三種教相

〔C6・文永六年〕/┌┬─方便品、譬喩品等の意なり┌─華厳・法華/│└─寂滅道場を以て元始と為す┌─初後の仏恵、円頓の義斉し等なり/一に根性の融不融の相。爾前の得道を許す┴─此の妙彼の妙、妙義殊なること無し等なり/種熟脱を論ぜず/麁妙を判ず与釈┌─爾前の得道を許す/┌─相待妙───────約教前三を麁と為し後一を妙と為す/迹門─┤麁を開して妙を顕はす奪釈┌─爾前の得道を許さず/└─絶待妙───────約部前四味を麁と為し醍醐を妙と為す/┌─化城喩品/┌─┼─三千塵点/│└─大通を以て元始と為し、余教を以て種と為さず/二に化導の始終不始終の相。爾前の得道を許さざるなり┌─種は大通/迹門─┼─熟は中間・今日の四味/└─脱は法華/┌─寿量品の意なり/┌─┼─五百塵点/│└─久遠を以て元始と為す。世々番々の成道なり/三に師弟の遠近不遠近の相。大通今日の成道を破すなり/┌─種は久遠/本門─┼─熟は中間・今日の四味/└─脱は法華/┌─華厳─┐/寂滅道場を以て元始と為す├─阿含─┤/一に根性の融不融の相───────┼─方等─┼─各得道有り/種熟脱を論ぜず├─般若─┤/└─法華─┘/玄の一に云く「教相を三と為す。一に根性の融不融の相、二に化導の始終不始終の相、三に師弟の遠近不遠近の相」文。籤の一に云く「前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約す」文。/又云く「初めの根性の中に二と為す。初めには八教を明かして以て昔を弁じ、次には今経を明かして以て妙を顕はす」文。/華厳の円─┬─別は麁、円は妙/└─相待妙、麁妙を判ず/方等の円─┬─前三を麁と為し後一を妙と為す/└─相待妙、麁妙を判ず/般若の円─┬─前二を麁と為し後一を妙と為す/└─相待妙は麁妙を判ず/法華の円─┬─相待妙は麁妙を判ず/└─絶待妙は麁を開し妙と顕はす/相待妙──┬─約教─横待─前三を麁と為し後一を妙と為す/└─約部─縦待─前四味を麁と為し醍醐を妙と為す/当分は相待妙/跨節は絶待妙/籤の一に云く「又今文の諸義は、凡そ一々の科、皆先づ四教に約して以て麁妙を判ずるときは、則ち前三を麁と為し、後一を妙と為す。次に五味に約して以て麁妙を判ずるときは、則ち前四味を麁と為し醍醐を妙と為す。全く上下の文意を推求せずして、直に一語を指して便ち法華は華厳より劣れりと謂へるは幾許の誤りぞや、幾許の誤りぞや」文。/籤の二に云く「当分は一代に通じ、今に於ては便ち相待を成ず。跨節は唯今経に在り。仏意は今に適(はじ)めたるに非ざるなり」文。/玄の二に云く「此の経は唯二妙を論ず。更に非待非絶の文無し」文。/籤の二に云く「若し相待の中には展転して妙を明かせども、前の麁猶存せり。今絶待を論ずるに、前の諸麁を絶して形待すべき無し」文。/┌─心法妙──相待妙/華厳の円─┼─衆生妙──相待妙/└─仏法妙──相待妙/┌─心法妙──相待妙/方等の円─┼─衆生妙──相待妙/└─仏法妙──相待妙/┌─心法妙──相待妙/般若の円─┼─衆生妙──相待妙└─仏法妙──相待妙/┌─心法妙──相待妙──絶待妙/法華の円─┼─衆生妙──相待妙──絶待妙/└─仏法妙──相待妙──絶待妙/玄の二に云く「是の両妙を用ゐて上の三法を妙ならしむ。衆生の法に亦二妙を具足す。之れを称して妙と為す。仏法・心法に亦二妙を具足す。之れを称して妙と為す」文。/籤の二に云く「二妙々上三法とは、三の妙、法華に在りて方(はじ)めて妙と称するを得ることを明かさんと欲す。故に二妙を須ひて以て三法を妙ならしむ。故に諸味の中に円融有りと雖も、全く二妙無し」文。/華厳の円───仏恵/方等の円───仏恵/般若の円───仏恵/法華の円─┬─仏恵/└─開会/玄の二に云く「此の妙と彼の妙、妙の義殊なること無し」文。/玄の十に云く「初後の仏恵、円頓の義斉し」文。文句の五に云く「今の如きは始めの如く、始めの如きは今の如し。二無く異無し」文。/弘の五に云く「惑者は未だ見ず、とは尚華厳を指す。唯華厳円頓の名を知りて、彼の部の兼帯の説に昧し。全く法華絶待の意を失ひ、妙教独顕の能を貶挫す。迹本二文を験して、五時の説を検ふるに円極謬らず。何ぞ須く疑ひを致すべき」文。/┌─一─┬─爾前の円は/│└─法華の円に同じ/爾前の円─┐├─二─┬─爾前の円は/├┤└─別教に摂す/法華の円─┘├─三─┬─爾前の円は/│└─法華の相待妙に同じ/└─四─┬─爾前迹門の円は本門の/└─円頓に対せば別教なり/籤の三に云く「若し祗但四教の中の円を判じて、之れを名づけて妙と為せば、諸経に皆是の如き円の義有り。何ぞ妙と称せざらん。故に須く復(また)更に部に約し味に約して、方に今経の教円部円を顕はすべし。若し教に約せずんば、則ち教の妙を知らず。若し味に約せずんば、部の妙を知らず」。玄の三に云く「当に知るべし、勝鬘の所説は次第を説いて浅きより深きに至れり。歴別して未だ融せず。乃ち是れ無量の四諦の中の無作なり。是れ発心畢竟二不別の無作に非ず」文。籤の三に云く「此れは是れ別教の教道の説、初発心畢竟不別に非ず」文。/二に化導の始終不始終の相/玄の一に云く「又異をいはば余教は機に当たって物を益す。如来施化の意を説かず。此の経には仏の教を設けたまふ元始巧みに衆生の為に頓・漸・不定・顕密の種子を作し、中間に頓・漸の五味を以て調伏し長養して之れを成熟し、又頓・漸の五味を以て之れを度脱することを明かす。並びに脱し、並びに熟し、並びに種すること番々に息まず。大勢威猛三世に物を益す、具に信解品の中に説くが如し。余経と異なるなり」文。籤の一に云く「次に此経の下は正しく今経の意を明かす。且く迹中の大通を指して首(はじめ)と為す。漸及び不定に寄すと雖も、余教を以て種と為さず。故に巧為と云ふ。結縁已後大を退して初めに迷ふ、故に復更に七教の中に於て調停の種を下せるを復巧為と云ふ。所以に中間に七教を受くることを得て長養し調伏せり」文。又云く「又以より下は今世に復七教を以て調伏して、法華に至りて得度せしむことを明かす。故に度脱と云ふなり。並びに脱等とは多人に約して説く。彼れに於ては是れ種なり。此に於ては是れ熟なり。互ひに説くこと知んぬべし。是の故に並びに及び番々不息と云ふ。此れ即ち初め及以(および)中間今日等の相を結するなり。故に更に涌出を引きて迹の文を助顕す」文。又云く「次に信解を指すとは、即ち信解の中に又以他日於窓中と云へり。即ち法身地にして機を鑑みること久しきことを指す。故に此の一語に即ち三世益物の相を兼ねたり」文。止の三に云く「若し初業に常を知ることを作さずんば、三蔵の帰戒羯磨悉く成就せず。若し此の釈を作すときは、大小の両経に於て義相違無し」文。又云く「遠く根本を尋ぬれば、三乗の初業法に愚かならず。若し四念処の聞恵を取りて初めと為さば、此れ初めより真諦の常住を知る」文。弘の三に云く「初めの文は且く久遠の初業を標す故に根本と云ふ。十六王子に結縁せざること莫し。且く迹の化を指す故に遠尋と曰ふ。若取の下は近く此の生に初めて四諦滅理の真常を聞くことを指す」文。又云く「今日の声聞の禁戒を具することは、良に久遠の初業に常を聞きしに由りてなり。若し昔聞かずんば小尚(なお)具せず、況や復大をや。若し全く未だ曾て大乗の常を聞かず。既に小果無し。誰か禁戒の具不具を論ぜんや」文。又云く「羯磨不成と言ふは、所謂久遠に必ず大無くんば、則ち小乗の秉法をして成ぜざらしむ。本無きを以ての故に諸行成ぜず。樹に根無ければ華果を成ぜざるが如し。時機未だ熟せざれば権(かり)に小の名を立つ。汝等が所行は是れ菩薩の道なり。始めて記を得て方に大人と名づくるに非ず。故に知んぬ、心宝渚に趣くこと無くば化城の路一歩も成ぜず。豈に能く城に入りて安穏の想ひを生ぜんや。常住を信ぜずば声聞の禁戒皆具足せずということを。此の言徴有り。此れ都て未だ大心を発さざる者は則ち本無きことを成じ斥ふ。復(また)本無しと雖も受者の心に拠り、仏の本懐已に大化を施すに拠りて有無の意須く審らかに之れを思ふべし」文。又云く「四念の初業は小に違はず。久遠の初業は大に違はず」文。籖の十に云く「迹門は大通を以て元始と為し、本門は本因を以て元始と為し、今日は初成を以て元始と為す。大通已後本成已来、是の如き中間節々の施化なり」文。玄の十に云く「是の如き等の意、皆法身地にして寂にして常に照らす。始めて道樹にして大に逗し小に逗ずるに非ず。仏智機を照らすこと其の来たるや久し」文。籖の十に云く「法身地等と言ふは、本地の真因初住より已来、遠く今日乃至未来の大小の衆機を鑑みたまふ。故に本行菩薩道時所成寿命今猶未尽と云ふ。豈に今日迹中の草座木樹にして方て今日の大小の機を鑑みたまはんや」文。又云く「一代始成四十余年にして、豈に能く彼の世界塵数の菩薩、万億の諸大声聞をして、便ち大道を悟りて現に無生を獲せしめんや。色声の益略して称記し難し。故に知んぬ、今日の逗会は昔成熟の機に赴く。況や若しは種、若しは脱、言の尽くすべきに非ざるをや」文。玄の一に云く「夫れ理は偏円を絶すれども、円珠に寄せて理を談ず。極は遠近に非ざれども、宝所に託して極を論ず。極会し円冥して、事理倶に寂なり」文。籖の一に云く「理絶等とは、既に開顕し已れば偏円の名を絶す。華厳・方等・般若の偏円に対し明かすに形(あらは)さんと為す。往法華絶待の縁を結び、今円珠に寄せて絶理を談ず」文。又云く「法譬二周の得益の徒は、往日結縁の輩に非ざること莫し」文。/三に師弟の遠近不遠近の相/玄の一に云く「又衆経には咸く道樹にして師の実智始めて満じ、道樹を起ちて始めて権智を施すと云へり。今の経には師の権実道樹の前に在りて、久々に已に満ぜりと明かす。諸経には二乗の弟子実智に入ることを得ず、亦権智を施すこと能はずと明かす。今経には弟子実に入ること甚だ久しく、亦先より解して権を行ぜんことを明かす。又衆経には尚道樹の前の師と弟子と近々の権実を論ぜず。況や復遠々をや。今経には道樹の前の権実長遠なることを明かす。補処世界を数ふるに知らず、況や其の塵数をや。経に云く、昔未だ曾て説かざる所、今皆当に聞くことを得べし。慇懃に称歎すること良に所以有るなり。当に知るべし、此の経は諸教に異なることを」文。籖の一に云く「次に今経の下は、今経の一体の権実久々に已に満ずることを明かす。迹中の三千界の墨点尚已に久しと為す。況や今の本の中の五百億の塵界をや。故に久々と云ふ。又一節已に久し、況や節々相望するをや。故に久々と云ふ」文。