妙一女御返事

〔C6・弘安三年七月一四日・妙一女〕/問うて云く、日本国に六宗・七宗・八宗有り。何れの宗に即身成仏を立つるや。答へて云く、伝教大師の意は唯法華経に限り、弘法大師の意は唯真言に限れり。/問うて云く、其の証拠如何。答へて云く、伝教大師の秀句に云く「当に知るべし、他宗所依の経には都て即身入無し。一分即入すと雖も八地已上に推(ゆず)りて凡夫身を許さず。天台法華宗のみ具に即入の義有り」云云。又云く「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」等云云。又云く「当に知るべし、此の文に成仏する所の人を問ひて、此の経の威勢を顕はすなり」等云云。此の釈の心は、即身成仏は唯法華経に限るなり。/問うて云く、弘法大師の証拠如何。答へて云く、弘法大師の二教論に云く「菩提心論に云く、唯真言法の中に即身成仏する故は、是れ三摩地の法を説くなり。諸経の中に於て欠きて書せずと。喩して曰く、此の論は竜樹大聖の所造千部の論の中に秘蔵肝心の論なり。此の中に諸教と謂ふは、他受用身及び変化身等の所説の法、諸の顕教なり。是れ三摩地法を説くとは、自性法身の所説秘密真言の三摩地の行是れなり。金剛頂十万頌の経等と謂ふ是れなり」。問うて云く、此の両大師所立の義水火なり。何れを信ぜんや。答へて云く、此の二大師は倶に大聖なり。同年に入唐して両人同じく真言密教を伝授す。伝教大師の両界の師は順暁和尚、弘法大師の両界の師は恵果和尚なり。順暁・恵果の二人倶に不空の御弟子なり。不空三蔵は大日如来六代の御弟子なり。相伝と申し、本身といひ、世間の重んずる事日月のごとし。左右の臣にことならず。末学の膚にうけて是非しがたし。定めて悪名天下に充満し、大難を其の身に招くか。然りと雖も試みに難じて両義の是非を糾明せん。/問うて云く、弘法大師の即身成仏は真言に限ること、何れの経文、何れの論文ぞや。答へて云く、弘法大師は竜樹菩薩の菩提心論に依るなり。問うて云く、其の証拠如何。答へて云く、弘法大師の二教論に菩提心論を引きて云く「唯真言法の中にのみ、乃至、諸教の中に於て欠きて書せず」云云。問うて云く、経文有りや。答へて云く、弘法大師の即身成仏義に云く「六大無碍にして常に瑜伽なり。四種の曼荼各離れず、三密加持すれば速疾に顕はる。重々にして帝網のごとくなるを即身と名づく。法然として薩般若を具足す。心王心数刹塵に過ぎたり。各五智無際智を具す。円鏡力の故に実の覚智なり」等云云。疑って云く、此の釈は何れの経文に依るや。答へて云く、金剛頂経大日経等に依る。求めて云く、其の経文如何。答へて云く、弘法大師其の証文を出だして云く「此の三昧を修する者は現に仏菩提を証す」文。又云く「此の身を捨てずして、神境通を逮得し大空位に遊歩して、身秘密を成ず」文。又云く「我本より不生なるを覚る」文。又云く「諸法は本より不生なり」云云。/難じて云く、此等の経文は大日経金剛頂経の文なり。然りと雖も経文は或は大日如来の成正覚の文、或は真言の行者の現身に五通を得るの文、或は十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして、猶生身得忍に非ず。何に況や即身成仏をや。但し菩提心論は、一には経に非ず。論を本とせば背上向下の科、依法不依人の仏説に相違す。/東寺の真言日蓮を悪口して云く、汝は凡夫なり、弘法大師は三地の菩薩なり。汝未だ生身得忍に非ず、弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず。汝未だ勅宣を承けず、大師にあらず、日本国の師にあらず等云云〈是一〉。慈覚大師は伝教・義真の御弟子、智証大師は義真・慈覚の御弟子、安然和尚は安恵和尚の御弟子なり。此の三人の云く、法華天台宗は理秘密の即身成仏、真言宗は事理倶密の即身成仏と云云。伝教・弘法の両大師何れもをろかならねども、聖人は偏頗なきゆへに、慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖むといへども、其の義は弘法東寺の心なり。随って日本国四百余年は異義なし。汝不肖の身として、いかんが此の悪義を存ずるや〈是二〉。/答へて云く、悪口をはき、悪心ををこさば、汝にをいては此の義申すまじ。正義を聞かんと申さば申すべし。但し汝等がやうなる者は物をいはずばつま(詰)りぬとをもうべし。いうべし。悪心ををこさんよりも、悪口をなさんよりも、きらきらとして候経文を出だして、汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ。悪口悪心をもてをもうに、経文には即身成仏無きか。但し慈覚・智証・安然等の事は此れ又、覚・証の両大師、日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時、元政・法全等の義を信じて、心には教大師の義をすて、身は其の山に住すれども、いつわりてありしなり。/問うて云く、汝が此の義はいかにしてをもひいだしけるぞや。答へて云く、伝教大師の釈に云く「当に知るべし、此の文は成仏する所の人を問ひて、此の経の威勢を顕はすなり」とかかれて候は、上の提婆品の「我於海中」の経文をかきのせてあそばして候。釈の心はいかに人申すとも、即身成仏の人なくば用ゐるべからずとかかせ給へり。いかにも純円一実の経にあらずば、即身成仏はあるまじき道理あり。大日経金剛頂経等の真言経には其の人なし。又経文を見るに兼但対帯の旨分明なり。二乗成仏なし、久遠実成あとをけづる。慈覚・智証は善無畏・金剛智・不空三蔵の釈にたぼらかされてをはするか。此の人々は賢人聖人とはをもへども、遠きを貴びて近きをあなづる人なり。彼の三部経に印と真言とあるにばかされて、大事の即身成仏の道をわすれたる人々なり。然るを当時叡山の人々、法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども、慈覚大師・安然等の即身成仏の義なり。彼の人々の即身成仏は有名無実の即身成仏なり。其の義専ら伝教大師の義に相違せり。/教大師は分段の身を捨てても捨てずしても、法華経の心にては即身成仏なり。覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらず、とをもはれたるか。あえて即身成仏の義をしらざる人々なり。求めて云く、慈覚大師は伝教大師に値ひ奉りて習ひ相伝せり。汝は四百余年の年紀をへだてたり如何。答へて云く、師の口より伝ふる人必ずあやまりなく、後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてて四依の菩薩につくべきか。父母の譲り状をすてて口伝を用ゐるべきか。伝教大師の御釈無用なり。慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申す御文に、一切経になき事を十いだされて候に、第八に即身成仏化導勝とかかれて、次下に「当に知るべし、此の文に成仏する所の人を問ひて、此の経の威勢を顕はすなり、乃至、当に知るべし、他宗所依の経には都て即身入無し」等云云。此の釈を背きて、覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゐるべきか。/求めて云く、教大師の釈の中に菩提心論の唯の字を用ゐざる釈有りや、不や。答へて云く、秀句に云く「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」等云云。此の釈は菩提心論の唯の字を用ゐずと見えて候。問うて云く、菩提心論を用ゐざるは竜樹を用ゐざるか。答へて云く、但恐らくは訳者の曲会私情の心なり。疑って云く、訳者を用ゐざれば、法華経の羅什をも用ゐるべからざるか。答へて云く、羅什には現証あり、不空には現証なし。問うて云く、其の証如何。答へて云く、舌の焼けざる証なり。具には聞くべし。/求めて云く、覚・証等は此の事を知らざるか。答へて云く、此の両人は無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用ゐざるか。此れ則ち人を信じて法をすてたる人々なり。問うて云く、日本国にいまだ覚・証・然等を破したる人をきかず如何。答へて云く、弘法大師の門家は覚・証を用ゐるべしや。覚・証の門家は弘法大師を用ゐるべしや。問うて云く、両方の義相違すといへども、汝が義のごとく水火ならず。誹謗正法とはいわず如何。答へて云く、誹謗正法とは、其の相貎如何。/外道が仏教をそしり、小乗が大乗をそしり、権大乗が実大乗を下し、実大乗が権大乗に力をあわせ、詮ずるところは勝を劣という。法にそむくがゆへに謗法とは申すか。弘法大師大日経法華経華厳経に勝れたりと申す証文ありや。法華経には華厳経大日経等を下す文分明なり。所謂已今当等なり。弘法尊しと雖も釈迦・多宝・十方分身の諸仏に背く。大科免れ難し。事を権門に寄せて、日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ。汝等は人をかたうど(方人)とせり。日蓮は日月・帝釈・梵王をかたうどとせん。日月天眼を開きて御覧あるべし。/将又日月の宮殿には法華経大日経華厳経とをはすとけう(校)しあわせて御覧候へ。弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候。日蓮が義もし百千に一つも道理に叶ひて候はば、いかにたすけさせ給はぬぞ。彼の人々の御義もし邪義ならば、いかに日本国の一切衆生の無眼の報いをへ(得)候はんをば、不便とはをぼせ候はぬぞ。日蓮が二度の流罪、結句は頸に及びしは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御頸を切らんとする人ぞかし。日月は一人にてをはせども、四天下の一切衆生の眼なり、命なり。日月は仏法をなめて威光勢力を増し給ふと見えて候。仏法のあぢ(味)わいをたがうる人は日月の御力をうばう人、一切衆生の敵なり。いかに日月は光を放ちて、彼等が頂をてらし、寿命と衣食とをあたへて、やしなひ給ふぞ。彼の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは、偏に日月の御心を入れさせ給ひて謗ぜさせ給ふか。其の義なくして日蓮がひが事ならば、日天もしめし、彼等にもめしあ(召合)はせ、其の理にま(負)けてありとも、其の心ひるがへらずば天寿をもめしと(召取)れかし。其の義はなくして、ただ理不尽に彼等にさるの子を犬にあづけ、ねずみの子を猫にた(与)ぶやうに、うちあづけて、さんざんにせめさせ給ひて、彼等を罰し給はぬ事、心へられず。/日蓮は日月の御ためには、をそらくは大事の御かたきなり。教主釈尊の御前にて、かならずうた(訴)へ申すべし。其の時うらみさせ給ふなよ。日月にあらずとも、地神も海神もきかれよ、日本の守護神もきかるべし。あへて日蓮が曲意はなきなり。いそぎいそぎ御計らひあるべし。ちち(遅遅)せさせ給ひて日蓮をうらみさせ給ふなよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐々。/七月十四日日蓮花押/妙一女御返事