四条金吾殿御返事

〔C0・弘安二年四月二三日・四条金吾〕/なによりも人には不孝がをそろしき事に候ぞ。とののあに(兄)をとと(弟)はわれと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、かれこそ不孝のもの、とののみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、とののはぐくみ給はずは、一定不孝にならせ給はんずらんとをぼへ候。所領もひろくなりて候わば、我がりやう(領)えも下しなんどして、一身すぐるほどはぐくませ給へ。さだにも候わば、過去の父母、定めてまぼり給ふべし。日蓮がきせい(祈請)もいよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事をみ候に、申すやうにだにもふれまわせ給ふならば、なをもなをも所領もかさなり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。さきざき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、主もいかんぞをぼせしかども、わどの(吾殿)の正直の心に、主の後生をたすけたてまつらむ、とをもう心がうじやう(強盛)にしてすねん(数年)をすぐれば、かかるりしやう(利生)にもあづからせ給ふぞかし。此れは物のはし(端)なり、大果報は又来るべしとをぼしめせ。又此の法門の一門、いかなる本意なき事ありとも、みずきかずいわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にはあらず。外典三千、内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。/卯月二十三日日蓮(花押)/御返事