2018-05-16から1日間の記事一覧

四条金吾殿御返事

〔C0・弘安二年四月二三日・四条金吾〕/なによりも人には不孝がをそろしき事に候ぞ。とののあに(兄)をとと(弟)はわれと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、かれこそ不孝のもの、とののみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、と…

四条金吾殿御返事

〔C6・弘安元年四・五月頃・四条金吾〕/鵞目一貫文給はり候ひ畢んぬ。/御所領上より給はらせ給ひて候なる事、まこととも覚えず候。夢かとあまりに不思議に覚え候。御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚えず候。其の故はとの(殿)の御身は日蓮が…

初穂御書

〔C1・弘安元年一〇月二一日・波木井実長〕/石給はりて候。御はつを(初穂)たるよし、法華経の御宝前に申し上げて候。かしこまり申すよし、げざん(見参)に入らさせ給ひ候へ。恐々。/十月二十一日日蓮(花押)/御所御返事

富木入道殿御返事

〔C0・弘安二年一〇月一日・富木常忍〕/御文、粗拝見仕り候ひ了んぬ。御状に云く、常忍の云く、記の九に云く「権を稟けて界を出づるを名づけて虚出と為す」云云。了性房云く、全く以て其の釈無し云云。/記の九に云く〈寿量品の処〉「無有虚出より昔虚為…

十月分時料御書

〔C1・弘安三年〕/十月分の時料三貫、大口一、三貫五十云云。摩訶摩耶経に云く「六百年馬鳴出で、七百年竜樹出づ」。付法蔵経に云く「第十一馬鳴、第十三竜樹」等云云。

大田殿女房御返事

〔C6・弘安元年九月二四日・大田殿女房〕/八木一石〈付十合〉。者(ていれば)大旱魃の代に、かはける物に水をほどこしては、大竜王と生まれて雨をふらして人天をやしなう。うゑたる代に、食をほどこせる人は国王と生まれて其の国ゆたかなり。過去の世に…

本尊問答抄

〔C4・弘安元年九月・浄顕房〕/問うて云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。/問うて云く、何れの経文、何れの人師の釈にか出でたるや。答ふ、法華経の第四法師品に云く「薬王、在々処々に…

上野殿御返事

〔C6・弘安元年九月一九日・南条時光〕/塩一駄はじかみ(生姜)送り給び候。/金多くして日本国の沙のごとくならば、誰かたから(宝)としてはこ(筐)のそこにおさむべき。餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば、誰か米の恩をおもくせん。今年は…

妙法比丘尼御返事

〔C6・弘安元年九月六日・妙法尼〕/御文に云く、たふかたびら(太布帷)一つ、あによめ(嫂)にて候女房のつたうと云云。又おはり(尾張)の次郎兵衛殿、六月二十二日に死なせ給ふと云云。/付法蔵経と申す経は、仏、我が滅後に我が法を弘むべきやうを説か…

芋一駄御書

〔C0・弘安元年八月一四日〕/いも一駄・はじかみ五十ぱ(把)をくりたびて候。このみのぶのやまと申し候は、にし(西)はしらねのたけ(岳)、つねにゆき(雪)をみる。ひんがし(東)にはてんしのたけ、つねにひ(日)をみる。きた(北)はみのぶのたけ、みな…

弥源太入道殿御消息

〔C6・弘安元年八月一一日・弥源太入道〕/一日の御帰路をぼつかなく候つる処に御使ひ悦び入りて候。御用事の御事共は伯耆殿の御文に書かせて候。/然るに道隆の死して身の舎利となる由の事。是れは何とも人知らず用ゐまじく候へば兎角申して詮は候…

千日尼御前御返事

〔C0・弘安元年七月二八日・千日尼〕/弘安元年〈太歳戊寅〉七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じく日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ、同じき夫の阿仏房を使ひとして送り給ふ御文に云く、女人の罪障いかがと存じ候へども、御法門に法…

妙法尼御前御返事

〔C2・弘安元年七月一四日・妙法尼〕/御消息に云く、めうほうれんぐゑきやう(妙法蓮華経)をよる(夜)ひる(昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろく、かたちもそむせずと云云…

時光殿御返事

〔C4・弘安元年七月八日・南条時光〕/むぎ(麦)のしろきこめ一駄、はじかみ(薑)送り給び了んぬ。/こくぼん(斛飯)王の太子あなりち(阿那律)と申す人は、家にましましし時は俗性は月氏国の本主、てんりん(転輪)聖王のすゑ、師子けう(頬)王のまご(孫)…

窪尼御前御返事

〔C2・弘安元年七月七日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/しなじなのものをくり給びて法華経にまいらせて候。/抑日本国の人を皆やしないて候よりも、父母一人やしないて候は功徳まさり候。日本国の皆人をころして候は七大地獄に堕ち候。父母をころせる人は第八の…

妙法尼御前御返事

〔C6・弘安元年七月三日・妙法尼〕/先づ法華経につけて御不審をたてて其の趣を御尋ね候事、ありがたき大善根にて候。須弥山を他方の世界へつぶてになぐる人よりも、三千大千世界をまりの如くにけあぐる人よりも、無量の余の経典を受け持ちて人に説…

窪尼御前御返事

〔C4・弘安元年六月二七日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/すず(種々)の御供養送り給び候ひ了んぬ。大風の草をなびかし、いかづちの人をおどろかすやうに候よ(世)の中に、いかにいままで御しんよう(信用)の候ひけるふしぎ(不思議)さよ。ね(根)ふかけれ…

兵衛志殿御返事

〔C0・弘安元年六月二六日・池上宗長〕/みそをけひとつ給はり了んぬ。はらのけ(下痢)はさゑもん殿の御薬になをりて候。又このみそ(味噌)をなめて、いよいよ心ちなをり候ひぬ。あわれあわれ今年御つつがなき事をこそ、法華経に申し上げまいらせ候へ。恐々…

中務左衛門尉殿御返事

〔C0・弘安元年六月二六日・四条金吾〕/夫れ人に二病あり。一には身の病。所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病。此の病は治水・流水・耆婆・偏鵲等の方薬をもって此れを治す。二には心の病。所謂三毒乃至八万四千の病なり。仏に有らさ…

治病大小権実違目

〔C0・弘安元年六月二六日・富木常忍〕/さへもん殿の便宜の御かたびら給はり候ひ了んぬ。今度の人々のかたがたの御さい(斎)ども、左衛門尉殿の御日記のごとく給はり了んぬと申させ給ひ候へ。太田入道殿のかたがたのもの、ときどの(富木殿)の日記…

日女御前御返事

〔C2・弘安元年六月二五日・日女御前〕/御布施七貫文送り給び畢んぬ。/属累品の御心は、仏虚空に立ち給ひて、四百万億那由他の世界にむさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞくとひざ(膝)をつめよせて頭を地につけ、…

齢六旬御書(阿仏房御返事)

〔C6・弘安四年六月三日・阿仏房〕/御状の旨委細承り候ひ畢んぬ。大覚世尊説いて曰く「生老病死生住異滅」等云云。既に生を受けて齢六旬に及ぶ。老又疑ひ無し。只残る所は病死の二句なるのみ。然るに正月より今月六月一日に至り、連々此の病息むこと無し。…

兵衛志殿御返事

〔C0・弘安元年五月頃・池上宗長〕/御ふみにかかれて候上、大にのあざり(阿闍梨)のかたり候は、ぜに十余れん並びにやうやうの物ども候ひしかども、たうじはのうどき(農時)にて□□□□人もひきたらぬよし□□□も及び候はざりけ□□□□兵衛志殿の御…

持妙尼御前御返事

〔C4・建治二年五月二四日・持妙尼(高橋殿後家尼)〕/八木(こめ)二俵送り給び候ひ了んぬ。度々の御志申し尽くし難く候。夫れ水は寒積れば氷と為る、雪は年累なりて水精と為る。悪積れば地獄となる、善積れば仏となる。女人は嫉妬かさなれば毒蛇とな…

霖雨御書

〔C0・建治三年五月二二日・覚性房〕/山中のながきあめ(霖雨)、つれづれ申すばかり候はず。えんどうかしこまりて給はり候ひ了んぬ。ことによろこぶよし、覚性房申しあげさせ給ひ候へ。恐々。/五月二十二日日蓮(花押)/御返事

窪尼御前御返事

〔C2・弘安三年五月三日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/粽(ちまき)五把・笋(たかんな)十本・千日(さけ)ひとつつ給はり了んぬ。いつもの事に候へども、ながあめ(長雨)ふりてなつ(夏)の日ながし。山はふかく、みち(路)しげければ、ふみわくる人も候はぬに、…

松野殿御返事

〔C6・弘安元年五月一日・妙法尼〕/日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給はん事疑ひなし。あらたのもしや、たのもしや。干飯一斗・古酒一筒・ちまき(角粽)・あうざし(青)・たかんな(筍)方々の物送り給びて候。草にさける花・木の皮…

華果成就御書

〔C6・弘安元年四月・浄顕房・義浄房〕/其の後なに事もうちたえ申し承はらず候。さては建治の比、故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を、山高き森にてよませ給ひて候よし悦び入りて候。/たとへば根ふかきときんば枝葉かれず。源に水あれ…

太田左衛門尉御返事

〔C6・弘安元年四月二三日・大田乗明〕/当月十八日の御状、同じき二十三日の午の剋計りに到来、軈(やが)て拝見仕り候ひ畢んぬ。御状の如く御布施鳥目十貫文・太刀一・五明(おうぎ)一本・焼香二十両給はり候。/抑専ら御状に云く「某今年は五十七に罷り…

是日尼御書

〔C1・建治三年四月一二日・是日尼〕/さどの国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎやとをもひしに、又今年来てな(菜)つみ、水くみ、たきぎこり、だん(檀)王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふで…