断簡等2

御衣布御返事〔C0・文永八年〕/御衣布給はり候ひ了んぬ。この御ぬのは一物の御ぬのにて候。又十二いろは、たぶやかに候。御心ざしの御事はいまにはじめぬ事に候へども、ときにあたりてこれほどの御心ざしはありぬともをぼへ候はず候。かへすがへす御ふみにはつくしがたう候。恐々謹言。/乃時日蓮(花押)/御返事

 

 

 

覚性御房御返事〔C0・建治三年五月五日・覚性房〕/せひすひとつつ・ちまき二十。かしこまりて給はり候ひ了んぬ。よろこび入るよし申させ給へ。恐々謹言。/五月五日日蓮(花押)/覚性御房

 

 

 

越後公御房御返事〔C0・弘安二年一月八日・越後公御房〕/大餅五枚・薯蕷〈一本太也〉・鵄一俵。去今年の饉・章厲・刀兵と申し、宛も小の三災の代の如し。山中に送り給ぶ事志の至りか。恐々謹言。/正月八日日蓮(花押)/越後公御房御返事

 

 

 

伯耆殿並諸人御中御書〔C1・弘安二年九月二六日・日興・外諸人〕/〈三〉刃傷し、百姓ををいいだしたる現証か、重科のがれがたければ、百姓□□□□□て/〈五〉雉のごとし。日秀日弁させる僧にはあらねども浄行一分なり。其の上、日々夜々に法華経を転読し、時々刻々に天台六十巻を(以下欠)/〈七〉とかくべし。阿弥陀経等の例時をよまずと申すは、此れ又心へられず。阿弥陀経等は星のごとし。法華経は月のごとし、日のごとし。勝れたる経をよみ候を、劣れる経の者がせいし(制止)こそ心えられ候はねとかけ/恒例のつとめと申すはなにの恒例ぞ。仏の恒例は法華経なり。仏は但楽受持等とて、真の法華経の行者、阿弥陀経等の小経をばよむべからずとこそとかせ給ひて候へとつめ、かきにかけ(二十一枚花押)/〈十九〉此の事はすでに梵天・帝釈・日月等に申し入れて候ぞ。あへてたがえさせ給ふべからず。各々天の御はからいとをぼすべし。恐々謹言。/(弘安二年)九月二十六日日蓮(花押)/伯耆殿並びに諸人御中

 

 

 

四教略名目〔C0・正嘉二年〕/三界とは一には欲界、二には色界、三には無色界。/第一の欲界に六。/一には地獄〈熱地獄一百三十六、寒地獄八〉。二には餓鬼〈閻魔宮に有り〉。三には畜生。亦傍生と云ふ〈水・陸・空に有り〉。四には修羅〈海畔・海底に有り〉。五には人〈四州に有り〉。六には天、六あり。一に四王天〈須弥の半腹にあり〉。二には利天〈須弥山の頂にあり〉。三に夜摩天〈須弥山の頂を四万踰繕那去りて虚空に住す〉。四に兜率天夜摩天より上に有り。但し内院は不退。外院は退位〉。五に楽変化天兜率天より上に有り〉。六には他化自在天楽変化天より上に住す〉。第六天の魔王の住処なり。/已上欲界散地なり。散善所生の処。/第二の色界に四禅有り。/一に初禅。三あり〈一に梵衆。二には梵輔。三には大梵天〉。/二に二禅。三あり〈一に少光。二に無量。三に極光天〉。/三に三禅。三あり〈一に小浄。二に無量浄。三に遍浄天〉。四に四禅、八あり。一に無雲。二に福生。三に広果〈已上十二天は凡夫の住処。此の広果天に二つの道有り〉。四には無熱。五に無煩。六に善現。七に善見。八に色究竟。〈已上五天は第三果の聖人の住処〉。/已上。色界十七天。〈十六・十七・十八の異説有り〉。/第三の無色界に四有り。/一に空無辺処。二には識無辺処。三には無所有所。四には非想非々想処。名目には色界・無色界をば四禅八定と呼ぶ。/已上三界。凡夫・外道は欲界第四の天の兜率の内院と色界の第四禅の内の後の五天には生ぜず。聖人の住処なる故に。/地獄の引業私に云く宝蓮香比丘尼は菩薩戒を破し淫欲を行じて無間獄に堕つ。瑠璃王は釈子を殺して無間に生ず。善星比丘は一切の法を空と説いて、生身に阿鼻地獄に入る。/餓鬼の引業偸盗引業なり。/畜生淫引業なり。/修羅五常を行ず。人五戒。/四王天引業常住を知らずして妻子を帯し而も邪淫を行はず。身を澄まし明を生ずれば四王天に生ず。/利天引業己れが妻に於て淫欲薄にして浄居所に居して不得全を味わって利天に生ず。/夜摩天欲に逢へば且く交わり去りて念はず。動くこと少なく静かなること多き夜摩天に生ず。空居天。/兜率天一切の時に静かにして来たることに違せず。劫壊の三災も及ばず。/楽変化天欲心無けれども人に随ひて欲を行ふ者の所生。/他化自在天世間の心無くとも世に同じて事を行ひ此の天に生まる。/是の如き六天は形出動と雖も心尚(なお)交はる。此れにより名づけて欲天と為す。/一に梵衆定を修して欲を行はざれば梵衆と成る。/初禅二に梵輔定を修して淫欲を行はず。律儀を愛楽して此の天に生まる。三に大梵天定を修して身心妙円にして威儀欠けず。清浄禁戒明悟なる者の生所。/已上の三天は真禅には非ず。/二禅・三禅〈略〉。第四禅の八天の後の五天は後に注すべし。/此の十七天は、独行にして交はること無けれども、未だ形を尽くさざれば色界と名づく。/無色界/空無辺処身を空して空に入るを名と為す。/識無辺処身を空し空をも又空す。識も空も微細にして識有れば識無辺所と云ふ。/無所有所空と色と亡じ識心都て滅すれば十方寂然として往所無し。此れを無所有処と云ふ。/非想非々想所存するが如くにして存ぜず。尽が若くして尽に非ず。是の如き一類を名づけて非想非々想と為す。/三界九地//┌散地┌─此れより定地/一には欲界五趣地〈地獄・餓・畜・人・六欲天〉。二には離生喜楽地〈初禅〉。三には定生喜楽地〈二禅〉。四には離喜妙楽地〈三禅〉。五に捨念清浄地〈第四禅〉。六に空無辺処地。七に識無辺処地。八に無所有処地。九に非想非々想地。已上三界九地。見惑に十。/一には身見〈亦我見と云ふ。亦有身見と云ふ〉。外道の義に云く「衆生の身内に我有り。母指或は麻子或は日輪等」云云。/二には辺見〈断常〉。三には邪見〈因果撥無〉。四には見取見〈劣謂勝見〉。五には戒禁取見。二あり〈一には非因計因。二には非道計道〉。六には貪。七には瞋。八に痴。九に慢。十に疑。此れに八十八使あり。/四諦/┌─一に苦諦──生死の果〈五陰・十二入・十八界〉/四諦─┼─二に集諦──生死の因。煩悩〈見・修〉業〈六道の因〉/├─三に滅諦──出世の果。涅槃/└─四に道諦──出世の因/┌苦は三苦の合に由る/└─────┐┌─苦苦・壊苦・行苦/欲界┌─一に苦諦〈十〉──見惑の十共に此の下に有り。/四諦─┼─二に集諦〈七〉──見惑七あり。身・辺・戒の三無し。余の七は有り。├─三に滅諦〈七〉──集の下の七の如し。/└─四に道諦〈八〉──見惑八あり。身・辺の二無し。余の八は有り。/已上欲界の見惑三十二あり。/色界┌─壊苦・行苦/┌─一に苦諦──見惑九。瞋無し。余の九は有り。/四諦─┤二に集諦見惑六。瞋無し。余の六は有り。/│三に滅諦集の如し。/└─四に道諦見惑七あり。瞋の一を除く。余の七は有り。/已上二十八。/┌─無色界┌─行苦/四諦一に苦諦〈九〉。二に集諦〈六〉。三に滅諦〈六〉。四に道諦〈七〉。/已上見惑二十八。/欲界の見惑三十二。色界二十八。無色界二十八。已上八十八使。/此の見惑をば、六道の凡夫・七賢の賢人皆具足す。此の見惑を凡夫は具する故に、至りて極悪をば造り、四悪趣には入るなり。見道の初果の聖人は、此の見惑を一時に石を破るが如く断ずる故に、欲界の人・天・色・無色界へは生ずれども、四悪趣には生ぜず。此の初果の聖人は、修惑身に全く有る故に妻子を帯すと雖も、見惑無き故に他の妻を犯せず、物の命を殺さず。此の見惑は無漏智に有らざれば断ぜず。されば仏、世に出で給はざりし時の外道は見惑をば伏すれども断ぜず。仏出世して無漏智を以て断ず。/修惑に四。又は十。又は八十一。一に貪。二に瞋。三に痴。四には慢。已上四。/┌─散地┌─四地┌─四禅/欲界に四。貪・瞋・痴・慢。色界に三。貪・痴・慢。無色界に三。貪・痴・慢已上十。/└─四禅└─四地/欲界五趣地に〈九品。上三の貪。中三の貪。下三の貪〉。/┌─離生喜楽地〈九品。上三の貪。中三の貪。下三の貪〉├─定生喜楽地〈九品。上三の貪。中三の貪。下三の貪〉/├─離喜妙楽地〈九品。上三の貪。中三の貪。下三の貪〉/└─捨念清浄地〈九品。上三の貪。中三の貪。下三の貪〉/已上色界に、四九三十六。/空無辺処地〈九品。上三の貪。中三の貪。下三の貪〉/識無辺処地九品の貪/無所有処地九品の貪/非想非々想九品の貪/已上貪に八十一。痴・慢にも八十一なり。/此の貪・瞋・痴・慢は、見惑の貪・瞋・痴・慢の外の惑なり。差別習ふべし。/此の見・修の二惑は、小乗十二年の間のおきてなり。一切の大乗の初門に此の法門必ず談ずべし。/有漏智〈亦六行智と云ふ〉。下地は麁・苦・障。上地は浄・妙・離。外道此の智を以て下地を厭ひ上地を願ふ時、見惑を伏し修惑を断じて、非想非々想に至る。而るに有漏地の習、上地に心を繋ぎて下地を厭ふ間、下八地の修惑をば断ずれども、非想地の上に地無き故に、非想地の修惑を断じえざる故に、非想地の見・修を伏断せざる故に、還りて四悪趣へ堕するなり。されば外道をば尺虫に譬へたるなり。/外道に二類有り。色・無色界へ生ずる外道は善外道なり。鶏狗等の戒を持つ外道、或は裸形等は但欲界の人天に猶(なを)生じ難し等云云。/無漏智とは四。苦・空・無常・無我。又十六。/苦諦〈四。苦・空・無常・無我〉。集諦〈因・集・生・縁〉。滅諦〈滅・静・妙・離〉。道諦〈道・如・行・出〉。此れをば十六諦観と云ふ。苦・空等の四観は別・総の二位にあり。十六諦観は・頂の二位にあり。減縁減行は忍位にあり。又十六行相あり。/欲界┌─苦法智忍色・無色┌─苦類智忍/苦諦──┴─苦法智苦諦───┴─苦類智/欲界┌─集法智忍色・無色┌─集類智忍/集諦──┴─集法智集諦───┴─集類智欲界┌─滅法智忍色・無色┌─滅類智忍/滅諦──┴─滅法智滅諦───┴─滅類智/┌─道法智忍┌─道類智忍/道諦──┴─道法智道諦───┴─道類智/小乗の三学/戒・定・恵/戒五戒・八戒十戒・十善戒・二百五十・五百戒。/定味禅〈定〉・静禅〈定〉・無漏禅。/恵苦・空等云云。/七賢/一には五停心。二には別想念処。三には総想念処。四には法。五には頂法。六には忍法。七には世第一法。/┌─一に五停心/三賢とは─┼─二に別想念処/└─三に総想念処┌─一に/├─二に頂/四善根とは─┼─三に忍/└─四に世第一/┌─一に数息──散乱を治す/├─二に不浄貪を治す/五停心├─三に慈悲疾妬を治す/├─四に因縁愚痴を治す/└─五に界方便障道を治す/┌─一に身──不浄と観じて外道の浄(きよ)顛倒を治す。/├─二に受──苦と観じて外道の楽顛倒を治す。/別想念処四├─三に心──無常と観じて外道の常顛倒を治す。/└─四に法──無我と観じて外道の我顛倒を治す。/総想念処四諦を総じて苦総じて空総じて無常総じて無我と観ず/┌─苦諦──苦・空・無常・無我〈退位〉├─集諦──因・集・生・縁/法├─滅諦──滅・静・妙・離/└─道諦──道・如・行・出/智恵の火煩悩の薪を焼くなり。/〈退位〉/頂法────十六行相。法の如し。/┌〈不退〉┌─下忍十六行相を修す。/忍位├─中忍──減縁減行/└─上忍──一行一刹那/世第一───一行一刹那/七賢をば皆世間と云ふ。世間の中に此の位第一なる故に世第一と云ふ。/又七聖をば出世と云ふ。此の位出世の中に第一なる故に世第一と云ふ。/釈に云く「能く聖道を開するを初門と為す故に」文。/┌苦類智忍┌苦法智忍/┌一に苦諦二九十八の見惑┌一苦諦十の見│└苦類智│└苦法智/│┌集類智忍│┌集法智忍/├二に集諦二六十二の見惑├二に集諦七の見/│└集類智│└集法智/色・無色の四│┌滅類智忍欲の四│┌滅法智忍/├三に滅諦二六十二の見惑├三に滅諦七の見/│└滅類智│└滅法智/│┌道類智忍│┌道法智忍/└四に道諦二七十四の見惑└四に道諦八の見/└道類智└道法智欲の苦忍より此の道類/┌道類智忍/色・無色の道諦智忍まで十五心に八十八の見惑は断じ了んぬ。見惑断じ尽くすを見道の位と云ふ。/└道類智頌に云く「前の十五は見道なり。曾て見ざるを見る故に」文。/├初果八十八使の見惑を断じ尽くし無漏の理を一分明かす。此の見道の位は八忍・七智なり。/└預流果/欲界散地の一地の九品の修惑/┌─両生┌─一生/上の上品中の上/┌─一生半生┌─下が上品/上上の中品中中の中─┐下─┼─下が中品/┌─一生半生├─一生└─下が下品上の下品中の下─┘└─一生/已上九品に七生なり。/上の三より中が中に至るまでは第二向。中が下までは六品断。第二果〈亦は一来果と云ふ。亦斯陀含果と云ふ〉。下三品を断じ了れば九品を断じ了り、欲界の七生を尽くす。七品・八品断をば第三向と云ふ、又不還向と云ふ。第三果は欲界の九品の修惑を断じ尽くしたる聖人。いまは永く欲界へ還らざる人なり。色界の五浄居天の聖人とは是の人なり。見惑をば断じぬれば、永く四悪趣に生ぜず。修惑の九品をば断じ尽くしぬれば、又欲界の人天へも生ぜざるなり。/色界三十六の修惑。無色界三十六の修惑。已上七十二品の修惑を七十一品断は、第四果の向。阿羅漢向と云ふ。七十二品を断じ尽くすをば阿羅漢果と云ふ。此の阿羅漢をば此には不生と云ふ。永く見・修を断じ尽くして三界に生ぜざる故に。亦云く殺賊と云ふ。見・修の賊を殺せる人なる故に。但し阿羅漢に侵習気と云ふ事あり。見・修をば断じ尽くすとも、猶瞋恚の気分あり等云云。此の習気は生を引かざるなり。┌─見道に二人─┬─随信行鈍人/│└─随法行利人/│┌─鈍┌─利/七聖とは─┼─修道に三人─┬─信解見得/│└─身証〈利鈍に亘る〉/└─無学道に二人─┬─恵解脱/└─倶解脱/已上声聞の位。七賢・七聖なり。/次に縁覚。/┌─鈍根利根/二人あり。一には部行独覚。二には麟喩独覚。/徒党あり但一人/部行は声聞の如く七賢を経て見道の位に上りて見惑を断じ了り、修惑を未だ一分も断ぜず。七生を経る程に、仏の出世無けれども無仏の世に出でて、飛花落葉を観じて修惑を断じ尽くし、独覚の菩提を証す。/麟喩独覚は前生に仏の出世に値ひて七賢の位に在りし人。今生は仏教をも聞かず位を経ずとも、自然に無漏智を発して見・修を断じ、独覚の菩提を証す。此の縁覚は見・修を断ずるのみならず、又習気をも断じて永く起こさず。已上三蔵教の縁覚。/次に菩薩。/此の菩薩は、六道に生じて衆生を導くが為に、染汚〈見・修〉無知をば断ぜず、不染無知を断ず〈味熱熟徳等〉。但凡夫の慈悲あるが如し。/┌─一に初僧祇四弘誓願を発し六度万行を修して七万五千の仏を供養す。/│五障を離れ自の作仏を知らず。/三僧祇─┼─第二僧祇四弘・六度・七万六千仏。/│自の作仏を知りて他に向かって説かず。/└─第三僧祇四弘・六度・七万七千仏。/自の作仏を知りて人に向かって説く。/已上三僧祇の間は一向化他の位、見・修を断ぜず。三悪道に救ふべき衆生あれば、同じく苦を受けて救はんが為に願を発し、悪業を造りて彼しこに生ず。具に忍苦捍労の苦に有り。声聞の位に当たりては初僧祇は三賢。第二僧祇は法。第三僧祇は頂法に当たれり。/次に菩薩の自行百劫。菩薩は仏に成らんが為に、百劫が間三十二相の為に三十二の業因を植ゑ、師長・父母等を敬ふなり。/次に八相。仏に成らんが為に兜率天に生ず、生天。天より下る、下天。女人の胎に宿す、詫胎。胎を出づ、出胎。/出家す──外道を師として六行智を以て、下八地の見を伏し修を断ず。/降魔菩提樹下に坐して第六天の魔王を降伏す。初め化他の初僧祇より今の自行の降魔に至りては、いまだ凡夫菩薩なり。/次に成道。有漏智の断じ残せる非想地の見・修を見惑をば、八忍・八智の無漏智を以て断じ、非想地の修惑をば、無漏智の九無碍・九解脱を以て断ず。已上八忍・八智・九無碍・九解脱は三十四心なり。既に見・修断の仏と成る。習気も亦断ず。/次に転法輪四諦生滅の法を説く。/次に入涅槃─┬─八十入滅└─老比丘像三蔵の仏草座に坐す。/声聞の位に当りては/三賢──初僧祇/法第二僧祇/七賢頂法第三僧祇/┌─下──百劫/忍法┼─中──生天・下天・詫胎・出胎・出家・降魔/└─上/世第一/已上。上忍・世第一は成道・転法輪・入涅槃なり。/三蔵教の声聞・縁覚・菩薩の時節。/声聞三生〈鈍〉六十劫〈利〉。縁覚四生〈鈍〉百劫〈利〉。菩薩は三無数劫。/声聞の三生は第一の生は三賢。第二の生は三賢・四善根。第三の生は三賢・四善根・見道なり。/又声聞に一生に見道に入ると云ふ事も有り。/四弘誓願とは。/一には衆生無辺誓願度──苦諦を見て願を発すなり。二煩悩無辺誓願断──集諦を見て願を発すなり。/三法門無尽誓願学──道諦を見て願を発すなり。/四無上菩提誓願証──滅諦を見て願を発すなり。/三蔵教は依報は六界。正報は十界。而れども声聞界に縁覚・仏は帰する故なり。此の教の意は凡夫に本より仏性ありと云はず。始めて四諦を習へば声聞の性を成し、十二因縁を習へば縁覚道を成し、四弘・六度を学すれば菩薩と云ひて、始めて仏種姓を成ずるなり。/已上三蔵教。/通教の十地/┌─一には乾恵地──三賢。/├─二には性地───四善根。/├─三には八人地──初向。八忍・七智。/├─四には見地───初果。八十八使の見惑断。/十地├─五には薄地───欲界九品の修惑の前の六品断。/├─六離欲地──欲界の九品を断じ了る。不還果。/├─七已弁地──色・無色界の修惑を断じ尽くして阿羅漢と成る。├─八辟支仏地─因縁。見・修・習気を尽くす。/├─九菩薩地──八相の前の五相。/└─十仏地───成道・転法輪・入涅槃。/┌─一乾恵地──声聞・縁覚・菩薩三人共にあり。三賢。/├─二性地──四善根。三人共。/├─三八人地──三人。/├─四見地──三人。/十地├─五薄地───三人。/├─六離欲地──三人。/├─七已弁地──三人。/├─八辟支仏地─二人。縁覚・菩薩。/├─九菩薩地──但菩薩一人。/└─十仏地───比丘の像を帯し尊特の身の仏を現ず。/小乗三蔵教をば析空の教と云ふ。通教をば大乗体空の教と云ふ。通教の仏は七宝の蓮華に坐す。此の教は動踰塵劫を経て仏に成ることを得。/別教の五十二位┌─一十信─〈三蔵の七賢。通教の乾恵・性地の二位に当たれり〉。/├─二には十住─〈三蔵の七聖。見・修断。通教の八人地より仏地までの八地に当たれり〉。/├─三には十行/五十二位├─四十回向/├─五十地/├─六等覚/└─七妙覚/十信。一に信心。二に念心。三に精進。四に恵心。五に定心。六に不退心。七に戒心。八に捨心。九回向心。十に願心。已上伏位。見・思未断。/十住。一に発心住〈見を断ず〉。二に持地住等と云ふ。二住より七住に至りて修惑を断ず。後の三住は上品の塵沙を断ず。/十行。一に歓喜行等と云ふ。中品の塵沙を断ず。/十回向。一に救護衆生回向等。下品の塵沙を断ず。又中道を修す。/十地。一に歓喜地〈一品の無明を断ず〉。乃至、法雲地〈十品の無明を断ず〉。等覚〈一品の無明を断ず〉。妙覚〈一品の無明を断ず〉。已上。別教は声聞・縁覚無し。但菩薩一人の教。十信は凡夫菩薩。退位。十住よりは不退の位。十住・十行・十回向の位は見・思・塵沙断なり。十地・等覚は無明断の菩薩。妙覚は十二品の無明を断じ了れる仏なり。此の教は戒・定・恵。戒は五戒・八戒十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・三聚浄戒。此れ尽未来際の菩薩戒なり。梵網経・瓔珞経の戒是れなり。定は観・練・薫・修の四種の禅。地持論の九種の浄禅等なり。恵は十住に入空。十行に出仮。十回向に修中。十地に但中。次第の空・仮・中の三諦なり。此の教は煩悩より外に菩提を求め、生死より外に涅槃を尋ぬ。空・仮・中の三諦相即せざるなり。此の教は一行を以て仏に成るとは云はず。一々の位に無量劫を経、一々の位を超えること無し。次第次第に経登り、又下位の功徳をば捨て上位の功徳を得。/次に円教。/爾前の円。十信の初信に見を断じてより、二信より七信に至るまで思を断ず。八・九・十の三信は、上中下の三種の塵沙を断ず。十住・十行・十回向・十地・等・妙に四十二品の無明を断ず。円の仏。此の教は四十二位互ひに具して初後不二なり。又位をも超えて仏に成る。三諦相即す。煩悩即菩提・生死即涅槃を談ず。又六即を談ず。┌─一理即/├─二名字即/├─三観行即/├─四相似即円の十信。見・思・塵沙断。/├─五分真即円の十住・行・向・地・等なり。/└─六究竟即妙覚。/已上は四教。/次に五時。/一に華厳〈別円〉。二に阿含〈但三蔵〉。三に方等〈四教〉。四に般若〈通別円の三教〉。五に法華〈純円〉。涅槃〈四教〉。/私に云く、華厳の別教・方等の別教・般若の別教・涅槃の別教はかわりめ如何。又華厳の円・方等の円・般若の円・法華の円・涅槃の円のかわりめ如何。/天台大師。/玄義十巻。妙法蓮華経の五字を釈するに、名・体・宗・用・教の五重玄義を立てたり。/文句十巻。序品第一より作礼而去に至るまで、一部八巻の経の文句を釈す。一々の文句に因縁・約教・本迹・観心の四の法門を釈す。止観十巻。別しては法華・涅槃に依り、総じては一代聖教に依る。妙楽大師の義例と申す文に止観を釈して云く「諸文を散引し、一代を該るに文体の正意、唯二経に帰す。一には法華の本迹・顕実に依り、二には涅槃の扶律顕常に依る」文。/天台は玄義に観心を釈す。此れをば附法観と云ふ。文句に観心あり。此れをば詫事観と云ふ。止観の観心を約行観と云ふ。又止観にも附法・詫事の二観あり云云。/玄義・文句には十界互具・百界千如は立つとも、一念三千の文は無し。後に妙楽大師、玄義を承けて釈籖十巻を造る。文句を承けて疏記十巻を造り、止観を承けて弘決十巻を造る。已上六十巻。/天台大師〈智者・智顗〉。章安大師〈玄義・文句・止観の記者なり〉。智威〈文無し〉。恵威〈文無し〉。玄朗。湛然〈妙楽〉。/┌─道邃/湛然に├─道暹道邃──日本の伝教、最澄と云ふ。/├─智度/└─行満五陰和合の体十。十界の五陰世間。/五陰の不和合体十。十界の国土世間。四種の仏土なり。/一には同居土。凡〈六凡〉聖〈四聖〉雑居の土なり。二には方便土。純菩薩僧の住処。三には実報土〈断無明の菩薩・仏の住処〉。四には寂光土〈唯仏一人の住処〉。/初めの同居土に六。/一には地獄の住処赤鉄を以て所居の土とす。/二には、餓鬼の住処閻魔宮を以て所居の土とす。/三には、畜生の住処水・陸・空を以て所居の土とす。/四修羅の住処海畔・海底を以て所居の土とす。/五人の住処須弥山の四辺の四州を以て所居の土とす。/六は天の住処或は地居。或は空居等云云。/七には声聞の住処但見惑を断じ、或は思惑を断じ残る。或は見・思を断じ尽くすとも未だ有余涅槃の間は阿羅漢も人天に居す。/八縁覚の住処声聞の如し云云。九に菩薩の住処三蔵の未断見・思の菩薩は、凡夫の如く六道に有り。通教の断見・思の菩薩は二乗の如し。断無明の菩薩は実報土に住す。/初果・二果・三果・四果・縁覚の五人は無余涅槃に入れば、法華経を以て見れば、純菩薩僧と云われて方便土に住す。/十には仏の住処。但一人寂光土に住す。/同居土とは横に十方、竪に三世。皆同居土なり。西東北南と方を指すは同居土と知れ。弥陀の浄土・薬師の浄土等は、皆同居の内の浄土なり。問ふ、十方世界は皆同居土ならば、此れより外に何れの処にか三土は有るや。答ふ、此れは天台一宗の大事なり。但し総想の義には三惑分斉を以て論ずべし云云。/十如是とは。/一には相如是十半の色法乃至依報のなり。/二には性如是七半の心法。依報には通ぜず。/三には体如是十八界共なり。人の体質なり。/四力とは堪任力用。王の力士の如し。/五作とは運を作と名づく。/六因とは業なり。引業なり。七縁とは無明なり。/八果習因習果なり。習因習果とは満業なり。業の上の因果なり。先生に淫を習ふ習因は、今生に淫欲熾盛の者と成る。鴿雀等の如し。/九報とは報因報果なり。報因とは前の第六の引業なり。又習因習果を報因と云ふ事あり。報果とは受くる所の身なり。/十如是本末究竟等本とは相如是。末とは報如是。究竟とは始めの相如是に終りの報如是を究竟し、終りの報如是に始めの相如是を究竟す。等とは十如是等しく空、等しく仮、等しく中なり。/十界に一々の界に十如是有り。百如是なり。一界に十如是。其の十如是の一如是に三種世間。十如是には三十種世間。十界には百如是。十界互具せば千如是。千如是の一如是に三種世間。千如是には三千種世間。此の三千種世間、凡夫の汎々の一念の心に有り。又心に念ふ所の色、乃至法に有り。されば能縁の心に三千を具す。所縁の境にも三千を具す。能所合しても三千を具す。能所離しても三千を具す。されども定自〈能〉・定他〈所〉・定共・定無因にあらず。而も自・他・共・無因に具す。妙法とは是れを申すなり。妙の文字此の経に無くば、四性の計を離れず、四性の計を離れずば、成仏の道無し。能く能く十境十乗を学すべし。/┌一、殺生の業道二報〈一、短命。二、多病〉/┌身の三─┼二、不与取又偸盗と云ふ二報〈一、貧窮。二、財を失なひ自在を得ず〉/│└三、邪淫の二報〈一、婦貞潔ならず。二、不随意の眷属を得〉/│┌四、虚誑語又妄語と云ふ二報〈一、常に誹謗せらる。二、人の為に誑せらる〉/十不善業道─┼口の四─┼五、麁悪語又悪口と云ふ二報〈一、常に悪音を聞く。二、言説すべき所恒に諍論有り〉/│├六、離間語又両舌と云ふ二報〈一、弊悪の眷属を得。二、不知の眷属を得〉/│└七、雑穢語又無義語と云ふ二報〈一、所有の言説人信受せず。二、所有の言説明了なること能はず〉/│┌八、貪の二報〈一、多欲。二、乏にして厭足すること無し〉└意の三─┼九、瞋の二報〈一、常に一切の為に其の長短を求めらる。二、常に衆人の為に悩害せらる〉/└十、邪見の二報〈一、邪見の家に生ず。二、其の心諂曲なり〉/弘決の二に云く「法華を除きて外の余の一切の教には、但生々に悪の為に相悩せらると云へり。此れ乃ち教法の権実同じからざればなり」。/記の四に云く「発心せんと欲すと雖も、偏円を簡ばず誓境を解せずんば、未来に法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん」。

 

 

 

華厳法相三論天台等元祖事〔C0・文永九年頃〕/華厳宗の元祖。梵には馬鳴〈起信論の故に〉。竜樹菩薩〈十住毘婆娑論の故に〉。天親菩薩〈十地論の故に〉。花には智儼・杜順・法蔵・澄観──清涼なり/五教〈一代を摂む〉一には小乗教。四阿含経。倶舎・成実・律。/一切総じて無仏性教なり。/二には大乗始教。方等。深密経等なり。般若。法相宗三論宗。/少分無仏性教なり。二乗・闡提等なり。/三には終教涅槃経。一切衆生悉く仏性有り。/二乗・闡提等の成仏の教なり。/四には頓教一切経の頓悟成仏の文。並びに禅宗なり。/五には円教。二あり。別教華厳経/〈最初に二乗作仏・久遠実成を明かす〉┌─大海自在力を顕現して円満経を演説す。無量の諸の衆生に/本教。悉く菩提の記を授く。純ら諸菩薩の教。頓々教。報身如来の説。如来出世の本懐なり。/円教法華経/┌─諸河を引きて大海に帰せしむ。純に円教を説いて全く余教を雑へず。天台大師独り華厳経の義を弁へずして別教を説くと云ふ。誤れる哉誤れる哉。/摂末帰本教。/初後の高山。始め我が身を見、我が所説を聞き、即ち皆信受して如来恵に入る。先より修習して小乗を学せる者を除く。是の如きの人も、我今亦是の経を聞いて仏恵に入ることを得しむ。/法相宗の元祖。梵には釈迦如来弥勒菩薩・無著菩薩・世親菩薩・護法菩薩・難陀菩薩・戒賢論師・玄奘三蔵。花には玄奘・慈恩等なり。/有四阿含経。倶舎・成実・律等なり。/不了義経/三時教。空般若経三論宗なり。了義経/中華厳経・方等経・法華経・涅槃・深密経等。/弥勒菩薩の瑜伽論─〈無著菩薩之れを書く=摂論─無著菩薩造。唯識論─天親菩薩造〉。/深密経は了義が中の了義経法華経等は了義が中の不了義経。/五性各別。仏種性・独覚・声聞・不定・無性。/一切の声聞・独覚・菩薩は、皆此の一妙清浄の道を共にし、皆此の一究竟清浄を同じくして、更に第二無し。我此に依るが故に、密意を説いて惟だ一乗有りと言ふ。/一切の有情界の中に於て、種々の有情の種性、或は鈍根性、或は中根性、或は利根性の有情の差別有ること無きには非ず。/法華経の一乗を会する証文。/深密経に云く「諸の浄道に依る清浄の者は唯此の一に依りて第二無し。故に其の中に於て一乗を立つ。有情の性の差別無きには非ず」。摂論に云く〈無著菩薩〉「一類を引摂し及び所余を任持せんが為に不定種性に由りて諸仏一乗を説く」。釈論に云く〈天親菩薩造〉、釈論に云く〈無性菩薩造〉「四十余年未顕真実とは、四十余年の経は決定性・無性有情の為の真実の経。法華経不定性等の為の真実の経なり。故に不定性の為には、四十余年には未だ真実を顕はさず」。/三論宗の元祖。梵には文殊・竜樹菩薩〈三論の故なり〉・青目菩薩・青弁菩薩・智光論師・羅什。花には羅什・道朗・嘉祥等なり。/有四阿含経等なり。/三時教。空─深密経・一切の方等部の経なり。/中般若経法華経・涅槃経・華厳経・妙智経等なり。/般若経は了義経の中の了義経。/中天竺大那蘭陀寺の智光論師妙智経に依りて三時教立つ等云云。妙智経は未だ漢土に渡らず。又嘉祥は五時を立て、三法輪を立て、二蔵を立つ。一根本法輪〈華厳〉。枝末法輪。摂末帰本法輪。大論の四十六に云く「所説の種々の法、所謂本起経・断一切衆生疑経・花手経・法華経・雲経・大雲経・法雲経・弥勒問経・六ハラ蜜経・摩訶般若ハラ蜜経。是の如き等の無量無辺阿僧祇の経、或は仏説、或は化仏の説、或は大菩薩の説、或は声聞の説、或は諸の得道せる天の説、是の事和合して皆摩訶衍と名づく。此の諸経の中に、般若ハラ蜜最大なり。故に摩訶衍を説く。即ち知んぬ、已に般若ハラ蜜を説くに諸余の助道法、般若ハラ蜜に和合する無ければ、則ち仏に至ること能はず」。/天台宗の元祖。智者の観心論に云く「帰命竜樹師」。/付法蔵第十三┌───因縁所生法の文の故なり。地位初住に登る。/梵には竜樹菩薩────恵文禅師─北斉の禅師。/└中論の故なり└───中観を以て師宗と為す。/┌─位相似十信の位に登る。/南岳の恵思禅師。/└─天台大師止観に云く「天台南岳より三種の止観を伝ふ」。/又云く「普賢菩薩・天台大師」等云云。/乳┌──但菩薩のみ/華厳────┘別円/亦醍醐と云ふ。/酪/阿含玄の十に云く「初後の仏恵、円頓の義斉し」。亦乳と云ふ。/方等生蘇籖の一に云く「故に始終を挙ぐるに、意仏恵に在り」。/五時亦五味を具するか。/般若熟蘇味文句の五に云く「今の如きは始めの如く、始めの如きは今の如し」。/亦醍醐を具するか。/法華経─┬醍醐皆始見等の文の故なり。/涅槃経─┘/華厳経の円と法華経の円と同じと云ふ文。「始め我が身を見る」。/方等・法相等と法華経と同じと云ふ文。「我昔、仏に従ひて是の如き法を聞き、諸の菩薩の授記作仏を見たり」。文句の五に云く「只是れ方等教の中に大乗の実恵を聞くこと今と殊ならず。故に聞如是法と言ふ」。/般若経法華経と同じと云ふ文。法華経に云く「般若ハラ蜜をば除く」。又云く「平等大恵」。玄の十に云く「般若と法華は是れ異名なるのみ」。籖の十「一には、会宗・大明に拠れば般若は法華に勝るるに似たり」文。又云く「三には、但是れ異名ならば則ち二経斉等なるに似たり」。又云く「不共般若に一切法を摂す。何ぞ法華其の中に入ることを妨げん」。記の四に云く「若し仏恵を以て法華と為さば即ち始終倶に有り。若し会帰を以て法華と為さば即ち終りには有れども始めに無し」。玄の十に云く「此れ一往は則ち斉しけれども、而も疎蜜無きにあらず」。/真言宗の元祖/大日如来・金剛薩・竜猛〈竜樹なり〉・竜智・金剛智〈天竺なり〉・金剛智〈震旦なり〉・不空・恵果・弘法。弘法〈日本なり〉。/又大日如来・金剛薩・竜猛・竜智・善無畏〈天竺なり又震旦なり〉・順暁・伝教〈震旦なり、日本なり〉/又大日如来文殊・竜樹等と云ふ。又云ふ。文殊・善無畏云云。/┌一には顕教釈迦一代の教/日本の東寺弘法二教─┤法華経華厳経より下す等云云。/└二には蜜教大日の三部等なり。六ケの大徳を師とす/伝教・慈覚一には顕教阿含経なり/天台二教/智証等なり二には蜜経─華厳・方等・般若・法華・大日経等なり。/又云く「法華経は理秘密。大日経は事理倶密」。/又云く「四十余年は顕教法華経大日経は蜜教なり」。/十住心異生羝羊心。二に愚童持斎心。三に嬰童無畏心。四に唯薀無我心〈声聞〉。五に抜業因種心〈縁覚〉。六に他縁大乗心〈法相〉。七に覚心不生心〈三論〉。八に如実一道心〈天台〉。九に極無自性心〈華厳〉。十に秘密荘厳心〈真言〉。菩提心論並びに大日経の住心品に依りて之れを立つ。/又六ハラ蜜経の五蔵。ソタラム蔵〈経〉・毘那耶蔵〈戒律〉・阿曇蔵〈論〉・般若蔵〈諸大乗経〉・タラニ総持蔵〈真言教なり〉。/又云く「顕教は他受用応化身の説。密教は自受用法身の説なり。又顕教は乳・酪・生蘇なり。秘密教は醍醐なり」〈東寺の真言宗の立拠なり〉。

 

 

 

五十二位図〔C1・文永一二年〕/外凡/┌─三賢──種─順解脱分位/三蔵教─┼─四善根─熟─順決択分位/└─七聖──脱─見思断位/├─見道───決択分位/├─修道─┬─解脱分位/└─学道┘/爾前/種乾恵地─外凡三賢/通教十地熟性地──内凡四善根/解脱八人地乃第十地/別教五十二位種───十信外凡/迹門┌─十住初住より第七住に至りて見思を断ず。八、九、十に/円教熟─┤上品の塵沙を断ず/名字─┬─外凡─種├─十行中品の塵沙を断ず/観行─┘└─十回向下品の塵沙を断ず十信───内凡┌─十地─┐/十住──┐脱─┼─等──┼─十二品の無明を断ず/十行──┤└─妙──┘/十回向─┼─脱/十地──┤/等───┤/妙───┴不説華厳に果分を説かざるは唯一仏乗を名づけて果分と為す/妙覚位──説法華経当分/跨節

 

 

 

一代勝劣諸師異解事〔C0・建治二年〕/一代勝劣諸師異解事/一┌─之れを除く/漢─┬┤/第一華厳─┐魏─┼┘/│晋─┤┌─光宅等/第二涅槃─┤宋─┤五百余年/│斉─┤南北二百六十余人/第三法華─┘梁─┘/第一般若────────三論宗/第一法華─┐陳─┐/第二涅槃─┤│天台智者/第三華厳─┘隋─┴─国清寺/┌─唐の太宗/第一深密経└──┐法相玄奘/第二華厳・法華・涅槃─┘慈恩/第一華厳─┐/第二法華─┼──唐法蔵等/第三涅槃─┘則天皇后の御宇/第一大日経┌─玄宗の御宇/第二法華・涅槃唐善無畏等第三華厳経/二┌─中堂/┌─第一法華経────┐伝教大師/├─第二涅槃経────┤日本/└─第三華厳・大日経等─┘桓武等/第一大日経─┐日本/第二華厳経─┤弘法/第三法華経─┘嵯峨天皇の御宇/┌─総持院/第一大日経─┐日本/第二法華経─┼────慈覚/第三諸経──┘仁明/文徳/智証も大体之れに同じ。/三/次第劣なり┌─法華経第一本門/法華第一一─┴─法華経第二迹門/涅槃経第二是の諸の大乗方等経典は、復無量の功徳を成就すと雖も、是の経に比せんと欲するに喩へを為すことを得ず。百倍千倍百千万億乃至算数譬喩も及ぶこと能はざる所なり。/無量義経三次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く。/┌─未だ真実を顕はさず。/└─真実甚深なり。/華厳第四/般若第五/┌─妙成就なり┌─第一に云く、三部の中に於て此の経を王と為す。/蘇悉地経第六─┴─蘇悉地経〈中巻〉に云く、猶(なお)成ぜざれば或は復大般若経七返を転読す。/大日経第七/弘法大師は、法華経大日経に相対すれば三重の劣と云云。日蓮之れを怨みて謂へらく。七重の劣か、将又経文有るや。三国に未だ弘通せざる法門なり。

 

 

 

五行事〔C0・文永初期〕/木不殺生戒肝臓/眼根/酢味/東方/青色/春/青雲/魂/歳星/火不飲酒戒心臓/舌根/苦味/南方/赤色/夏/赤雲/神/惑星/土不妄語戒脾臓/身根甘味/中央/黄色/土用/黄雲/意/鎮星/金不偸盗戒肺臓/鼻根/辛味/西方/白色/秋/白雲/魄/太白星/水不邪淫戒腎臓/耳根/鹹味/北方黒色/冬/黒雲/志/辰星

 

 

 

六識事〔C0・弘安元年〕/正説・領解・述成・授記・歓喜/但彰灼に二乗に授記して顕露分明に長遠の寿を説くことを知る茲の一座に於て聞知せざること無し。故に名づて顕と為す。/心/眼識意肉・天・恵・法・仏眼/耳識肉・天・恵・法・仏耳/鼻識肉・天・恵・法・仏鼻/知舌識見/身識肉身・天身・恵身・法身・仏身/意識/魔梵釈女/菩薩処胎経/「法性は大海の如く是非有るを説かず。凡夫賢聖の人は唯心垢の滅するに在り。平等にして高下無く、証を取ること掌を反(かえ)すが如し」。大乗を学ばん者は肉眼有りと雖も名づけて仏眼と為す。耳鼻の五根も例して亦是の如し。/理具/加持顕徳/┌世出世に亘る┌世間に限る┌鼻舌身合中智/強眼耳意弱鼻舌身至不至/└眼耳意離中智/知覚聞見/六識・眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識/知見・眼・耳・鼻・舌・身・意/巳四月・午五月火・未六月・申七月・酉八月金・戌九月・亥十月・子十一月水・丑十二月・寅正月・卯二月木・辰三月

 

 

 

念仏破関連御書〔C1・文永三年〕/文はとかれたれども、実には諸行は往生せずと料簡したりけり。この二義世間にひろまりけるほどに、法華経等は一部八巻よむもよだけし。真言の観念大事なり。一念は但南無阿弥陀仏と申せばやすし。させる功労をも入らざる故に、在家の諸人は一向称名念仏になりぬ。自然に法然が義つをりて多勢になるほどに、ををぜいにをどされて、法華経真言等を行じつる人々も自義をすてて法然が義をならいまねび、心よせにをもい、久修聖行の法華経等をすてて三万六万等の念仏者になりぬ。結句はことに天台・真言の人々、法華経をすてて念仏になる証人となれるなり。ここに第一の不思議あり。法然が一類の一向の念仏者法然・隆観・上光・善恵・南無・薩生等、或は七日・二七日、無記にて死す者もあり、或は悪瘡、或は血をはき、或は遍身にあつきあせをながし、総じて法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし。又一向専修の念仏者をもちうる在

 

 

 

断簡二〇一〔C1・建治三年〕/ます、とりどりにいづれも心ざしをろかならず。しかれども去ぬる文永八年の御かんきの時、佐渡の国雪中にゐ

 

 

 

断簡二〇二〔C1・弘安元年〕/無妙法蓮華経と唱へさせ給はん女人は、大海の江河にすぐれ□□の

 

 

 

断簡二〇三〔C1・弘安三年〕/正像二千年すぎて末法になり候ひぬれば、天も神も年より心もをぼろになり候へば、小乗権大乗の

 

 

 

断簡二〇四〔C1・文永五年・富木常忍〕/如何。止観等の大事の要文、双紙に聚集してまいらせ候ひし内

 

 

 

断簡二〇五〔C1・弘安三年五月一二日・西山氏〕/大餅五、聖人ひとつつ、やまのいも五本、大根いつつ/〈十八〉五月十二日日蓮(花押)西山殿御返事

 

 

 

断簡二〇六〔C1・建治三年〕/もめてたくて国の人々も

 

 

 

南條兵衛七郎殿御書断片〔C1・文永元年一二月一三日・南條兵衛七郎〕/愚痴の人も悪としればしたがわぬへんもあり。火を水を用ゐてけすがごとし。善は但善と思ふほどに、小善に付きて大悪のをこる事を

 

 

 

断簡二〇八〔C1・文永〕/天神の大威徳天とあらわれて其の徳□天に勝れ給

 

 

 

断簡二〇九〔C1・弘安元年・日興〕/法師申す。寺務為る二位律師厳誉世間一分の科無しと雖も

 

 

 

仏説御書〔C1・弘安元年〕/〈十一〉うみたりし太子、今に其の子孫なれば、漢日種国とて人の心かしこくいさぎよくあるなり。象国・馬国なんど申す国は人なれども其の畜生の心あり。仏教も又かく

 

 

 

断簡二一一〔C1・文永建治交・いよの入道〕/此れ何人ぞや。答へて云く、一人なり。万人一同の悪心を起こす。かるがゆへに起こるなり。問うて云く、何をもってかこれを信ぜん。答へて云く、明鏡あり、眼あらば汝これをみよ。大集経に梵天・帝釈・日月・四天□□□□進上いよの□殿

 

 

 

断簡二一二〔C1・建治二年〕/いうは道理必然なり。伝教大師弘法大師はしばらく此れををく。日本国の慈覚大師は我が国にして伝教大師に値ひたてまつりて、天台・真言の二宗を習ひきわめ、唐土にわたては宗叡

 

 

 

断簡二一三〔C1・弘安元年〕/経文なり。たれか迷はざるべき。弥陀念仏は観音・勢至等の

 

 

 

断簡二一四〔C1・建治二年〕/南岳・天台・伝教の法華経付属の人にあらざるに二の故あり。一には迦葉・阿

 

 

 

断簡二一五〔C1・弘安元年〕/彼の文の如し。鳩般荼とは

 

 

 

断簡二一六〔C1・建治三年〕/経文に付くべし、捨

 

 

 

断簡二一七〔C1・建治三年〕/〈三〉釈尊已前に或は八百年、或は無量百歳、三仙と申す大

 

 

 

断簡二一八〔C1・建治二年〕/こと、正法の前五百年には迦葉・阿難等、一向に小乗経を弘通せしかども、諸大乗経を結集せり。其の法門をば弘通せずといえども、自身の存知は疑ひなし。竜樹・天親等は正法の後五百歳に、権大乗

 

 

 

断簡二一九〔C1・建治二年〕/人の心地一同に大いに動ずるゆへに、大地は人の心にのっとれるゆへに大地ふるうか。天は人の眼に法華経のてきとなれる

 

 

 

断簡二二〇〔C1・建治二年〕/なんだをながし、遍身にしろきあせをあかして申し候

 

 

 

断簡二二一〔C1・弘安〕/聴聞候ひき。大海へは

 

 

 

断簡二二二〔C1・弘安二年・千日尼〕/〈四〉「方便現涅槃而実不滅度」ととかれて、八月十五夜の満月の雲にかくれてをはするがごとく、いまだ滅し給はず候なれ。人こそ雲にへだてられてみまいらせず候とも、月は仏眼・仏耳をもってきこしめし御らんあるらむ。其の上、故阿仏房は一心欲見仏の者なり。あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ候ざらむ。其の上

 

 

 

断簡二二三〔C1・文応元年〕/やすきことぞかし。この経を一四句偈供養せんことは又十のたとえあり。一切の江河のもろもろの水の中には大海第一なり。一切の山の中には須弥山第一なり。一切のひかりあるものには日輪第一なり。一切の王の中に大梵天王第一なり。この経は一切の経の中には第一なり。この経をけちえん(結縁)せん人は諸人のなかには大海のごとくひろく、須弥山のごとくたかう、日月のごとくあきらかなるべし。もし女人ありてこのあつはり給ひしををくの仏、多宝仏・釈迦牟尼仏、一々の仏舌をいだして梵天につけたりしは、をへただしかりしことなり。このしたをいだし給ふことはかみの一々の不思議のことどもまことなりというしようこ(証拠)なり。舌は不妄語戒のちからなるゆへなり。ことにこのふみは女人のをんためにしるすことに候へば、かみのだいば(提婆)品に竜女が須臾に仏になりたりしこともこの品にしてうたが

 

 

 

断簡二二四〔C1・文永二年〕/かの禅門にげざんして候ひしかば、内心はしり候はず、をもわざるほかにこころよげに候ひき。又かれよりすごにしたがうべからざるよし申すとて、ことにいかり申されげに候ひき。又そのひ、やがて下手人まいらせすべきの申状つけ候ひき。とくとく問注あるべきよし申し候ひしかども、あつかのあくたう(悪党)どもを申す人にめしあづけられよとこそ申し候ひしか。さてはこの白米の事、申しつくしがたう候。そうぜんして法華経一部よみて候。

 

 

 

断簡二二五〔C1・建治二年〕/つたなきかなや天台の学者等、善無畏等は誑惑の心ある上、我が執する法を立てんがために妄語をなすとも、法華宗の学者等智恵かしこくば、たぼらかさるべきか。但し善無畏は月支の経を見たりという事、信ずべきににたれども、天竺の人は妄語なく、漢土・日本の人は実語なきか。提婆が虚狂罪は月支より始まり、瞿伽利が妄

 

 

 

断簡二二六〔C1・弘安四年〕/□なやいごめひとをけ、蓮花三本給はり候ひ了んぬ。はちすと申すは蓮花なり。天上に花あり、まんだら花等云云。大地の上にも種々の花あり、春はさくら、秋はきく、夏はぼうたん、冬は

 

 

 

断簡二二七〔C1・弘安二年〕/〈二〉そりやう(所領)ゆへなくめしあげられて、ただてのひろさあるやしきにすませ給へば、びんぐう(貧窮)□□すい□くて□□ばかりは

 

 

 

断簡二二八〔C1・弘安二年〕/世間ををそれていつわりをろかなり。御心へあるべし。黒白と申してくろくしろき物には人迷ふことなし。人畜と申して

 

 

 

断簡二二九〔C1・文永〕/□□□□□いはん人と□□□□□ごとく修行すとも□□□□□恥辱せん者と此等の諸□□□□□し其人命終入阿鼻獄と定めさせ給ひて候。此の事は唯釈迦仏の仰せなりとも、外道に有らずば疑ふべきにては候はねども、已今当の諸経の説に色

 

 

 

断簡二三〇〔C1・弘安三年五月二二日・東兵衛某〕/御志ざしかうじんかうじん(幸甚々々)。恐々謹言。/五月二十二日日蓮(花押)/東ひやうゑ(兵衛)どのの御返事

 

 

 

断簡二三二〔C1・建治弘安交〕/いも一石、はじかみひとたわらをくり給び候ひ了んぬ。いつもの事によにはちうある人にてこそ

 

 

 

断簡二三三〔C1・文永五年〕/等興盛の故に、朝家の重んじ給ふ大法、法華・真言等、存外に忽緒の義出来する間、天子本命の道場・鎮護国家の道場並びに諸寺諸山、自然に荒廃せしむるか。茲に因りて守護の諸大善神等、法味嘗めずして威光を失ふ。定めて他国より

 

 

 

断簡二三四〔C1・弘安〕/上□是日尼か膝□

 

 

 

断簡二三五〔C1・弘安〕/一仏なれば末代の

 

 

 

断簡二三六〔C1・文永三年〕/又あししときくなり。念仏者の臨終の悪しき故は、四十余年の権経の内になを華厳・方等・般若にも及ばず、わづかの浄土の三部によれる者どもが

 

 

 

断簡二三七〔C1・建治元年〕/へなり。例せば日本国には、神武天皇よりいまにいくさ多しというとも、此の蒙古国の合戦第一なるべし。日本国こわくささうるならば、減じて

 

 

 

断簡二三八〔C1・弘安二年七月一六日・左衛門某〕/恐々謹言。/七月十六日日蓮(花押)/さゑもん(左衛門)どのの御返事

 

 

 

断簡追加I〔C1・文永〕/□□不審をなすにあきらめたる人なし、善悪□□□□が無間地獄道疑ひなしとをもい候。法然法華経の名をあげてなげすてよとかき

 

 

 

断簡追II〔C1・文永三年〕/文に相違す。序品に云く「諸の菩薩の為に、大乗経の無量義、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたまふ」等云云。此の文の

 

 

 

断簡追加III〔C1・文永〕/伝教大師は日本第一の得人なり。問うて云く、汝は何に分け見るや。答へて云く、得人に二あり。身には身の悦び、二に心の得なり。日本の人は心に名を得たり、日蓮は心に楽を得たり、一切の楽の中には心楽を第一とす。日本の愚痴なり、大苦の中の最大苦なり、日蓮は智者なり大楽の

 

 

 

断簡追加IV〔C1・文永五年〕/豈に此□□□□□而るに法華・真言の僧□或は此の義を識らざるか。或は識ると雖も之れを世に慢(へつらう)か。故に来□□□□祈祷の故に天神も祐けず□□□□災を滅せざるのみに非ず返りて災殃を招くか。飢□□□□□失者奏事を企つに似て為非□□□□汝等天奏を経ずんば終に此の国□□□□□及ぶ。之れを罰する由之れを奏す可し。はた又□□不忠の臣為る可し□□□□の日蓮末代法華の□□未□□□聖賢一分乎。世間□□□□□□日月の蛍火を見るが如し。汝等□□□□如□□重□□不□自慢□□□見成敗□□□□□の思□□□

 

 

 

断簡一三五・断簡追加V〔C1・建治二年〕/自身邪見と申す文なりとせめし

 

 

 

断簡追加〔C1・弘安〕/凡夫は疑ひやせんずらむ

 

 

 

断簡二三九〔C1・建治元年・門下一般〕/一代五時図/┌──竜樹菩薩造仏滅後九・八百年/大論に云く「十九出家三十成道」/権大乗┌─智儼法師/│二七日├─杜順和尚/華厳経───華厳宗─┼─法蔵法師/三七日└─澄観/阿含十二年達磨大師/方等─┬─双観経─┐┌─曇鸞法師/│├─観経──┼─浄土宗─┼─道綽/大集└─阿弥陀経┘└─善導/大日経─┐善無畏三蔵/金剛頂経─┼─真言宗金剛智三蔵/蘇悉地経─┘不空三蔵/┌三十年/│竜樹菩薩作/│権大乗┌─百論─┐/└般若─┼─中論同─┼─三論宗嘉祥大師/大品├─十二門論同─┤└─大論同─┘

 

 

 

断簡二四〇〔C1・建治二年・富木常忍〕/大聖人/父母所生の身なり┌─無生忍の名なり/生身得忍────┼─見思・塵沙・無明を断ず/苦道├─煩悩道/即法身└─業道/内色/苦道即法身/即身成仏─煩悩即般若─業即解脱/外色/草木成仏──国土世間/如是無辺禍出在於/文徳────────仁寿二年/国中五丈の彗星/大宗─貞観戌年六丈の彗星

 

 

 

断簡二四一〔C1・文永一二年〕/三宗一宗/┌─一根性の融不融/迹門─┤三蔵教〈遠種近種〉/└─二化道の始終・不始終/通教〈遠種近種〉/別教〈遠種近種〉/円教〈遠種近種〉/本門師弟の遠近・不遠近/三蔵教入不退。過去の法華の力なり。/通同/別同/円同/爾前の四教の機。乃至迹門の純円の機。/寿量品に云く──諸の衆生の、小法を楽える徳薄垢重の者を見ては。爾前の四教乃至因□円なり/┌─三垢我見・戒禁・疑/└────┬─八十八使なり/└─見思なり/涅槃経の三に云く、天台云く、垢重とは見思未だ除かざるなり

 

 

 

断簡二四二〔C1・文永七年〕/┌─唐の世/│安楽集なり/└─道綽禅師の云く/聖道門──未だ一人の得る者有らず/浄土門──唯浄土の一門のみ有りて通入の路なる可し。/唐の世/│往生礼讃等なり/善導───雑行──百の時に希に一二を得。/千の時に希に三五を得。/千が中に一も無し。/正行/└─十は即ち十生し、百は即ち百生す。/今に五十余年なり/日本国の後鳥羽院の御宇

 

 

 

断簡二四三〔C1・建治元年〕/三車・四車/ひつじのくるま/羊車〈やうしゃ〉─┐しやうもんにたとう/しかのくるま├─あごんきゃう/鹿車〈ろくしゃ〉─┘えんがくにたとう/うしのくるま/牛車〈ごしゃ〉─┐華厳〈くゑごん〉・方等〈ほうどう〉・般若〈はんにゃ〉/└──ぼさつにたとう/ををきにしろきうしのくるま/大白牛車〈たいびゃくごしゃ〉法華経/はじめには、みつのくるまをもって、もろもろのこを/初以〈しょい〉・三車〈さんしゃ〉・誘引〈ゆういん〉・諸子〈しょし〉・/然後〈ねんご〉・但与〈たんよ〉・大車〈だいしゃ〉

 

 

 

断簡二四四〔C1・文永一一年〕/我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり。/記の六に「縦ひ経有りて諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず。兼但対帯其の義知んぬべし」。弘の六に「已今当の説に最も為れ第一なり。此の経を聞かざれば善行と名づけず、方便門を開き真実の相を示す」

 

 

 

断簡二四五〔C1・建治元年〕/(法華経法師品云)/「薬王、多く人有りて、在家、出家の、菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し、読誦し、書持し、供養することを得ること能はずんば、当に知るべし。是の人は、未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。若し是の経典を聞くこと得ること有らん者は、乃ち能善く菩薩の道を行ずるなり」/外┌─已説──花・阿・方・般若/三説─┼─今説──無量義経─┬─未善/法華│└─大愚痴/└─当説──涅槃経──┬─未善/└─大愚痴/弘決の六に云く「已今当の説に最も為れ第一なり。此の経を聞かずんば、善行と名づけず。方便の門を開きて真実の相を示す」/┌─開三─┐/└─顕一─┴─三説超過の法なり

 

 

 

断簡二四六〔C1・文永六年〕/第八識┌─法相宗/┌─観薀阿頼耶─┼─深密経等/四句総摂一切経─┤└─同類諸経/│華厳経┌─花厳宗/└─極無自性心─┤/般若経└─三論宗

 

 

 

断簡二四七〔C1・文永一一年〕/法華経第四に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり爾の時に仏、復(また)薬王菩薩摩訶薩に告げたまはく、我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」/嘉祥の義なり/┌─已説──花・阿・方・般若等。無量義経/├─今説──法華経/└─当説──涅槃経/┌─已説──花・阿・方・般等/├─今説──無量義経/└─当説──涅槃経/三説の外法華経天台の義なり/妙教貶挫せんと欲す。毀り其の中に在り、何んが弘讃と成さん。

 

 

 

断簡二四八〔C1・文永五年〕/┌─華厳経別教──┐/│円教─┐│/├─阿含小乗┐││/│┌─蔵─┤││/│├─通─┼┼┤未顕真実/├─方等─┼─別─┘││/天台宗意─┤└─円──┤│/│┌─通─┐││/├─般若─┼─別─┴┼┘/│└─円──┤玄の二に云く/├─法華───円──┤此の妙も円彼の妙も円/│┌─蔵│妙の義殊なること無し。/└─涅槃─┼─通│/├─別│/└─円──┘/玄義の十に云く「初後の仏恵、円頓の義斉し」。

 

 

 

断簡二四九〔C1・文永一二年・門下一般〕/┌─殺生─地合戦───┐/外┌─身三─┼─偸盗─餓饉渇│/色法│└─邪淫─畜・疫病│/┌─七枝─┤┌─妄語│業・因/││├─綺語│/│└─口四─┼─悪口│十善/十悪─┤└─両舌────────┘/│┌─飢渇・水災─────┐/│内┌─貪─┴─愛欲・慳貪順違│/│心法│┌─合戦・火災│└─三毒───意三─┼─瞋─┼─恚二万一千│煩悩・縁/│└─嫉妬│/└─痴─┬─疫病・風災│/└─愚二万一千─────┘/法句経に云く、口を守り意を摂し身に犯すこと莫れ。/是の如き行者世を度することを得。十一分二万一千

 

 

 

断簡二五一〔C1・文永五年〕/正法中能勤修行方住説とは、論に曰く「譬へば若し人多宝仏の名を誦持すれば、決定して無上菩提に於て更に退堕せず、と説くこと有るが如し」。釈して曰く是れ嬾堕善

 

 

 

断簡二五二〔C1・建治二年〕/たりぬ。阿難・迦葉

 

 

 

断簡二五三〔C1・弘安二年〕/なんと申して候人々も候。よにやわらかげになり

 

 

 

断簡二五四〔C1・文永六年〕/初三報従重

 

 

 

断簡二五五〔C1・文永初期か・富木常忍か〕/をんいのりのためなり。恐々謹言乃時

 

 

 

断簡二五六〔C1・建治二年〕/問ふ、恵法師三時教を立つるや。答ふ、文に云く「震旦の恵は具に其の狭を斥ふ」文。之れに付きて何を以てか知るを得ん。三時の狭ことを斥ふと云ふ事何れの処にか其の義見たるや。答ふ、次下の文に云く「又恵法師の云く、玄奘三蔵の三時の法輪は祇た唯是れ漸教にして唯三性の一法を論ず唯一機の為なるべし。以て定量と為して一切の仏法を部判すべからず」と文

 

 

 

断簡二五七〔C1・正元〕/行住坐臥を時処諸縁を論ぜず。之れを修するに難からず。乃至臨終には往生を願求するに其の便宜を得ること念仏に如かず。始見大収なり、今見拾□。□□竹初節を破るが如し。今見余節の如く□□□例せば天台宗法華□如し

 

 

 

断簡二五八〔C1・文永五年〕/□胎蔵界七百余尊の其の中央に大日如来まします。身相は黄金色にし□□□

 

 

 

断簡二五九〔C1・建治〕/法界定印なり。二には金剛界五百余□身相は白色にして智拳印な

 

 

 

断簡二六〇〔C1・建治〕/〈九〉天台・真言二宗わたりぬ。真言宗をば天台宗の方便と伝教大師は定め給ひぬ。御弟子の慈覚

 

 

 

断簡二六一〔C1・弘安〕/仏菩薩等は皆□を御らむ候なり。三世十方の諸仏は或は一丈二丈、或は十丁百丁、或は百里千里、或は

 

 

 

断簡二六二〔C1・建治〕/我も智者智者とはをもへども、梵釈と天照太神八幡大菩薩には□□□られて、日本国人王八十一代

 

 

 

断簡二六三〔C1・弘安元年〕/護の御ちかいやぶれをはり候ひぬ。此れをもってをもうに、日本国もいかんが有らんずらむ。をぼつかなしと申すふしんあり。此の事は日本国に知る人一人もなきか。日蓮ほぼ此れをかんがえて候に、其のゆへあるかとをぼへ候。下は上をしらぬ事なれば、天照太神

 

 

 

断簡二六四〔C1・文永五年〕/人語。八万の諸天、天の語を聞き地獄夜叉各其の語を聞く。唱告梵天に至れば是れを梵音と為す。亦是れ仏

 

 

 

断簡二六五〔C1・建治元年〕/御入滅いかでか此の恩をばほうじまいらせ候へき。願は仏しばらく

 

 

 

稲河入道殿御返事断片〔C1・弘安四年三月二一日・稲河入道とその女房〕/女房よくよく御らむあるべし。恐々謹言。/三月二十一日日蓮(花押)/稲河入道殿御返事女房御返事

 

 

 

断簡二六七〔C1・弘安〕/付けて仏前にまいり、いなむ事もなくして大般涅槃経聴聞して、立ち所に阿羅漢となりぬ。恵眼を開きて大地の底をみしかば、須跋陀羅が堕つべき大地獄の

 

 

 

断簡二六八〔C1・建治二年・面々〕/面々御返事日蓮

 

 

 

断簡二六九〔C1・文永三年・南條七郎〕/南条七郎殿日蓮

 

 

 

断簡二七〇〔C1・建治〕/〈三〉多く候。其の上宝塔品と申す品には東方宝浄世界と申す国より多宝仏と申す仏来させ給ひしかば、又十方の仏あつまらせ給ふ。三千大千世界に居あまらせ給ひて、三千大千世界より外、四百万億那由他の世界に衆星の月日をめぐれるがごとく、釈迦・多宝の二仏をくるくるとめぐりて坐せさせ給ひぬ。其の外の菩薩人天のあつまれる事、言をもってのべがたし。心をもって計るべし。ををかた大海のごとく候へば、法華経を大海に譬へさせ給ひて候。此の大衆の御前にして仏せんぎしての給はく

 

 

 

断簡二七一〔C1・建治〕/るしきがごとし、又羅什三蔵のあやまりを加へけるかと疑ひ候。

 

 

 

断簡二七二〔C1・文永六年〕/覚大師の門徒云云。□京□鳥羽院の御願文に云く「昔は九五の尊位を践み、思ひを敬神□□に運び、今は三千の禅徒に烈なり誠を□帰仏の中に抽んず。

 

 

 

断簡二七三〔C1・文永初期〕/経を修行していのちをはらんとき、かならずあみだ仏の国にむまるべしととかれたり。この安楽世界は観経とうにすすめたる極楽とをもうこと、ゆめゆめあるべからず。すなはちこの経を信ずる女人の身、釈迦・阿弥陀・一切の仏ぼさつにてあるべし。この女人のいたらんところ、すなはち安楽世界なるべし。観経とうの安楽世界、じち(実)にはこの経のさとりをへぬ人のためにはえど(穢土)にてあるなり。この経を眼に

 

 

 

断簡二七四〔C1・不明〕/□ませ給ふべし。法華経をつたへさと昔喜見と申せし人は七宝の

 

 

 

断簡二七五〔C1・建治二年〕/云く。子父の法を弘む等云云。輔正記に云く

 

 

 

断簡二七六〔C1・建治元年〕/〈三〉大師、日本国には伝教大師なり。印度の竜樹菩薩・天親菩薩、漢土の光宅法師・善無畏

 

 

 

阿耆多王御書〔C1・弘安二年五月二三日・波木井実長か〕/大麦一斗、胡瓜二十五給はり了んぬ。仏にまいらせて候。月氏国に阿耆多王と申せし悪王候ひき。仏を請し奉りて供養しまいらせ候はざりし□□□大王と生まれたり。此れは大麦なり。なんぞ仏のたねとならざらむと、かしこまり申すよし、申し上げさせ給ふべく候。恐々謹言/五月二十三日日蓮(花押)

 

 

 

断簡二七八〔C1・弘安二年一〇月二六日〕/又若し明年までいきてたがいにをはするならば、なつのころは人をまいらせ候はん。御わたりありて御らむあるべし。恐々謹言/十月二十六日日蓮(花押)/いたわりと□ろくせんてくはしく□□□

 

 

 

断簡二八〇〔C1・文永一二年か〕/今云く、孔子の言を以て□儒道二宗を責め口を閉じて開かず。内典諸宗又復是の如し。其の宗元祖帰伏の言を以て彼の宗末学の謗言を閉止するなり。

 

 

 

断簡二八一〔C1・弘安元年〕/ついにほろびぬ。仏教又かくのごとくなり。華厳経大日経等を法華経にまさると云ひし大師等は、皆無間地獄にをちぬ。かれをかくせし弟子等、やしなひし国主万民又かくのごとしべからす。弘法大師・慈覚大師・智証大師と申す三

 

 

 

断簡二八二〔C1・建治元年〕/金剛頂経□、二経に替はると雖も一経は只法華経なり。是れ則ち王臣礼節乱れ無し。覚一人、異朝・本朝の吉例に違背し、将又教大師の三部を軽蔑するなり。又法公、東寺に日・頂の二経を安置し、国家鎮護す。其の後、天台・真言の学者の云く、顕教は三部、蜜教は二三部と云云。法華三部を軽蔑すること土の如く沙の如し。秘教二三部を崇重すること金の如く珠の如し。之れに依りて仏法滅尽し、王法も減少するか。已上陳隋二代の両帝天台に帰伏するなり。夫れ両帝は本南北の諸師に帰依す。而

 

 

 

食物三徳御書断片〔C1・建治二年〕/たからとす。山の中には塩をたからとす。魚は水ををやとし、鳥は木を家とす。人は食をたからとす。かる

 

 

 

断簡二八五〔C1・建治〕/頂経・蘇悉地経の三部経に劣ると申せし事のやうやく/釈迦・多宝の二仏の経なるゆへ

 

 

 

断簡二八六〔C1・正嘉年間〕/露。皆赦宥の仁風に従ふ。本山に帰依せば重ねて疑ひ至らんなり云云。諸賢の記録、露点未だ消せず。先王の格言、鳳文暗に非ず。此の外の証拠に満てり。慎みて凶跡を避けて須く嘉猷に従ふべし。衆徒等只山門の陵遅を思ふに非ず。常に又国土の衰乱を恐る。今誤りて行欲す。

 

 

 

断簡二八七〔C1・正嘉年間〕/濫に釈門を刑す。争でか更に直陳を皇室に献せざらん。若し夫れ万人の唯々は一夫の諤々に如かず。将に刑を僧侶に加へんとして一旦の威慮を示すと。誤りを神祗に謝して万代の福褒を得んと。何れか是、何れか非なる。謹んで聖明を仰ひで望みを天恩に請ひ、且つは山王の添はんが為に

 

 

 

断簡二八八〔C1・正嘉年間〕/雲。国土の安寧此の事に在るべし。〈是れ五〉承久以来僅かに十余年。学侶を召されるの事。触れ訴ふ。衆徒の云く「地頭左衛門尉高信、神人を陵辱し宮仕を刃傷す」云云。衆徒等早く先□□□□□□□任せ天奏に至る。更雖

 

 

 

断簡二八九〔C1・弘安二年・四条金吾か〕/すでに御薬のしるし

 

 

 

断簡二九〇〔C1・文永六年〕/又私に云く、発趣大乗の難。大は小に由り起こるを以て

 

 

 

断簡二九一〔C1・建治二年〕/法華経の御かたきとなり、阿弥陀仏の御かたき、釈迦・十方の仏の御かたきなりとしろしめせ。法華経誹謗の国には、不軽菩薩のごとく、覚徳比丘のごとく

 

 

 

断簡二九二〔C1・正元二年〕/次に不邪淫を持つに依りて耳を得たり。此の戒を破ぶる者は跋難陀竜の如し。耳無き者と生まる。又大海江河一切の水の無き処に生まれて、常に苦に値ふべし。又婦も無し。又設ひ婦有れども意に相叶はず。母犯すは

 

 

 

断簡二九三〔C1・建治〕/内裏へはせまいりて大王の見参に入らせ給ふと申すは、決定無有疑の経文なり。其中衆生悉是吾子なり。釈迦大王の愛子ぞかし

 

 

 

断簡二九四〔C1・文永六年〕/彼等の由。厳制頻に降る。仍って謹んで厳旨を仰ぎて、人に与同すること無し。然るに彼の輩中堂に虜(いけどり)と為り、頻に放たれんことを欲す

 

 

 

断簡二九五〔C1・文永五年〕/仏菩薩乗の離合、初後の同異を説かず。所以に須く不会を会すべし。

 

 

 

断簡二九六〔C1・弘安元年〕/くすすめ給はざりけ

 

 

 

断簡二九七〔C1・建治元年〕/□震。文永元年七月四日大彗星。此の日本国の自界叛逆難の後に他国侵逼難有るべき瑞相なり。□に□仏滅後一千四百三十余年の間一閻浮提の内

 

 

 

断簡二九八〔C1・文永七年〕/二乗作仏・久遠実成、重ねて之れを説くなり。涅槃経の如きは、法華の涅槃、二乗作仏・久遠実成、重ねて之れを説き□

 

 

 

断簡二九九〔C1・文永五年〕/のか。其の例如何。若し観経に制止

 

 

 

断簡三〇〇〔C1・文永五年〕/道は常・楽・我・浄。仏出世して云く「苦・空・無常・無我」等云云。仏より已後の人、苦・空・無常・無我ととなへば皆仏弟子なり。華厳宗

 

 

 

断簡三〇一〔C1・建治二年〕/妻女之れを売りて銭五百文。乃至老母も又五百文を相加ふ等云云。

 

 

 

断簡三〇二〔C1・弘安二年〕/或僧の追出の事、人はいかにも申せ、この一門は沙

 

 

 

断簡三〇三〔C1・建治二年〕/退・不退に亘る。□退失無き者は習種姓の終りか。本種姓は退すべきなり。故に不退位に解行住に属せん時は、始めの退位を以て□□住に属すべきなり。此の時には種姓住を十住に対すべからず。種姓を十住に対せん時は□□習性を皆種姓住に属すべきなり。之れに依りて玄義の第四に三十心解行と云ひながら然も十住をば習種姓と名づけたり。又了義灯にも勝解行已去を皆□種姓菩薩と名づく。此等の意に□□□習種姓をば或は種姓住にも属し、或は解行住にも属す意有るべきなり。止観の記にも「退失有ること無きは習種性なり」文。又大乗義章には本性・習性共に種姓住と為すと見えたり。又唯識述記には十三住の中の種姓住を云ふに本性住種姓と釈せり。故に習種姓は両向に取らるべきなり。習種性を種姓住に属せん時は種性住、行・向は解行住なるべし。今の釈の如し。又習種姓か解行に属する時は、三十心は解行十

 

 

 

断簡三〇四〔C1・建治二年〕/問ふ、山家大師、瑜伽論に明かす所の種姓住・解行住を引きて、別教の次位に対判して、爾も十住を以て対するは何ぞや。答ふ、釈不定なるべし。且く解行住に対する釈は明らかならず。地持・瑜伽は是れ同本異訳なり。地持論の種姓住を以て既に十住に対す。何ぞ瑜伽の解行住を以て十住に対せん。□

 

 

 

断簡三〇五〔C1・建治元年〕/故に。六には関節・広略・起尽・宗要の文を点示せんが為の故に。七には師の解を建立し淪墜せざらしめて(来世を益せんが)為の(故に。)

 

 

 

断簡三〇六〔C1・建治元年〕/国にいけどりにせらる。聖と申すは理

 

 

 

断簡三〇七〔C1・弘安二年〕/須弥山の諸山にすぐれ、月輪の衆星にこへ、日輪の灯炬等に

 

 

 

断簡三〇八〔C1・建治元年〕/なり。此の事を知るとを

 

 

 

断簡三〇九〔C1・文永九年〕/正覚。我昔坐道場等云云○正直捨方便

 

 

 

断簡三一〇〔C1・文永九年〕/道綽の弟子なり善導五五百歳の事か安楽集に云く「大集月蔵経に云く、我が末法時の中、億々の衆生起行修道すとも、未だ有らず

 

 

 

断簡三一一〔C1・建治二年〕/あるがごとし。法華経真言等を行じて即身の

 

 

 

断簡三一三〔C1・建治元年〕/及ばざりければ仏の云く、無勝童子の肩に乗りて供養すべしと云云。得勝、仏の御をしえをうけ給ひて無勝が肩に

 

 

 

断簡三一四〔C1・建治四年〕/肉眼有りと雖も名づけて仏眼と為す等□□。天台之れを承けて云く「耳・鼻の五根も例して亦是の如し」等云云。権□□□

 

 

 

断簡九九等五編断簡〔C1・文永六年〕/□人とをぼしめししかども、山門のをそれによりて、こ

 

 

 

断簡九九等五編断簡〔C1・文永六年〕/りき。建久年中、佐々木左衛門尉定

 

 

 

断簡三一七〔C1・文永七年〕/鑑公の止観・玄・文を討尋して、明らかに三観の日を覩る

 

 

 

断簡三一八〔C1・建治二年〕/宗と為す。故に可ならず。二に提婆達多品に智積菩薩、多宝如来に白して言さく、本土に還りたまふべしと。事既に未

 

 

 

断簡三一九〔C1・建治二年〕/かりしか、とし又百二十なり。仏の御誕生の時は四十・八十にて

 

 

 

断簡三二〇〔C1・建治二年〕/日蓮注して云く、一法界より非明分位に至るまでは釈摩訶衍論第五の文なり。但し論に云く、若し爾れば一法界心百非に非ざれば千是に背き、中と非中に非ざれば天と背く。天と背きぬれば演水の談足断にして止まり、審慮の量手亡にして住まる。是の如き一心を明・無明とや為ん。是の如き一心は無/尾末、標嵐を出生す。是の竜に由るが故に大海の水風、常恒に相続して断絶有ること無し。一心の竜王亦復た是くの如し。能く生一切差別平等自唱に非ずして自に契ふ。我の如く名を立つれども実我に非ず。自の如く唱を得れども実自に非ず。玄々にして又玄、遠々にして又遠。是くの如き勝処を明とや為ん無明か。是の如き

 

 

 

断簡三二一〔C1・文永五年〕/天台より以て東。日本より以て西。一切仏子、悉く皆判して邪見の徒に入る。若し途を改めざるは常不軽著法の如し

 

 

 

断簡三二二〔C1・文永七年〕/智の道を退きて久遠の営ごとを立てんには。大を以て小に与するは是れ天を楽しむる者なり。小を以て大に与するは是れも天を畏るる者なり。仁者は天を楽しむ故に天下を保つ。知者は天を畏るる故に其の国を保つ。縦ひ和親を許さざれども、報旨を遣はせらるるの条、何事か有らむや。礼の厚薄を論ぜず。志の奢侈を謂はず。父誥の令を用ゐて威譲の辞有るは、先王の嘉謨、莫巨の条善言なり。国を治むるに聖徳を以てすれば遠人盍ぞ賓従せざる。宗廟に祈請するに至誠を以てし、要害を警固するに義兵を以てし、海外区々の賊を退け、天下元々の民に令せん者か。

 

 

 

断簡三二四〔C1・文永七年〕/広開三顕一五仏の章。譬喩品の三車一車、乃至寿量品の久遠実成。是の如きを聞く者、説いて如是我聞と云ふ。故に天台大師此の文を承けて云く「如是とは所聞の法体を挙ぐなり」等云云。我等が経釈道理、皆下を指して如是と云ふか如何。答へて云く、阿難尊者八箇年の間二十八品を聞き滅如

 

 

 

断簡三二五〔C1・弘長三年〕/末代不相応ならば誰か之れを用ゐん。又何れの経文にか法華経の後々五百歳等の文を載せ、之れを会して末代不相応の経と為るや。若し経文無きに自らの会通に拘らば、豈に「若人不信毀謗此経其人命終入阿鼻獄」を招かざらんや。若し人有りて之れを軽毀して言わん。汝は狂人ならくのみ。空しく是の行を作して終に無

 

 

 

断簡三二六〔C1・建治元年〕/其の外の摩竭大魚百千里の

 

 

 

断簡三二八〔C1・建治〕/あえて法華真言等の

 

 

 

断簡三二九〔C1・正嘉二年〕/妙法蓮華経〈又名目に玄義の序の釈を載せたり。見るべし〉私に云く、妙は四性計を離るなり。故に「妙名不可思議」と云ふ。人に常に云ふべからず。又は四不可説なり。法蓮華経をば釈して後に書くべし。法とは聚集の義。倶舎論□法所・法界。四念処の法念処。此れは□当々をば法と云はず。聚集を法と云ふ。又当体を法と云ふ事は聚集の法の流類なる故なり。されば法とは十界十如の法なり。十界に二。一には正報の十界。二には依報の十界。正報の十界に二。一には衆生世間。二には五陰世間。依報の十界を具すれば三種世間なり。一界に三種世間。十界には三十種世間。

 

 

 

断簡三三〇〔C1・建治二年〕/五逆罪は無間獄に堕ちて一中劫を経、誹謗は阿鼻獄に堕ちて無量劫を経。

 

 

 

断簡三三一〔C1・建治弘安交〕/須離豈二百耶。但此菩薩已発大心。雖未断惑且名仏乗。人見仏乗便為一概。若爾牟尼説法応已摂九会五百阿羅漢。応是四菩薩世品。応是諸陀羅尼。若法若衆既其不。

 

 

 

断簡九九等五編断簡〔C1・文永六年〕/然れば則ち三井の戒壇所望、永く断じ畢んぬ。大事猶□□□□小事をや等云云。此れは長治二年に興均法師が事によりて捧ぐるところの退状なり。然るを寺門の僧綱等、竜顔にちかづきたてまつりて、戒場を当今の御時建てられなば、二世の大願成就□□よし、やうやうに申す故に正元二年〈庚申〉正月四日始めて園城寺戒壇を立つべきの勅宣くだりた□□

 

 

 

断簡三三三〔C1・建治元年〕/其の土に仏出現し給ふ。釈迦牟尼仏とがうす。頭陀第一の弟子あり。迦葉尊者と

 

 

 

断簡三三四〔C1・文永八年〕/をもひ候ひしかども□□□人用ゐ給はざる上、あ□□□□

 

 

 

断簡三三六〔C1・建治二年〕/して心を知ろしめす。此の衆生の五根を十界の塵を集めて造る物なり。

 

 

 

断簡三三七〔C1・弘長三年〕/経に具に明かすが如し。無始際より来(このかた)計りに随ふが為に、設ひ能く仏法に於て信を生ずれども但情に随ひて信を生ず。自の智境に迷ふが故に自ら実智に契ひて真信の修を起こすこと無し。故に若し廻心せざれば畢竟して成仏せず。故に設ひ復(また)衆生を教化すとも還りて能く三乗及び人天の種を得ることを成す。但一方の浄刹に住して広大法界の量虚空に等しき無し。無辺智の大十方の塵刹の色身を対現するを見るに、一切衆生根に随ひて引接して三乗分無く、但三千大千の境を見ると云ふ。又云く、華厳経は即ち是れ始めて正覚を成ぜる時頓に上根の者の為に説く。法華経即ち是れ

 

 

 

断簡三三八〔C1・文永八年〕/肝心□髻中の明珠□□□□□王の頂の珠を妙法蓮華経と為す。

 

 

 

断簡三三九〔C1・弘安元年〕/申すは「須臾聞之即得究竟」の南無妙法蓮華経これな

 

 

 

断簡三四〇〔C1・弘安〕/ひはみじかし。よはながし。ひるはなくさ□□かたし

 

 

 

断簡三四一〔C1・建治〕/或は仏所讃等云云。華厳経と申すは

 

 

 

断簡三四二〔C1・建治二年〕/法華経を信せ□□□□□子は我が母の

 

 

 

断簡三四三〔C1・文永五年・対告者不明〕/又泉殿紙三帖。泉殿にはこのふみを

 

 

 

断簡三四四〔C1・建治二年〕/定め給ふにかたりは松に

 

 

 

断簡三四五〔C1・建治三年〕/りも真言すぐれたりとならわせ給ひ、又観智儀軌・威儀形色経を持たれけり。先後相違の法門なり。善無畏三蔵も始めには法華経にてをはしけるか、後には真言にうつりて

 

 

 

断簡三四六〔C1・建治元年〕/等云云。此等の経文は又未来の事なれば、我等凡夫信ずべしともをぼへず。さ

 

 

 

一念三千名目出処勘文〔C0・文永六年・対告者不明〕/一念三千の名目出処の勘文。問うて曰く、何れの処より一念三千の名目を出だせるや。答へて曰く、止観の第五に始めて之れを出だせり。問うて曰く、其の文如何。答へて曰く、止観の第一、十章の外の章安の序に云く「此の止観は天台智者己心中所行の法門を説く」。止観の第五に云く「第七に正修止観をいはば、前の六重は修多羅に依りて以て妙解を開き、今は妙解に依りて以て正行を立つ。乃至夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具して百法界あり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千一念の心に在り。若し心無ければ而已なん。介爾も心有らば即ち三千を具す」。弘決の第五に此の文を承けて云く「夫れ一心より下は理境を結成す。乃至、当に知るべし、身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称ひて一身一念法界に遍し。○但無心に異なるは三千具足するが故なり。大師、覚意三味・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の心観の文に於ては、但自他等の観を以て三仮を推し、並びに未だ一念三千具足を云はず。乃至観心論の中にも、亦只(ただ)三六問を以て四心を責めて、亦一念三千に渉らず。唯四念処の中に、略して観心十界を云ふのみ。故に止観の正しく観法を明かすに至りて並びに三千を以て指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に云く、説己心中所行法門と。良に以へ有るなり。請ふ尋ね読まん者、心に異縁無かれ」文。今私に之れを勘ふるに、妙楽大師の料簡の如くんば、天台智者大師の弘法三十年。摩訶止観より外の玄義・文句等の章疏には一念三千の名目之れ無し。御年五十七に至りて、始めて渓州玉泉寺に於て、章安大師に対して之れを説くと料簡するなり。疑って云く、玄義の第一に云く「〈天台〉妙とは不可思議に名づく。法とは十界十如・権実の法を謂ふ」。釈籤の第一に〈妙楽〉此の文を承けて云く「略して界如を挙ぐるに具に三千を摂す」。文句の第一に云く「〈天台〉十二入を観ずるに一入に十法界を具す。一界に又十界あり。十界に各十如是あり。即ち是れ一千なり。一入既に一千なれば十二入は即ち是れ万二千の法門なり」已上。玄義の二・三等に云く「千如是」文。既に一千・二千と云へり。豈に一念三千の名目に非ずや。答へて曰く、本より答へ申すが如く、玄・文等に於て一千・二千等の名目無しと云ふには非ず。三千の名目を具すること無しと云ふなり。亦妙楽の釈籤・疏記等は論ずる所に非ず。問うて曰く、弘決の第五の料簡の文を以て、玄義・文句等に一念三千の名目無しとは、少しく其の謂はれ無きか。弘決の第五には、玄義・文句の題目を挙げて之れを嫌はざれば知んぬ。文句・玄義に有ることを成ぜん如何。答へて曰く、本書の文には、一念三千の文を料簡し了り、次に止観に対して、天台所説の一期の章疏を挙げて一念三千の名目の有無を論ずる時、覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の心観の文を挙げて、並びに未だ一念三千具足を云わずと云へり。天台所説の章疏の中、一念三千の名目無き書は、「並未云一念三千具足」の文に入れざるや。而も止観等の諸の心観の文等と云へり。諸の心観の文の内に玄・文の観心を入れざらんや。其の上止観に対して、故に止観に至りて正しく観法を明かすと云へり。汝が云ふが如くんば、故に玄・文・止観に至りて等と云ふべし。其の上亦、終窮究竟の極説と云へり。玄義・文句は御年五十七、大隋の開皇十四年四月二十日よりの所説に非ず。豈に「乃是終窮究竟極説」の内に入るべしや。其の上、止観第一には「説己心中所行法門」を引き、章安の序には「良有以也」の由の言を置けり。章安大師の所説の玄義・文句の序には、説己心中の言無しと知る等と料簡する文なり。其の上最後の料簡に云く「請ふ、尋ね読まん者は心に異縁無かれ」。此の料簡の意は、止観第五の夫一心等の文より外に天台大師道場所悟の肝心無きを、「請尋読者心無異縁」と云ふなり。若し此の文より外に玄義・文句等に一念三千の名目有りとせば、心に異縁有ることを成ぜん。其の上疏記・釈籤等に云く「若し三千に非ざれば摂すること即ち遍からず」。「縦ひ施設すること有るも事に託し法に附す」等とは、豈に玄・文等に於て一念三千の名目無しと云ふに非ずや。一千・二千等を即ち一念三千の名目なりと云はば、「摂即不遍」の失有るに非ずや。倩(つらつら)事の意を案ずるに、如来は説教五十年の間、四十余年には妙法蓮華経の名目を隠したまふ。天台大師は三十年の所説、五十七に至るまでは一念三千の名目を秘せるなり。其の上、唐土の人師等の所釈の中にも、止観第五より外には一念三千の名目無き由の勘文之れ有り。私の義に非ず。問うて曰く、止観の先六重、先四巻の間に、天台大師己心中一念三千の名目有るや。答へて曰く此れ無し。問うて曰く、其の証文如何。答へて曰く、止観の第五に云く「第七に正修止観をいはば、前の六重は修多羅に依りて以て妙解を開き、今は妙解に依りて以て正行を立つ」。妙楽大師、此の文を承けて云く「問ふ、前の五略の中に行有り解有り。因有り果有り。何が故ぞ但六重は是れ解なりと云ふや。答ふ。大意と言ふは行解・自他・因果に冠らしむ。意既に顕はし難ければ還りて行解・因果等を作して釈す。已に行果等有りと謂ふには非ず。故に大意は是れ総。余の八は是れ別なり。別は是れ別して行解・因果を釈す。釈禅波羅蜜の如き十章の初めも亦是れ大意なり。総別等の意、意亦是の如し。若し復人有りて、前の五略に依りて行を修し果を証す。能く他を利する等は、自ら是れ一途なり。即ち第三巻の初めに記するが如し。若し文の意を論ぜば但解に属す。解に属する中に於て、恐らくは解周からず。故に須く委しく名体及び摂法等を明かして、方に下の十境十乗を成ずるに勘ふべし。大意の中の如き、発心の十種同じからず、及び四の三昧に行の差別を明かすと云ふと雖も、但頭数を列ねて相を弁ずること未だ足らず。是の故に都て未だ十境十観に渉らず。方便を五に望むに、稍や行の始めに似れども、若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず。亦二十五法に歴て事に約して解を生ずるに、方て乃し正修の方便と為るに堪えたり。是の故に前の六は皆解に属す」文。亦云く「故に止観の正しく観法を明かすに至りて、並びに三千を以て指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に云く、説己心中所行法門と。良に以(ゆえ)有るなり。請ふ、尋ね読まん者心に異縁無かれ」。亦云く「若し大師の正説の文の中に就きて、義をもって三段を開せば、則ち前六重を以て序分と為し、正観果報を以て正宗と為し、起教化他を流通分と為す」。私の勘文、天台宗の観心に於て三有り。一には託事観。二には附法観。三には約行観なり。玄義・文句と止観の先四巻は託事観・附法観なり。約行観には非ず。而るに三種の観を弁へざる学者は、託事・附法観を見て約行観と思ひ誤りて、玄・文並びに止観の先四巻に略ぼ約行観有りと思へり。止観の先四巻・六重の内に、天台説己心中所行法門と云ふとも、先六重を以て序分と為すの釈を見ざることの至す所なり。問うて曰く、玄・文並びに止観の先六重が託事・附法の二観にして約行観に非ざるには、其の証拠有りや。答へて曰く、釈籤の六に云く「縦ひ施設すること有るも、事に託し法に附す」文。此の文の意は、玄義・文句の観は附法・託事なり。止観の第五巻を約行観と云ふなり。亦弘決の四に云く「亦二十五法に歴て事に約して解を生ずるに、方て乃し正修の方便と為るに堪えたり」。釈籤の第一に云く「観心とは一句を聞くに随ひて事を摂して理を成す。観境を待ちて方に修観と名づくるにあらず」。此の文の意は、止観の第五巻の十境十乗の観行の如く観境を待つこと莫きを、託事・附法と云ふなりと云へる釈なり。止観第二の四種三昧の観等は託事観なり。故に止観の第二に云く「一切の事に歴て観を成せざること無し。○香塗とは即ち無上の尸羅なり。五色蓋は五陰を観じて子縛を免る。○新浄衣とは即ち寂滅忍なり。瞋惑重積するを称して故と為す。瞋を翻して忍を起こすを新と為す」等云云。文句の第一に云く「観心の釈をいはば王は即心王。舎は即五陰。心王即ち此の舎を造す」文。止観の先四巻の観と文句等の観と之れ同じ。義例に云く「夫れ三観とは義唯三種あり。一は行に従ふ。又約行と云ふ。唯万境に於て一念心を観ず。万境殊なりと雖も妙観の理等し。陰等を観ずるが如き即ち其の意なり。二には法相に約す。又附法と云ふ。四諦五行の文に約し一念心に入れて以て円観と為すが如し。三には事相に詫す。王舎・耆闍の名の、事に従ひて立て、事を借りて観を為して、以て執情を導くが如し。即ち方等・普賢の如し。其の例識るべし」云云。

 

 

 

断簡三四八〔C1・文永五年〕/南城/檀子東依文/威王四臣子西門判義/黔夫依義/種首判文/横の一念三千〈迹門〉/縦の一念三千〈本門〉/籖の十「迹門は大通を元始と為し。本門は久遠を元始と為し。今日は初成を元始と為す」元始・要終。

 

 

 

断簡三四九〔C1・文永二年〕/本教/円教一別教。華厳経なり。頓機の為に頓法を説く。但大菩薩の教なり。経に云く「自在力を顕現す、為に円満経を説く」

 

 

 

随眠品事〔C1・建治元年〕/傍/三界九地一欲界五趣地〈自地至他化自在天〉散地地・餓・畜・人・天二離生喜楽地〈初禅〉三定生喜楽地〈二禅〉四離喜妙楽地〈三禅〉五捨念清浄地〈第四禅〉六空七識八無所九非想非々想地/┌───随逐有情/六随眠──増昏体故/愚痴/一貪・二瞋・三慢・四無明・五見・六疑/┌煩悩┌二十五有一二三四五六/頌に云く、随眠は諸有の本なり。此の差別に六有り。謂く、貪と瞋と亦慢と無明と見と及び疑となり。/先/論じて云く、前世間の差別は皆業に由りて生ずと言ふは、業は随眠に由りて方に生長することを得。随眠を離れたる業は有を感ずる能無し。/┌─上二界貪なり/七随眠一欲貪二有貪/欲界貪外門転頌に云く、六貪の異に由りて七なり。有貪は上二界なり。内門に於て転ずるが故に。解脱の想を遮んが為なり。/色無色貪内門転/十随眠/六、見異なるに由りて十なり。異とは謂く、有身見と辺執見と邪見と見取と戒禁取となり。/五見/梵に薩伽耶見と云ふ。又此には有身見と云ふ。/一身見┌─母指/我見─┴─麻指等/我々所見/二辺見二断見無見/常見有見/三邪見撥無見/撥無因果/四見取見亦劣謂勝見/五戒禁取見二一非因計因なり二非道計道なり/九十八随眠/八十八使の見惑に修の十を合して九十八/色無色三已上六。欲四已上十/苦諦─┐/集諦─┤/滅諦─┼─四諦修道五部/道諦─┤/修道─┘/苦九瞋を除く苦十具に十随眠を具す/集六身辺戒取瞋を除く集七身辺戒取を除く/上二界四諦上下八諦欲界四諦/滅六同滅七/道七〈身辺瞋を除く〉道八随眠〈身辺を除く〉/三貪・痴・慢四貪・瞋・痴・慢/六/上二界に五十六見惑欲界に三十二見惑頌に云く六は行と部と界と異なるが故に九十八を成す欲の見苦等の断に十と七と七と八と四となり謂く次のごとく具すると三と二との見と見と疑とを離するとなり色無色には瞋を除く余は等し欲に説くが如し/旧訳新訳/毘曇─┬─羅什訳薩婆多倶舎宗/成実─┘経部玄奘訳/見惑迷理惑背上使/修惑事相浮偽惑/我見辺見邪見見取見戒禁取見/頌に云く我々所と断常と撥無と劣を勝ると謂ふと因と道とに非ざるを妄りに謂ふと是れ五見の自体なり/常─無常を常と謂ふ/四顛倒楽─苦を楽と云ふ/我─無我を我と云ふ/浄─不浄を浄と云ふ/┌─数息散乱を治す/三賢├─不浄貪欲を治す一五停心─┼─慈悲嫉妬を治す/├─因縁愚痴を治す/七賢└─界方便障道を治す/二別想念住/三総想念住/天竺には阿那波那観と云ひ、漢には数息観と云ふ。入出息数・増数・減数雑乱せり。此の三失を離れたる十息を正数息と云ふ。/六妙門数・随・止・観・転・浄/頌に云く持息念は応に知るべし六種の異の相有り謂く数と随と止と観と転と浄との相の差別なり

 

 

 

四諦事〔C1・建治二年〕/五停心/三賢別想念住─苦・空・無常・無我/総想念住─同/此れより法を生ず/法具に四聖諦を観じ、十六行相を修す/四善根次の生頂亦然り/頂法/┌─下忍下中品同頂/忍法─┼─中忍中忍減縁減行七種減縁二十四数減行/└─上忍/上下八諦/苦・空・無常・無我苦・空・無常・無我/二九十八十/無色色苦諦───欲苦諦/因集生縁因集生縁/二六十二七/無色色集諦───欲集諦/滅静妙離滅静妙離二六十二七/無色色滅諦───欲滅諦/道如行出道如行出/二七十四八/無色色道諦───欲道諦/諦八諦/行二十二

 

 

 

断簡三五二〔C1・建治二年〕/擬宜(あてかうよろしきに)/誘引(こしらえひく)/弾呵/汰(えりそろう)/如是我聞/若し超八の如是に非ずんば安んぞ此の経の所聞と為さん。

 

 

 

断簡三五三〔C1・建治二年〕/│七已弁地──┬─上二界の七十二品を断ず/│└─阿羅漢向果/菩薩此の位に誓をもって習ひを扶けて生│八辟支仏地─┬─此の地は声聞無く/│└─辟支・菩薩有り/八相の先の五相│九菩薩地────菩薩一人/八相の後の三相└十仏地─────解脱分/別教┌─順解脱分未だ見・思を断ぜず/十信───三蔵の三賢・四根、通の乾恵・性地、円名字・観行に当たる/┌─順決択分/├─十住───初住に見を断ず────┐/│二住より七住に至りて思を断ず│/│八・九・十上品の塵沙を断ず├─円の相似に当たる├─十行───中品の塵沙を断ず───┤/七位│┌下品の塵沙を断ず│/└─十回向─┴又無明を伏す─────┘/十地─┬─初歓喜地決択分/等──┼─十二品無明を断ず離苦地より解脱分/妙──┴─円は十住十行の第二行に当たる/┌─見思塵沙を断ず/┌─十信──蔵の七聖、通は後の八地、別は十住・十行・十廻に当たる/│├─八信──上品の塵沙を断ず/│├─九信──中品の塵沙を断ず/│└─十信──下品の塵沙を断ず/│└─後心に無明を伏す/本門├─十住──十品の無明を断ず/├─十行──十品の無明を断ず/├─十回向─十二品の無明を断ず/├─十地──十品の無明を断ず/├─等───一品の無明を断ず└─妙─┬─一品の無明を断ず/└─法界品の無明/一二三四五六七八九十/発心住・持地住・修行住・生貴住・方便具足住・正心住・不退住・童真住・法王子住・潅頂住。

 

 

 

断簡三五四〔C1・建治二年〕/│日本┌─シタク第一修勝房/││源空├─慈悲第一阿勝房/法然├─持戒第一葉上房/│世間には智者第一法然

 

 

 

断簡三五五〔C1・建治二年〕/││┌─大日経──┐/三十年└─┼─金剛頂経──┼──真言宗/└─蘇悉地経──┘

 

 

 

断簡三五六〔C1・建長末年〕/西方肺蔵/辛(からき)味白色/鼻根金秋/不偸盗戒陀/北方腎蔵/鹹味黒色/耳根水/不邪淫戒仏

 

 

 

断簡三五七〔C1・建治元年〕/┌──三止四請/│一品半/│迹門略開三顕一動執生疑/開三顕一広開三顕一断疑生信七品半

 

 

 

断簡三五八〔C1・文永一一年〕/大日経旨帰/慈覚菩提心義に出づ/事理倶密金剛乗義。故に彼れと異なり。

 

 

 

断簡三五九〔C1・建治〕/伊尹と賢人隠叉/夏代──第十七王帝桀后末嬉(はつき)/└─竜蓬の殺/肉山脯(ほしし)林酒池三千余人/殷成湯王──討ぬ/凶三女より起こる姦/殷第三十主紂─┐妲己(たつき)┌─箕子を囚へ/└─臣──────┴─比干を殺/周第十二幽王─┬─后褒似子伯服携/└─申后宣臼〈平王なり〉

 

 

 

断簡三六〇〔C1・建治三年〕/┌─習禅篇の二/│┌道宣撰/続高僧伝巻第十七/荊州の花容に居すなり/├─徳安法師/天台智顗/┌──陳氏。穎川の人なり/孟陽公起祖の第二子なり。/父なり。/母は徐氏。

 

 

 

断簡三六一〔C1・建治〕/又云く、行大直道無留難故/最第一顕露教/│実大乗/法華経八ケ年世尊法久後要当説真実/│最極秘蜜教/天台宗雖示種々道其実為仏乗/法華一大円教/正直捨方便華厳経華厳宗正直捨方便但説無上道/│││┌─倶舎宗/││└阿含経─┤成実宗将非魔作仏悩乱我心耶/││└─律宗/││┌─法相宗/│└─方等─┤禅宗妙法蓮華経皆是真実/│└─浄土宗

 

 

 

断簡三六二〔C1・建治元年〕/第六に有領解・無領解門。第七に得記・不得記門。第八に悟有浅深門。第十に待時・不待時門。/授決集に云く三周互ひに二周を具する決。第十五/六云

 

 

 

断簡三六三〔C1・正元二年〕/頓───華/┌─阿/漸─┼─方七方便─┬─両教の二乗/└─般若└─三教の菩薩/迹因門二種涅槃─┬─有余涅槃/本果門└─無余涅槃

 

 

 

断簡三六四〔C1・建治〕/真実/又云く「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に。険径を行くに留難多きが故に」/又云く「大直道を行くに留難無きが故に」/実大乗雖示種々道其実為仏乗/法華経──八ケ年世尊法久後要当説真実/天台宗正直捨方便但説無上道

 

 

 

断簡三六五〔C1・文永一二年春・曾谷入道・大田乗明〕/仏随□所属□□弘□□□。迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申(の)べず。竜樹無著等は大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設ひ之れを申べしかども纔に以て之れを指示し、或は迹門の一分のみ之れを宣べて全く化道の始終を語らず。南岳・天台等は/第五の五百歳の一事、豈に唐捐ならんや。随って当世の為体(ていたらく)、大日本国と大蒙古国と合戦す。第五の五百歳、闘諍堅固に相当たれる/者等/一代の聖教を安置すべし、八宗の章(疏)習学すべし。/気・衆度の大難の時、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬誤を出来し、或は一部を損朽す。然れば則ち一期□□鶴林の後には、未来の弟子等必ず謬乱出来の基なり。糺調

 

 

 

南条殿御返事〔C0・弘安元年四月一四日・南条時光〕/いも・はじかみ悦びて給はり候ひ了んぬ。いまをはじめぬ事に候へば、とかく申すにをよばず候。をりふしそうそうなる事候ひし間、委細の御返事に及ばずの由候ところに候。恐々謹言/卯月十四日日蓮(花押)/南条殿御返事

 

 

 

安州出雲尼御前御書〔C1・弘安元年一二月一日・出雲尼御前〕/をば逆縁とをぼ(ほ)しめすべし。道の間いかんが候ひけん、をぼつかなしをぼつかなし。いそぎ御返事うけ給はりて心の内をはれ候ばや。恐々謹言/十二月一日日蓮(花押)/安州出雲尼御前

 

 

 

かわいどの御返事〔C1・弘安三年四月一九日・河合殿〕/人にたまたまあわせ給ふならば、むかいくさき事なりとも向かはせ給ふべし。えまれぬ事なりともえませ給へ。かまへてかまへて、この御をんかほらせ給ひて、近くは百日、とをくは三ねんつつがなくば、みうちはしづまり候べし。それより内になに事もあるならば、きたらぬ果報なりけりと、人のわらわんはずかしさよ。かしく。/卯月十九日日蓮(花押)/かわいどの御返事

 

 

 

おけ・ひさご御消息〔C0・弘安二年から四年の四月六日・対告者不明〕/おけ三・ひさく二・をしき四十枚、かしこまり給はりて候。恐々謹言。/卯月六日日蓮(花押)/御返事

 

 

 

御所御返事〔C1・弘安四年七月二七日・波木井実長〕/清酒一へいしかしこまて給はり了んぬ。これほどのよきさけ今年はみず候。へいししばら、(以下、貼り合わせ)き候はんれうにとどめて候。恐々。/七月二十七日日蓮(花押)/御所御返事

 

 

 

断簡三六六〔C1・文永〕/縉雲威恵威玄朗湛然自如来滅度至十有三世出竜樹、上者始因彼文字、広第一義諦、後嗣其学者、名法性宗也、元魏高斎間有釈恵文師、黙而得之也、授南岳大師由是有三観、(ヲヨヒテ)智者大師

 

 

 

断簡三六七〔C1・不明〕/法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑ふべから

 

 

 

断簡三六八〔C1・弘安〕/山会上釈迦仏ののらせ給ひて出現し

 

 

 

断簡三六九〔C1・文永末〕/必世乱而、天は妄語の人を守護せず。日月は地に落ち候か

 

 

 

断簡三七〇〔C1・建治弘安交〕/立真言の三部経をあがめて

 

 

 

断簡三七一〔C1・建治元年〕/失なきに大難の来たりかさなるをもって法華経の行者としるべし。しかるに日蓮

 

 

 

断簡三七二〔C1・建治〕/いとうにながされてありし時

 

 

 

断簡三七三〔C1・文永末〕/仏とき給ふ事なし。仏の初成道の時

 

 

 

断簡三七四〔C1・弘安〕/思なと其の上今殿のき心あらんたれ□は

 

 

 

断簡三七五〔C1・弘安初〕/を用ゐざれば彼の機縁に随ひてしばらく妄語をなす類

 

 

 

断簡三七六〔C1・文永建治交〕/□万諸経諸宗文也。追尋第二

 

 

 

断簡三七七〔C1・弘安初〕/思慎十異等文

 

 

 

断簡三七八〔C1・弘安・富木常忍〕/上富木入道殿御返事日蓮

 

 

 

断簡三七九〔C1・建治〕/日本東寺元祖弘法大師/釈迦□□華厳方等般若/顕教□□乳酪生蘇

 

 

 

断簡三八〇〔C1・弘安〕/せめんとせんましければ日本国をつくりたりしいざなぎ

 

 

 

断簡三八一〔C1・弘安〕/大師智恵は仏のごとく、徳は四海をなびけたり。火を水と申せども、月を

 

 

 

断簡三八二〔C1・文永建治交〕/りけり。爾前の経にして二乗仏にな

 

 

 

断簡三八三〔C1・弘安二年頃〕/〈七〉智証大師の法華尚不及の釈と弘法大師の望後

 

 

 

断簡三八四〔C1・弘安〕/し伝教は天台□と申すならば其の時

 

 

 

断簡三八五〔C1・建治弘安交〕/らむ。仏もあわれみ給

 

 

 

断簡三八六〔C1・建治・門下一般〕/嘉祥五時/十二部経/乳権/阿含十二年/実/修多羅/酪/権/般若十二年後/実/方等/生/権/浄名思益/実/熟/権/法華/実般若/涅槃┬権醍醐└実/天台難じて云く〈玄十〉、/従生蘇出熟蘇。譬万善同帰法華。従熟蘇出醍醐。譬涅槃常住教。此現文乖文。義理顛倒文

 

 

 

断簡三八七〔C1・文永建治交〕/日月のごとし。又旱魃に雨を

 

 

 

断簡三八八〔C1・弘安・南条時光〕/進上南条上野殿御返事日蓮

 

 

 

断簡三八九〔C1・文永末・富木常忍〕/進上富木殿御返事日蓮

 

 

 

断簡三九〇〔C1・文永末〕/欲求諸仏法、是人去仏道、譬如天与地。天台宗云、約性不断闡提

 

 

 

断簡三九一〔C1・文永建治交〕/毘婆沙論を釈したり。宝法師は印度へわたらず、而れども婆沙の十六字は宝□

 

 

 

米穀御書〔C6・弘安元年・南条時光〕/米穀も又々かくの如し。同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥々強盛の敵人となる。又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か。又法華の行者をやしなうは、慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし。一切衆生を利益するなればなり。故に仏舎利変じて米と成るとは是れなるべし。かかる今時分人をこれまでつかはし給ふ事うれしさ申すばかりなし。釈迦仏・地涌の菩薩、御身に入りかはらせ給ふか。其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁に従ひて起こる。是の故に一乗を説くなるべし。又治部房・下野房等来たり候はばいそぎいそぎつかはすべく候。松野殿にも見参候はばくはしくかたらせ給へ。

 

 

 

『新定』断簡九「おぼろげならずば」〔C1・建治二年頃・四条金吾〕/をぼろげならずば、御さかもり、人によりあい、よるのあるき、めこ・ずうさ(従者)なりとも心をゆるさせ給ふべからず。

 

 

 

『新定』断簡一〇「今の釈迦牟尼仏」〔C1・不明〕/今の釈迦牟尼仏是れなり。此の娑婆

 

 

 

『新定』断簡一一「うせず、七年まで」〔C1・不明〕/うせず、七年まで天台大師につか

 

 

 

『新定』断簡一二「随六宗碩学」〔C1・不明〕/随って六宗の碩学且く之れを諍ひ、終に劣ると申し怠状を捧げたり。既に申し遣わす状は是れ爾前経の説なること分明なるのみ。

 

 

 

『新定』断簡一三「善議等謝差勅使表」断片〔C1・建治三年頃〕/総じて釈迦一代の教を括りて、悉く其の趣を顕はすに通ぜざる所無く、独り諸宗に逾えて殊に一道を示す。又云く、其の中の所説、甚深の妙理なり。七箇の大寺、六宗の学生、昔より(来)未だ聞かざる所、曾て未だ見ざる所なり。三論・法相久年の争い渙焉として氷

 

 

 

『新定』断簡一四「大唐終南山」〔C1・不明〕/大唐の終り南山の豊徳寺の律宗沙門道宣、両大師の伝を造りて云く、法華三昧に入り陀羅尼門を証し法華を照了す。

 

 

 

『新定』断簡一五「闡揚云云。」〔C1・不明〕/闡揚す云云。窃かに天台の玄疏を見れば、

 

 

 

『新定』断簡一六「無量なりと申せども」〔C1・不明〕/無量なりと申せども其の詮四あり、所謂常・楽・我・浄なり、無量の外道菩提心を発して

 

 

 

行敏訴状御会通異本断簡〔C1・文永八年・良観房等(雑掌=直接訴人は行敏)〕/行敏申状に云く右八万四千の教々は而も出離の教ならざるは莫し。大小顕密の法々は而も解脱の法ならざるは莫し。乃至。一を是として諸を非とするの理、豈に然るべけん哉等云云。行敏の本師法然上人選択に云く、道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、聖道を捨て正しく浄土に帰するの文。又云く、未だ一人も得る者有らず、当今末法は是れ五濁の悪世なり、唯浄土の一門のみ有りて通入すべき

 

 

 

『新定』断簡一八「こそなけかしくて候」〔C1・不明〕/こそなげかしく候へ、又一にはかんもんあいぬとみへ候へばなげきが中にも

 

 

 

『新定』断簡二〇「すを・さとり」〔C1・不明〕/すを/さとり

 

 

 

上野殿御返事断簡〔C1・弘安四年一一月二〇日・上野殿〕/たちのかまくらへ御のぼりと申させ給へこのこめはかへしまいらせて候あいさわのれうにて候かへすがへす御心の内に心へさせ/弘安四十一月二十上野殿すぎて国

 

 

 

『新定』断簡二九〔C1・不明〕/法等並□□□□□□せん等

 

 

 

一谷入道百姓女房御書断片〔C1・建治二年五月八日・一谷入道女房〕/入道といゐめといゐ、つかうもの

 

 

 

『新定』断簡二八八「ろむる故」〔C1・不明〕/ろむる故、一切の外道

 

 

 

『新定』断簡二八九「し給事こそ」〔C1・不明〕/し給ふ事こそ不思議におぼゆれ。爾前の経々にことならば、法華経は天下第一の大妄語法華経

 

 

 

「のへひいつへし」等四行断簡〔C1・不明〕/のべひ(つ)いづべしをもいきや、あしたにのべへ出でしにはゆうべにかへらむ事のをそさををぼつかなしと、よるみざりしにはあけんあし

 

 

 

一乗要決断簡〔C1・不明〕/一乗を顕はす。而して先師の疏文は多く五性を引く

 

 

 

「顕れ俗ハ真の底」等四行断簡〔C1・弘安二年一〇月頃〕/顕はれ俗は真の底にこそと習ふは此れ問注なり。かへすがへす、わ法師ども日蓮をいやしみて故三位房がやうに無間地獄に堕つる事なかれ、堕つる事なかれ、

 

 

 

上野殿御返事断片〔C1・建治三年一月三日・上野殿〕/給ふ事、父母の子ををもうがごとし。まことに法華経の御志みへて候。くはしくは釈迦仏に申し上げ候ひ了んぬ。恐々謹言/正月三日日蓮/上野殿御返事/建治三年

 

 

 

「開善引経」等五行断簡〔C1・不明〕/開善引経云無明力大仏菩薩智之所能断果有等妙覚等覚即断荘厳引経云上士者断無上不断観師云果地非断非不断縁宜断聞如開善縁宜不断如荘厳今若依四教義三蔵果断因不断通教因時断正果地断習別教因断多分果断

 

 

 

「るを法相と三論と」等五行断簡〔C1・不明〕/るを法相と三論と地論と摂論等は経をすてて論に付ぬ。背上向下宗の天台伝教にわらわる□□なり。論の経に相違するすら猶を此れをすつ、何況人師の経に相違せんをや。但なけ

 

 

 

「乗如実道」等一行断簡〔C1・不明〕/如実の道に乗じて三有に来生し正覚を成ぜんを示す

 

 

 

「須弥山はくつる」等三行断簡〔C1・不明〕/須弥山はくづるとも、仏に妄語なし。故に聖人と申す。何に況や、法華経は正直捨方便

 

 

 

「鏡をもん」等三行断簡〔C1・不明〕/鏡をもん光をもつて今□を

 

 

 

白木御返事〔C0・不明〕/始めにて候へば、かうし(柑子)まいらせ候。先づ白木の事、悦び入り候。法華経一品読誦すべきの折紙、悦び入り候。恐々。乃時日蓮御返事

 

 

 

「志耶」等二行断簡〔C1・不明〕/志や。答ふ、此の四分宗義は大乗戒に当たる。本文に云く、若し自身のために仏道を欲求すること有らば、当に浄を尊重すべし。

 

 

 

「ゆき候わは」等四断簡貼合〔C1・不明〕/ゆき候わは/□るなるへし/三日は□/へけに

 

 

 

「ならさらんや」等一行断簡〔C1・不明〕/ならざらんや。法華経

 

 

 

「法顕伝云」等一行断簡〔C1・不明〕/法顕伝に云く、王妃の肉団を生ずること、菰の千有るがごとし。

 

 

 

「富木殿日蓮」貼合一行断簡〔C1・文永一〇年頃・富木殿〕/富木殿日蓮

 

 

 

新麦一斗御返事〔C6・身延期の五月頃・甲駿地方の檀越〕/新麦一斗、たかんな三本、油のやうな酒五升。南無妙法蓮華経と回向いたし候。

 

 

 

「ろ十枚」等一行断簡〔C1・弘安元年閏一〇月一二日か・南条時光か〕/ろ十枚給はり了んぬ。

 

 

 

「国大体」等三行断簡〔C1・弘安元年頃か・甲駿地方の檀越〕/国大体当世□□□死に了んぬ。其の時□□□子と心をあわせて□□□

 

 

 

「速出何瞰」等二行断簡〔C1・文永初期か〕/速出す。何ぞ瞰て縦横に余の術計を論ぜん。行者も亦爾り。他念を生ずること勿かれ。目連所問経に云ふが如し。譬へば○

 

 

 

「涅槃生実」等三行断簡〔C1・建治期か〕/涅槃、実滅度を生じて亦無余涅槃に求入す。是の時我余国に於て成仏を示現し而して異名有り。□彼の人、秘かに無余涅槃に求入して、然して引導令

 

 

 

「小児或は」等九行断簡〔C1・建治四年二月一三日か・松野殿〕/□(出)□□□(人け)□小児、或は病人等の□□□□をやふりとり、□□人をくらわさる□□なし。此の国存外に□□鬼となれり。経に□□□□羅刹国か鬼□□をそろしをそろしは上はな

 

 

 

「其□□」等一行断簡〔C1・不明〕/其の□□故に□□□に亘りて二

 

 

 

「三代所訳」等二行断簡〔C1・不明〕/三代の所訳は倶に本論の外□下往生の下に千金の譬之れ無し

 

 

 

「□如来之」等一行断簡〔C1・不明〕/□如来の因位に衆生に下種

 

 

 

「□□□花厳」等二行断簡〔C1・弘安元年か〕/□□□花厳経と申して仏経と申すなり。此は詮を論ずれば一言も仏説に

 

 

 

「以摩訶衍」等三行断簡〔C1・不明〕/摩訶衍を以て而して之れを授与し読誦・愛楽・恭敬・供養す。実義に達すと雖も、未だ道証を獲ず。○即ち自ら一切智人の心に慢を生ずること甚大なりと謂ふ。貢高便

 

 

 

「かして其国」等四行断簡〔C1・不明〕/かして其の国をにらめ給ふ。始終用ゐずして国人にくみとをせば、其の数々ゆへもなくひびきをこり

 

 

 

「大賢山」等二行断簡貼合〔C1・不明〕/大賢山誦妙法花□三部

 

 

 

「二十九日お」等二行断簡〔C1・不明〕/二十九日お□□□□□□二三□□□□□て

 

 

 

「罪□」二字断簡〔C1・不明〕/罪□

 

 

 

「の肝心を」等二行断簡〔C1・不明〕/の肝心を修行し習ひ玉へる上行等の□の法土現ずる時尅に相当たれり云云

 

 

 

「其宗元祖」等五行断簡〔C1・不明〕/□□□□□□□他□□等先□□□□□□金言なり。□□□二別其の宗の元祖等出□□是れなり。例せば如□□孔丘等□