真言七重勝劣

〔C6・建治二年〕/一法華・大日二経の七重勝劣の事。/一尸那・扶桑の人師一代を判ずる事。/一鎮護国家の三部の事。/一内裏に三宝有り、内典の三部に当たる事。/一天台宗に帰伏する人々の四句の事。/一今経の位を人に配する事。/一三塔の事。/一日本国仏神の座席の事。/法華・大日の二経の七重勝劣の事。/〈已今当第一〉┌─本門第一/┌─法華経第一─────────┤/│└─迹門第二/│〈「薬王今汝に告ぐ、諸経の中に於て最も其の上に在り」〉/├─涅槃経第二〈「是の経の世に出づる」〉/├─無量義経第三〈「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く。真実甚深真実甚深」〉/├─華厳経第四/├─般若経第五/├─蘇悉地経第六〈上に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」〉│〈中に云く「猶成就せずんば当に此の法を作すべし。決定として成就せん。所謂乞食・精勤・念誦・大恭敬・巡八聖跡・礼拝行道なり。或は復大般若経七遍、或は一百遍を転読す」〉/│〈下に云く「三時に常に大乗般若等の経を読め」〉/└─大日経第七〈三国に未だ弘通せざる法門なり〉/尸那・扶桑の人師一代の聖教を判ずる事。/華厳経第一─┐/涅槃経第二─┼─南北の義〈晋斉等五百余年。三百六十余人、光宅を以て長と為す〉。/法華経第三─┘/般若経第一───吉蔵の義〈梁代の人なり〉。/法華経第一─┐〈南岳の御弟子なり〉。/涅槃経第二─┼─天台智者大師の御義〈陳・隋二代の人なり〉。/華厳経第三─┘〈妙楽等之れを用ゐる〉。/深密経第一─┐/法華経第二─┼─玄奘の義〈唐の始め太宗の御宇の人なり〉。般若経第三─┘/華厳経第一─┐/法華経第二─┼─法蔵・澄観等の義〈唐の半ば則天皇后の御宇の人なり〉。/涅槃経第三─┘/大日経第一─┐/法華経第二─┼─善無畏・不空等の義〈唐の末玄宗の御宇の人なり〉。/諸経第三──┘/法華経第一─┐/涅槃経第二─┼─伝教の御義〈人王五十代桓武の御宇及び平城・嵯峨の御代の人。比叡山延暦寺なり〉。/諸経第三──┘/大日経第一─┐/華厳経第二─┼─弘法の義〈人王五十二代嵯峨・淳和二代の人。東寺・高野等なり〉。/法華経第三─┘/大日経第一─┐/法華経第二─┼─慈覚の義〈善無畏を以て師と為す。仁明・文徳・清和の三代、叡山講堂総持院なり〉。諸経第三──┘〈智証これに同ず。園城寺なり〉。/鎮護国家の三部の事。/法華経───┐/密厳経───┼─不空三蔵〈大暦に法華寺に之れを置く。大暦二年護摩寺を改めて法華寺を立つ。中央に法華経、脇士に両部の大日なり〉。/仁王経───┘/法華経───┐/浄名経───┼─聖徳太子〈人王三十四代推古天皇の御宇、四天王寺に之れを置く。摂津国難波郡仏法最初の寺なり〉。/勝鬘経───┘/法華経───┐/金光明経──┼─伝教大師〈人王五十代桓武天皇の御宇、比叡山延暦寺止観院に之れを置く。年分得度者-一人遮那業・一人止観業〉。/仁王経───┘/大日経───┐/金剛頂経──┼─慈覚大師〈人王五十四代仁明天皇の御宇、比叡山東塔の西総持院に之れを置かる。御本尊は大日如来金蘇の二疏十四巻安置せらる〉。蘇悉地経──┘/内裏に三の宝有り、内典の三部に当たる事。/┌─神璽国の手験なり。/├─宝剣──国敵を禦ぐ財なり〈平家の乱の時に海に入りて見えず〉。/└─内侍所─天照太神、影を浮かべ給ふ神鏡と云ふ〈左馬頭頼茂に打たれて焼失す〉。/天台宗に帰伏する人々に四句有り。/┌─三論の嘉祥大師/一に身心倶に移す───┤/└─華厳の澄観法師/┌─真言の善無畏・不空/二に心移して身移さず─┼─華厳の法蔵/└─法相の慈恩/三に身移して心移さず─┬─慈覚大師/└─智証大師/四に身心倶に移さず────弘法大師/今経の位を人に配する事。/〈鎌倉殿〉/┌─征夷将軍───────無量義経├─摂政─────────涅槃経/├─院─────────迹門十四品/└─天子─────────本門十四品/三塔の事。/┌─中堂─伝教大師御建立〈止観遮那の二業を置く。本尊は薬師如来なり。延暦年中の御建立、王城の丑寅に当たる。桓武天皇の御崇重。天子本命の道場と云ふ〉。/├─止観院─────────〈天竺には霊鷲山と云ひ、震旦には天台山と云ひ、扶桑には比叡山と云ふ。三国伝灯の仏法此に極まれり〉。/│〈本院〉/├─講堂─慈覚大師の建立〈鎮護国家の道場と云ふ。本尊は大日如来なり。承和年中の建立。止観院の西に真言の三部を置く。是れを東塔と云ふなり。伝教の御弟子、第三の座主なり〉。/│〈総持院〉/│〈西塔〉/├─釈迦堂─円澄の建立〈伝教の御弟子なり〉。/│〈宝幢院〉│〈横川〉/└─観音堂─慈覚の建立/〈楞厳院〉/日本国仏神の座の事。/問ふ、吾が朝には何れの仏を以て一の座と為し、何れの法を以て一の座と為し、何れの僧を以て一の座と為すや。答ふ、観世音菩薩を以て一の座と為し、真言の法を以て一の座と為し、東寺の僧を以て一の座と為すなり。問ふ、日本には人王三十代に仏法渡り始めて後は、山寺種々なりと雖も延暦寺を以て天子本命の道場と定め、鎮護国家の道場と定む。然して日本最初の本尊釈迦を一の座と為す。然らずんば、延暦寺の薬師を以て一の座と為すか。又代々の帝王起請を書きて山の弟子とならんと定め給ふ。故に法華経を以て法の一の座と為し、延暦寺の僧を以て一の座と為すべし。何ぞ仏を本尊とせず、菩薩を以て諸仏の一の座と為るや。答ふ、尤も然るべしと雖も、慈覚の御時、叡山は真言になる。東寺は弘法の真言を建立す。故に共に真言師なり。共に真言師なるが故に東寺を本として真言を崇む。真言を崇むる故に、観音を以て本尊とす。真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり。故に内裏に毎年正月八日、内道場の法行はる。東寺の一の長者を召して行はる。若し一の長者暇有らざれば、二の長者行ふべし。三までは及ぼすべからず云云。故に仏には観音、法には真言、僧には東寺の法師なり。比叡山をば鬼門の方とてこれを下す。譬へば武士の如しと云ひて崇めざるなり。故に日本国は亡国とならんとするなり。問ふ、神の次第如何。答ふ、天照太神を一の座と為し、八幡大菩薩を第二の座と為す。是れより已下の神は三千二百三十二社なり。