上行菩薩結要付属口伝

〔C6・建治元年〕/妙法蓮華経見宝塔品第十一に「爾の時に仏前に七宝の塔有り」云云。又云く「即時に釈迦牟尼仏、神通力を以て諸の大衆を接して皆虚空に在(を)きたまふ。大音声を以て普く四衆に告げたまはく、誰か能く此の裟婆国土に於て、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」云云。又云く「諸余の経典数恒沙の如し」云云。又云く「諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後に誰か能く斯の経を護持し読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」。又云く「此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す。諸仏も亦然なり。是の如きの人は諸仏の歎めたまふ所なり」云云。/妙法蓮華経勧持品第十三に「爾の時に薬王菩薩摩訶薩、及び大楽説菩薩摩訶薩、二万の菩薩眷属と倶に、皆仏前に於て是の誓言を作さく、唯願はくは世尊、以て慮(うらおも)ひしたまふ為(べから)ず。我等仏の滅後に於て、当に此の経典を奉持し読誦し説きたてまつるべし。後の悪世の衆生は、善根転(うたた)少なくして増上慢多く、利供養を貪り、不善根を増し、解脱を遠離せん。教化すべきこと難しと雖も、我等、当に大忍力を起こして此の経を読誦し持説し書写し、種々に供養して身命を惜しまざるべし。爾の時に、衆中の五百の阿羅漢の授記を得たる者、仏に白して言さく、世尊、我等亦自ら誓願すらく、異の国土に於て、広く此の経を説かんと。復学無学の八千人の授記を得たる者有り。座より起ちて合掌し、仏に向かひたてまつりて是の誓言を作さく、世尊、我等亦当に他の国土に於て、広く此の経を説きたてまつるべし。所以は何ん。是の娑婆国の中は、人弊悪多く、増上慢を懐き、功徳浅薄に、瞋濁諂曲にして、心不実なるが故に」云云。又云く「爾の時に世尊、八十万億那由他の諸の菩薩摩訶薩を視(みそなは)す。是の諸の菩薩は皆是れ阿惟越致なり。即時に諸の菩薩、倶に同じく声を発して偈を説いて言さく、唯願はくは、慮(うらおも)ひしたまふ為(べから)ず。仏の滅度の後、恐怖悪世の中に於て、我等当に広く説くべし。諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者有らん。我等皆当に忍ぶべし。悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん。或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、自ら真の道を行ずと謂ひて、人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣の与(ため)に法を説いて、世に恭敬せらることを為(う)ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念ひ、名を阿練若に仮りて、好みて我等の過を出ださん。濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして、悪口して顰蹙し数数擯出せられん」云云。文句の八に云く「初めに一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆なり。次に一行は道門増上慢の者を明かす。三に七行は僣聖増上慢の者を明かす。故に此の三の中初めは忍ぶべし。次は前に過ぐ。第三は最も甚だし」云云。涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来たれる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたるが、大衆の中に於て起立し合掌し、礼を作して仏に白して言さく、世尊、若し我等仏の滅後に於て、此の娑婆世界に在りて、勤加精進して、是の経典を護持し、読誦し、書写し、供養せんことを聴(ゆる)したまはば、当に此の土に於て、広く之れを説きたてまつるべし。爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまはく、止みね善男子。汝等が此の経を護持せんことを須ひじ。所以は何ん。我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一々の菩薩に各々六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等、能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん」云云〈五巻畢んぬ〉。属累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起ちて大神力を現じたまふ。右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまはく、我、無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付属す。汝等当に一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし。是の如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまはく、我、無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付属す。汝等当に受持読誦し広く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得しむべし。所以は何ん。如来は大慈悲有りて、諸の慳悋無く、亦畏るる所無く、能く衆生に仏の智恵、如来の智恵、自然の智恵を与ふ。如来は是れ一切衆生の大施主なり。汝等、亦随って如来の法を学ぶべし。慳悋を生ずること勿れ」云云。/文句の九に云く〈涌出品下〉「如来之れを止めたまふに凡そ三義有り。汝等各々に自ら己が任有り。若し此の土に住せば彼の利益を廃せん。又他方は此土結縁の事浅し。宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん。又若し之れを許さば、則ち下を召すことを得ず。下若し来たらずんば、迹を破することを得ず、遠を顕はすことを得ず。是れを三義をもって如来之れを止めたまふと為す。下方を召して来たらしむるに亦三義有り。是れ我が弟子なり、我が法を弘むべし。縁深広なるを以て、能く此の土に遍して益し、分身の土に遍して益し、他方の土に遍して益す。又開近顕遠することを得。是の故に彼れを止めて下を召すなり」云云。記に云く「問ふ、諸の仏菩薩は共に未熟を熟す。何の彼此有らん。分身散影して普く十方に遍す。而るを己任及び廃彼と言ふや。答ふ、諸の仏菩薩は実に彼此無し。但機に在無有り。無始法爾なり。故に第二の義を以て、初めの義を顕はして、結縁事浅と云ふ。初め此の仏菩薩に従ひて結縁し、還りて此の仏菩薩に於て成就す」云云。又云く「子、父の法を弘むるに世界の益有り」云云。記の八に云く「因薬王とは、本(もと)薬王に託して茲に因せて余に告ぐ。此れ流通の初めなり。先づ八万の大士に告ぐとは、大論に云く、法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付すと。下の文に下方を召すが如きは、尚本眷属を待つ。験(あきら)けし、余は未だ堪えず」云云。/問ふ、何が故ぞ他方を止めて本眷属を召すや。答ふ、私の義有るべからず。霊山の聴衆、天台の所判に任す。疏に云く「涌出に三と為す。一には他方の菩薩弘経を請す。二には如来許したまはず。三には下方の涌出なり。他方の菩薩は通経の福の大なることを聞いて咸く願を発し、此の土に住して弘宣せんと欲するが故に請ず。之れが為に如来之れを止めたまふ」等云云。結要付属の事/┌─初めに称歎付属──爾時仏告猶不能尽/結要勧持に四─┼─二に結要付属──以要言之宣示顕説/├─三に正勧付属──是故汝等起塔供養/└─四に釈勧付属──所以者何而般涅槃/疏の十に云く「爾時仏告上行より下は是れ第三の結要付属なり」云云。又云く「結要に四句有り。一切法とは、一切皆是れ仏法なり。此れは一切皆妙の名を結するなり。一切力とは、通達無碍にして八自在を具す。此れは妙の用を結するなり。一切秘蔵とは、一切処に遍して皆是れ実相なり。此れは妙の体を結するなり。一切深事とは、因果は是れ深事なり。此れは妙の宗を結するなり。皆於此経宣示顕説とは、総じて一経を結するに唯四ならくのみ。其の枢柄を撮りて之れを授与す」云云。記に云く「結要有四句とは、本迹二門に各々宗用有り。二門の体は両処殊ならず」云云。輔正記に云く「付属とは、此の経は唯下方涌出の菩薩に付す。何を以ての故に爾る。法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」云云。/┌一、正付属/┌一、如来付属┼二、釈付属/┌初めに付属に三┤└三、誡付属〈余の深法の中の下なり〉/属累品の文段に二有り┤├二、菩薩領受/│└三、事畢唱散/└次に時衆歓喜-説是語時の下三行余/┌─第一五百歳解脱堅固/├─第二五百歳禅定堅固/大集経の五箇五百歳とは─┼─第三五百歳読誦多聞堅固├─第四五百歳多造塔寺堅固/└─第五五百歳闘諍堅固/夫れ仏滅度の後二月十六日より正法なり。迦葉、仏の付属を請け、次に阿難尊者、次に商那和修、次に優婆多、次に提多迦。此の五人各々二十年にして一百年なり。其の間は但小乗経の法門のみ弘通して諸大乗経は名字もなし。何に況や法華経をや。次に弥遮迦・仏陀難陀・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の五人。五百年の間、大乗の法門少々出来すと雖も、取り立てて弘通せず。但小乗経を正と為す。已上大集経の前の五百年、解脱堅固に当たれり。/正法の後の五百年には、馬鳴・竜樹乃至師子等の十余人の人々。始めには外道の家に入り、次には小乗経を極め、後に諸大乗経を以て散々に小乗経等を破失しき。然りと雖も権大乗と法華経との勝劣未だ分明ならず。浅深を書かせ給ひしかども、本迹十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当等・百界千如・一念三千の法門をば名をも書き給はず。此れ大集経の禅定堅固に当たれり。次に像法に入りては、天竺は皆権実雑乱して地獄に堕する者数百人ありき。像法に入りて一百余年の間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論未だ事定まらず。故に仏法を信ずる心未だ深からず。まして権実を分くる事なし。摩騰・竺法蘭は自らは知りて而も大小を分かたず。権実までは思ひもよらず。其の後、魏・晋・宋・斉・梁の五代の間、漸く仏法の中に大小・権実・顕密を諍ひし程に、何れを道理とも聞こえず。南三北七の十流、我意に仏法を弘む。爾れども大いに分かつに、一切経の中に一には華厳、二には涅槃、三には法華と云云。爾れども像法の始めの四百年に当たりて、天台大師震旦に出現して、南北の邪義一々にこれを破し畢んぬ。此れ大集経の多聞堅固の時に当たれり。/像法の後の五百年には、三論・法相乃至真言等を各々三蔵将来す。像法に入りて四百余年あて、日本国へ百済国より一切経並びに釈尊の木像・僧尼等を渡す。梁の末、陳の始めに相当たる。日本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇なり。像法の後の五百年に、三論・法相等の六宗、面々の異義あり。爾れども各々邪義なり。像法八百年に相当たりて、伝教大師日本に出でて、彼の六宗の義を皆責め伏せ給へりと云云。伝教已後には東寺・園城寺等の諸寺、日本一同に云く「真言宗天台宗に勝れたり」云云。此れ大集経の多造塔寺堅固の時なり。/今末法に入りて仏滅後二千二百二十余年に当たりて聖人出世す。是れは大集経の闘諍言訟・白法隠没の時なり云云。夫れ釈尊の御出世は住劫第九の減、人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間は在世は五十年、滅後は正像二千年と末法一万年となり。其の中間に法華経流布の時二度之れ有るべし。所謂在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり。/夫れ仏法を学する法には必ず時を知るべきなり。過去の大通智勝仏は出世し給ひて十小劫が間一偈も之れを説かず。経に云く「一坐十小劫」云云。又云く「仏、時未だ至らずと知ろしめして、請ひを受けて黙然として坐したまへり」。今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説きたまはず。経に云く「説時未だ至らざるが故に」等云云。老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院にして五十六億七千万歳を待ちたまふ。仏法を修行する人々、時を知らざらんや。爾らば末法の始めは純円一実流布とは知らざれども、経文に任すに「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」云云。誠に以て分明なり。