持妙尼御前御返事

〔C4・建治二年一一月二日・持妙尼(高橋殿後家尼)〕/御そうぜんれう(僧膳料)送り給び候ひ了んぬ。すでに故入道殿のかくるる日にておはしけるか。とかうまぎれ候ひけるほどに、うちわすれて候ひけるなり。よもそれにはわすれ給はじ。/蘇武と申せしつわものは、漢王の御使ひに胡国と申す国に入りて十九年、め(妻)もおとこ(夫)をはなれ、おとこもわするる事なし。あまりのこひしさに、おとこの衣を秋ごとにきぬたのうへにうちけるが、おもひやとをりてゆきにけん、おとこのみみ(耳)にきこへたり。ちんし(陳子)といいしものは、めおとこ(婦夫)はなれけるに、かがみ(鏡)をわりてひとつづつとりにけり。わするる時はとり(鳥)とびさりけり。さうし(相思)といゐしものは、おとこをこひてはか(墓)にいたりて木となりぬ。相思樹と申すはこの木なり。大唐へわたるにしが(志賀)の明神と申す神をはす。おとこのもろこし(唐)へゆきしをこひて神となれり。しま(島)のすがたおうな(女)ににたり。まつらさよひめ(松浦佐与姫)といふ是れなり。/いにしへよりいまにいたるまで、をやこ(親子)のわかれ、主従のわかれ、いづれかつらからざる。されどもおとこ(男)をんな(女)のわかれほどたと(尊)げなかりけるはなし。過去遠々よりめ(女)のみ(身)となりしが、このおとこ娑婆最後のぜんちしき(善知識)なりけり。/ちりしはな(花)をちしこのみはさきむすぶ、いかにこ人のかへらざるらむ。/こぞもうくことしもつらき月日かな、おもひはいつもはれぬものゆへ。/法華経の題目をとなへまいらせてまいらせ候。/十一月二日日蓮花押/持妙尼御前御返事