四条金吾殿御返事

〔C6・弘安元年四・五月頃・四条金吾〕/鵞目一貫文給はり候ひ畢んぬ。/御所領上より給はらせ給ひて候なる事、まこととも覚えず候。夢かとあまりに不思議に覚え候。御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚えず候。其の故はとの(殿)の御身は日蓮が法門の御ゆへに、日本国並びにかまくら中・御内の人々・きうだち(公達)までうけず、ふしぎ(不思議)にをもはれて候へば、其の御内にをはせむだにも不思議に候に、御恩をかうほらせ給へば、うちかへし又うちかへしせさせ給へば、いかばかり同れいどももふしぎとをもひ、上もあまりなりとをぼすらむ。さればこのたびはいかんが有るべかるらんとうたがひ思ひ候つる上、御内の数十人の人々うつた(訴)へて候へば、さればこそいかにもかなひがたかるべし。あまりなる事なりと疑ひ候ひつる上、兄弟にもすてられてをはするに、かかる御をん(恩)、面目申すばかりなし。/かの処は、とのをか(殿岡)の三倍とあそばして候上、さど(佐渡)の国のもののこれに候が、よくよく其の処をしりて候が申し候は、三箇郷の内にいかだと申すは第一の処なり。田畠はすくなく候へども、とくははかりなしと申し候ぞ。二所はみねんぐ(御年貢)千貫、一所は三百貫と云云。かかる処なりと承る。なにとなくとも、どうれいといひ、したしき人々と申し、すてはてられてわらひよろこびつるに、とのをか(殿岡)にをとりて候処なりとも、御下文は給はりたく候つるぞかし。まして三倍の処なりと候。いかにわろくとも、わろきよし人にも又上へも申させ給ふべからず候。よきところ、よきところと申し給はば、又かさねて給はらせ給ふべし。わろき処徳分なしなむど候はば、天にも人にもすてられ給ひ候はむずるに候ぞ、御心へあるべし。/阿闍世王は賢人なりしが、父をころせしかば、即時に天にもすてられ、大地もやぶれて入りぬべかりしかども、殺されし父の王、一日に五百りやう(輌)五百りやう数年が間仏を供養しまいらせたりし功徳と、後に法華経の檀那となるべき功徳によりて、天もすてがたし地もわれず、ついに地獄にをちずして仏になり給ひき。/とのも又かくのごとし。兄弟にもすてられ、同れいにもあだまれ、きうだち(公達)にもそば(側)められ、日本国の人にもにくまれ給ひつれども、去ぬる文永八年の九月十二日の子丑の時、日蓮が御勘気をかほりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出でて、さがみ(相模)のえち(依智)に御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有りしかば、梵天・帝釈もすてかねさせ給へるか。仏にならせ給はん事もかくのごとし。いかなる大科ありとも、法華経をそむかせ給はず候ひし御ともの御ほうこう(奉公)にて、仏にならせ給ふべし。例せば有徳国王の、覚徳比丘の命にかはりて釈迦仏とならせ給ひしがごとし。法華経はいのりとはなり候ひけるぞ。あなかしこあなかしこ。/いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ。御一門の御房たち又俗人等にもかかるうれしき事候はず。かう申せば今生のよく(欲)とをぼすか。それも凡夫にて候へばさも候べき上、欲をもはなれずして仏になり候ひける道の候ひけるぞ。普賢経に法華経の肝心を説いて候。「不断煩悩不離五欲」等云云。天台大師の摩訶止観に云く「煩悩即菩提生死即涅槃」等云云。竜樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれていみじきやうを釈して云く「譬へば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」等云云。小薬師は薬を以て病を治す。大医は大毒をもって大重病を治す等云云。/弘安元年〈戊寅〉十月日日蓮花押/四条金吾殿御返事