習の方便は通じて上に説くが如し。唯法華懺のみ別して六時五悔に約して重ねて方便を作す。今五悔に就きて其の位相を明かす」文。/弘決の七に云く「四種三昧は通じて二十五法を用ゐて通の方便と為す。若し法華を行ぜんには別して五悔を加へて余行に通ぜず」文。/第七の正修止観とは止の五に云く「前の六重は修多羅に依りて以て妙解を開き、今は妙解に依りて以て正行を立つ」文。/十疑の第四に云く「釈迦大師一代の説法、処々の聖教に唯衆生心を専らにして、偏に阿弥陀仏を念じて西方の極楽世界に生ぜんことを求めよと勧めたまへり」文。/七疑に云く「又聞く、西国の伝に云く、三の菩薩有り。一を無著と名づけ、二を世親と名づけ、三を獅子覚と名づく」文。八疑に云く「雑集論に云く、若し安楽国土に生ぜんと願はば即ち往生を得ん等」文。/一天台御臨終の事/止観の一に云く「安禅として化し、位は五品に居す」文。/弘決の一に云く「安禅として化し、位は五品に居す等とは此れ臨終の行位を出だすなり。禅定を出でずして端坐して滅を取る。故に安禅而化と云ふ」文。/又云く「法華と観無量寿の二部の経題を唱へしむ」文。/又云く「香湯を索めて口を漱ぎ竟はりて十如・四不生・十法界・四教・三観・四悉・四諦・十二縁を説くに一々の法門に一切の法を摂す。吾今最後に観を策まし玄を談ず。最後善寂なり○跏趺して三宝の名を唱へて三昧に入るが如し。即ち其の年十一月二十四日未の時端坐して滅に入りたまふ」文。/又云く「大師生存に常に兜率に生ぜんことを願ふ。臨終に乃ち観音来迎すと云ふ。当に知るべし、物に軌り機に随ひ縁に順じて化を設く、一准なるべからざることを」文。又云く「汝善根を種うるに嬾くして他の功徳を問ふ。盲の乳を問ひ、蹶きたる者の路を訪ふが如し。実を告げて何の益かあらん」文。/選択集の上に云く「願はくは西方の行者各其の意楽に随ひ、或は法華を読誦して以て往生の業と為し、或は華厳を読誦し以て往生の業と為し、或は遮那教主及以(および)諸尊の法等を受持し読誦して往生の業と為し、或は般若・方等及以(および)涅槃経等を解説し書写して以て往生の業と為す。是れ則ち浄土宗観無量寿経の意なり」文。/又云く「問うて曰く、爾前経の中に何ぞ法華を摂するや。答へて曰く、今言ふ所の摂とは権実偏円等の義を論ずるに非ず。読誦大乗の言は普く前後の大乗の諸経に通ず」文。/観無量寿経に云く「爾の時に王舎大城に一(ひとり)の太子有す、阿闍世と名づく。調達悪友の教に随順して、父の王の頻婆沙羅を収執し幽閉して七重の室内に置く」文。/法華経の序品に云く「韋提希の子阿闍世王若干百千の眷属と倶なり」文。恵心の往生要集の上に云く「夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり。道俗貴賤誰か帰せざらん。但顕密の教法其の文一に非ず。事理の業因其の行惟れ多し。利智精進の人は未だ難しと為さず。予が如き頑魯の者豈に敢へてせんや。是の故に念仏の一門に依りて聊か経論の要文を集め、之を披き之れを修するに、覚り易く行じ易し」文。/恵心往生要集を破し二十三年已後に一乗要決を作る。一乗要決の上に云く「諸乗の権実は古来の諍ひなり。倶に経論に拠り互ひに是非を執す。余寛弘〈丙午〉の歳、冬十月病中に歎じて曰く、仏法に遇ふと雖も未だ仏意を了せず。若し終に手を空しうせば後悔何ぞ追ばん。爰に経論の文義賢哲の章疏、或は人をして尋ねしめ或は自ら思択す。全く自宗他宗の偏党を捨てて専ら権智実智の深奥を探るに、遂に一乗は真実の理、五乗は方便の説なることを得る者なり。既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨みを遺さん」文。/一念仏は末代に流布すべき事/双観経の下に云く「当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍して、特り此の経を留めて止住すること百歳ならん。其れ衆生の斯の経に値ふこと有らん者は、意の所願に随ひて皆得度すべし」文。往生礼讃に云く「万年に三宝滅して此の経住すること百年。爾の時に聞いて一念もせば皆当に往生を得べし」文。/慈恩大師の西方要決に云く「末法万年に余経悉く滅し、弥陀の一教のみ」文。/方便品に云く「深く虚妄の法に著して堅く受けて捨つべからず。是の如き人度し難し」文。/堅恵菩薩の宝性論に云く「過去謗法の障り不了義に執著す」文。/方便品に云く「若し余仏に遇はば此の法中に於て便ち決了することを得ん」文。/玄の七に云く「南岳師の云く、初依を余仏と名づく。無明未だ破せず、之れを名づけて余と為す。能く如来秘密の蔵を知りて深く円理を覚す、之れを名づけて仏と為す」文。/涅槃経疏十一に云く「人正法を得るが故に聖人と云ふ」文。/像法決疑経に云く「常施菩薩初成道より乃至涅槃、其の中間に於て如来の一句の法を説くを見ず。然るに諸の衆生は出没説法度人有りと見る」文。二十五三昧・二十五有の略頌に曰く「四州四悪趣・六欲並びに梵世・四禅四無色・無想五那含」文。/一漢土南北の十師天台大師に帰伏する事/国清百録の第四に云く「千年、五百の実、復今日に在り。南岳の叡聖天台の明哲、昔は三業を住持し今は二尊に紹継す。豈に止だ甘露を震旦に灑ぐのみならん。亦当に法鼓を天竺に振ふべし。生知妙悟、魏・晋より以来典籍風謡実に連類無し」云云。乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を請じ奉る〈天台大師俗姓陳氏、字徳安、諱は智顗、潁川の人なり。後即ち南荊州華容県に遷居す〉/一伝教大師の一期略記に云く〈桓武天皇の御宇延暦二十一年〈壬午〉正月十九日伝教大師最澄高尾寺に於て六宗と諍ひ責め破り畢んぬ。仍って勅宣を下され帰伏の状を召さる。六宗の碩学共に帰伏の状を奉りて云く〉「漢明の年に教、震旦に被り、礒島の代に訓本朝に及ぼす。聖徳の皇子は霊山の聖衆にして衡岳の後身なり。経を西隣に請ひ、道を東域に弘む。智者禅師は亦共に霊山に侍し、迹を台岳に降し、同じく法華三昧を悟り、以て諸仏の妙旨を演ぶる者なり。窃かに天台の玄疏を見れば、総じて釈迦一代の教を括りて悉く其の趣を顕はすに通ぜざる処無く、独り諸宗に逾え殊に一道を示す。其の中の所説甚深の妙理、七箇の大寺六宗の学匠、昔未だ聞かざる所、曾て未だ見ざる所なり。三論・法相の久年の諍ひ渙焉として氷のごとく釈け、昭然として既に明らかなり。猶雲霧を披きて三光を見るが猶し。聖徳の弘化してより以降今に二百余年の間、講ずる所の経論其の数惟れ多し。彼此理を争ひて其の疑ひ未だ解けず。而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず。蓋し以みれば、此の間の群生未だ円味に応ぜざるか。伏して惟れば、聖朝久しく如来の付属を受け、深く純円の機を結ぶ。一妙の義理始めて乃ち興顕し、六宗の学衆初めて至極を悟る。謂ひつべし、此の界の含霊、今より後、悉く妙円の船に載りて、早く彼岸に済ることを得んと。猶如来の成道四十余年の後、乃ち法華を説いて、悉く三乗の侶をして共に一乗の車に駕せしむるがごとし。善議等慶躍の至りに堪えず。敢へて表を奉って陳謝以て聞す」云云。/秀句の下に云く「当に知るべし、已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に。随自意の説は随他意に勝る。但し無量義を随他意と云ふは未合の一辺を指す。余部の随他意に同じからざるなり」文。/文句の八に云く「已とは大品以上の漸頓の諸説なり。今とは同一の座席、謂く無量義経なり。当とは謂く涅槃なり。大品等の漸頓は皆方便を帯すれば信を取ること易しと為す。今無量義は一より無量を生ずれども、無量未だ一に還らず、是れ亦信じ易し。今の法華は法を論ずれば、一切の差別融通して一法に帰す。人を論ずれば則ち師弟の本迹倶に皆久遠なり。二門悉く昔と反すれば、信じ難く解し難し。鋒(ほこ)に当たる難事をば、法華已に説く。涅槃は後に在れば、則ち信ずべきこと易し。秘要の蔵とは隠して説かざるを秘と為し、一切を総括するを要と為す。真如実相の包蘊せるを蔵と為す。不可分布とは法妙にして信じ難し、深智には授くべし、無智は罪を益す故に、妄りに説くべからざるなり。従昔已来未曾顕説とは、三蔵の中に於ては二乗の作仏を説かず、亦師弟の本迹を明かさず。方等般若には実相の蔵を説くと雖も、亦未だ五乗の作仏を説かず、亦未だ発迹顕本せず。頓漸の諸経は皆未だ融会せず、故に名づけて秘と為す。此の経には具に昔秘する所の法を説く。即ち是れ秘密蔵を開するに亦即ち是れ秘密蔵なり。此の如きの秘蔵は未だ曾て顕説せず。如来在世猶多怨嫉とは、四十余年には即ち説くことを得ず。今説かんと欲すと雖も、而も五千尋いで即ち座を退く。仏世すら尚爾なり。何に況や未来をや。理、化し難きに在るなり」。/楞伽経に云く「我、得道の夜より涅槃の夜に至るまで一字をも説かず」文。止観の五に云く「是の故に二夜一字を説かず」文。又云く「仏二法に因りて此の如きの説を作したまふ。自法及び本住法を縁ずるを謂ふ。自法とは彼の如来の得る所、我も亦之れを得」文。/又云く「文字を離るるとは仮名を離るるなり」文。法華に云く「但仮の名字を以て衆生を引導す」文。/玄義の五に云く「恵能く惑を破し理を顕はす。理は惑を破すこと能はず。理若し惑を破せば一切衆生悉く理性を具す、何が故ぞ破せざる。若し此の恵を得れば則ち能く惑を破す。故に智を用ゐて乗体と為す」文。/弘の五に云く「何の密語に依りて此の如き説を作したまふ。仏の言く、二の密語に依る。謂く自証法及び本住法なり。然るに一代の施化豈に権智被物の教無からんや。但此の二に約して未だ曾て説有らず。故に不説と云ふのみ」文。/籤の一に云く「三に廃迹とは後の如く前の如し。文を引く中、初めに諸仏の下は同を引く。為度より下は正しく廃迹を明かす。廃し已はれば迹無し。故に皆実と云ふ。実は只是れ本。権は只是れ迹なり。若し同異を弁ぜば広く第七の巻の如し」文。/籤の一に云く「捨は只是れ廃なり。故に知んぬ、開と廃とは名異体同なることを」文。止の六に云く「和光同塵は結縁の始め、八相成道は以て其の終りを論ず」文。/弘の六に云く「和光の下は、身を現ずるを釈するなり。四住の塵に同じ、処々に縁を結び浄土の因を作すを利物の始めと為す。衆生の機熟して八相成道す。身を見て法を聞き終に実益に至る」文。/天照太神の託宣に云く「往昔勤修して仏道を成じ、求願円満遍照尊、閻浮に在りては王位を護り、衆生を度せんが為に天照神」。