華果成就御書

〔C6・弘安元年四月・浄顕房・義浄房〕/其の後なに事もうちたえ申し承はらず候。さては建治の比、故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を、山高き森にてよませ給ひて候よし悦び入りて候。/たとへば根ふかきときんば枝葉かれず。源に水あれば流れかはかず。火はたきぎかくればたえぬ。草木は大地なくして生長する事あるべからず。日蓮法華経の行者となって、善悪につけて日蓮日蓮房とうたはるる此の御恩、さながら故師匠道善房の故にあらずや。日蓮は草木の如く、師匠は大地の如し。彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします。一名上行乃至四名安立行菩薩云云。末法には上行出世し給はば、安立行菩薩も出現せさせ給ふべきか。さればいね(稲)は華果成就すれども、必ず米の精大地にをさまる。故にひつぢ(再苗)おひいでて二度華果成就するなり。日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべし。あらたうとたうと。よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり。師弟相違せばなに事も成すべからず。委しくは又々申すべく候。/常にかたりあはせて、出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ。経に云く「衆に三毒有りと示し、又邪見の相を現ず、我が弟子是の如く、方便して衆生を度す」云云。前々申す如く御心得あるべく候。穴賢穴賢。/弘安元年〈戊寅〉卯月日日蓮花押/浄顕房、義浄房