上野殿御返事

〔C6・弘安三年三月八日・南条時光〕/故上野殿御忌日の僧膳料米一たはら、たしかに給はり候ひ畢んぬ。御仏に供しまいらせて、自我偈一巻よみまいらせ候べし。/孝養と申すはまづ不孝を知りて孝をしるべし。不孝と申すは酉夢(ゆうぼう)と云ふ者、父を打ちしかば天雷身をさく。班婦(はんぷ)と申せし者、母をのりしかば毒蛇来たりてのみき。阿闍世王父をころせしかば白癩病の人となりにき。波瑠璃王は親をころせしかば河上に火出でて現身に無間にをちにき。他人をころしたるには、いまだかくの如くの例(ためし)なし。不孝をもて思ふに孝養の功徳のおほきなる事もしられたり。外典三千余巻は他事なし、ただ父母の孝養ばかりなり。しかれども現世をやしなひて後生をたすけず。父母の恩のおもき事は大海のごとし。現世をやしなひ後生をたすけざれば一渧(いってい)のごとし。/内典五千余巻又他事なし、ただ孝養の功徳をとけるなり。しかれども如来四十余年の説教は孝養ににたれども、その説いまだあらはれず。孝が中の不孝なるべし。目連尊者の母の餓鬼道の苦をすくひしかば、わづかに人天の苦をすくひていまだ成仏のみち(道)にはいれず。釈迦如来は御年三十の時、父浄飯王に法を説いて第四果をえせしめ給へり。母の摩耶夫人をば御年三十八の時、阿羅漢果をえせしめ給へり。此等は孝養ににたれども還りて仏に不孝のとがあり。わづかに六道をばはなれしめたれども、父母をば永不成仏の道に入れ給へり。譬へば太子を凡下の者となし、王女を匹夫にあはせたるが如し。されば仏説いて云く「我則ち慳貪に堕せん、此の事は為(さだ)めて不可なり」云云。仏は父母に甘露をおしみて麦飯を与へたる人、清酒をおしみて濁酒をのませたる不孝第一の人なり。波瑠璃王のごとく現身に無間大城におち、阿闍世王の如く即身に白癩病をもつぎぬべかりしが、四十二年と申せしに法華経を説き給ひて「是の人滅度の想ひを生じて涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て仏の智恵を求めて是の経を聞くことを得ん」と、父母の御孝養のために法華経を説き給ひしかば、宝浄世界の多宝仏も実の孝養の仏なりとほめ給ひ、十方の諸仏もあつまりて一切諸仏の中には孝養第一の仏なりと定め奉りき。/これをもって案ずるに日本国の人は皆不孝の仁ぞかし。涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多しと説き給へり。されば天の日月、八万四千の星、各いかりをなし、眼をいからかして日本国をにらめ給ふ。今の陰陽師の天変頻りなりと奏し申す是れなり。地夭日々に起こりて大海の上に小船をうかべたるが如し。今の日本国の少児は魄をうしなひ、女人は血をはく是れなり。/貴辺は日本国第一の孝養の人なり。梵天・帝釈をり下りて左右の羽となり、四方の地神は足をいただいて父母とあをぎ給ふらん。事多しといへどもとどめ候ひ畢んぬ。恐々謹言。/弘安三年三月八日日蓮花押/進上上野殿御返事