2018-05-08から1日間の記事一覧

一谷入道百姓女房御書

〔C2・建治二年五月八日・一谷入道百姓女房〕/去ぬる弘長元年〈太歳辛酉〉五月十三日に御勘気をかをほりて、伊豆国伊東の郷というところに流罪せられたりき。兵衛介頼朝のながされてありしところなり。さりしかどもほどもなく同じき三年〈太歳癸亥〉…

上野殿御返事2

〔C4・建治三年五月三日・南条時光〕/さつき(五月)の二日にいも(芋)のかしら(頭)いし(石)のやうにほされて候を一駄、ふじ(富士)のうへの(上野)よりみのぶ(身延)の山へをくり給ひて候。/仏の御弟子にあなりち(阿那律)と申せし人は、天眼第一のあなりちと…

種種御振舞御書

〔C3・建治二年(春の頃)・清澄寺大衆及び安房信徒〕/去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす。日蓮が去ぬる文応元年〈太歳庚申〉に勘へたりし立正安国論すこしもたがわず符合しぬ。此の書は白楽天が…

法蓮抄

〔C2・建治元年・法蓮上人〕/夫れ以みれば法華経第四の法師品に云く「若し悪人有りて不善の心を以て、一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん、其の罪甚だ重し」等…

兄弟抄

〔C2・建治二年四月一六日・池上宗長・宗仲兄弟・同女房達〕/夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。今現に経蔵に入りて此れを見るに、後漢の永…

王舎城事(■四条金吾)

〔C3・文永一二年四月一二日・四条金吾〕/銭一貫五百文給はり候ひ了んぬ。/焼亡の事、委しく承り候事悦び入りて候。大火の事は仁王経の七難の中の第三の火難、法華経の七難の中には第一の火難なり。夫れ虚空をば剣にてきることなし。水をば火焼くこと…

こう入道殿御返事

〔C0・建治二年四月一二日・国府入道(その女房)〕/あまのり(海紫菜)のかみぶくろ(紙袋)二、わかめ(裙帯菜)十でう(帖)、こも(小藻)のかみぶくろ一、たこ(霊芝)ひとかしら(一頭)。/人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さど(佐渡)…

曾谷入道殿御返事

〔C6・文永一二年三月・曾谷入道〕/方便品の長行書き進らせ候。先に進らせ候ひし自我偈に相副へて読みたまふべし。此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり。例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天…

曾谷入道殿許御書(五綱抄)

〔C0・文永一二年三月一〇日・曾谷入道・大田乗明〕/夫れ以みれば重病を療治するには良薬を構索し、逆謗を救助するには要法には如かず。所謂時を論ずれば正像末。教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密。国を論ずれば中辺の両国。機を論ずれ…

四条金吾殿御返事2

〔C6・不明・四条金吾〕/此経難持の事。抑弁阿闍梨が申し候は、貴辺のかたらせ給ふ様に、『持つらん者は「現世安穏後生善処」と承りて、すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申し候処に、さにては無くして大難雨の如く来たり候』と云云。真…

神国王御書

〔C1・建治三年八月頃・池上宗仲〕/夫れ以みれば、日本国を亦水穂の国と云ひ、亦野馬台、又秋津島、又扶桑等云云。六十六国二島、已上六十八箇国。東西三千余里、南北は不定なり。此の国に五畿七道あり。五畿と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等なり。…

大善大悪御書

〔C2・文永一二年〕/大事には小瑞なし。大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちてをどりぬべし…

瑞相御書

〔C3・文永一二年〕/夫れ天変は衆人のおどろかし、地夭は諸人をうごかす。仏、法華経をとかんとし給ふ時、五瑞六瑞をげんじ給ふ。其の中に地動瑞と申すは大地六種に震動す。六種と申すは天台大師文句の三に釈して云く「東涌西没とは、東方は青・肝を…

立正観抄送状

〔C5・文永一一年二月二八日・最蓮房〕/今度の御使ひ誠に御志の程顕はれ候ひ了んぬ。又種々の御志慥かに給はり候ひ了んぬ。/抑承り候当世の天台宗等、止観は法華経に勝れ、禅宗は止観に勝る。又観心の大教興る時は本迹の大教を捨つと云ふ事。先づ天台一宗…

新尼御前御返事

〔C2・文永一二年二月一六日・新尼御前〕/あまのり(甘海苔)一ふくろ送り給び了んぬ。又大尼御前よりあまのり畏まり入りて候。/此の所をば身延の岳と申す。駿河の国は南にあたりたり。彼の国の浮島がはらの海ぎはより、此の甲斐国波木井郷身延の嶺へ…

可延定業御書

〔C0・文永一二年二月七日・富木尼御前〕/夫れ病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医に値ひて急に対治すれば命猶存す。何に況や軽病をや。業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況や不定業を…

富木殿御返事

〔C0・文永一二年二月七日・富木常忍〕/富木殿御返事日蓮/帷一領給はり候ひ了んぬ。夫れ仏弟子の中に、比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御斎、事かけて候ひければ、比丘袈裟をうて其のあたい(価)を仏に奉る。仏其の由来を問ひ給ひければ、しかじ…

春之祝御書

〔C0・文永一二年一月下旬・南条時光〕/春のいわい(祝)わすでに事ふり候ひぬ。/さては故なんでうどの(南条殿)はひさしき事には候はざりしかども、よろず事にふれてなつかしき心ありしかば、をろかならずをもひしに、よわひ(寿)盛んなりしに…

四条金吾殿女房御返事

〔C2・文永一二年一月二七日・四条金吾女房〕/所詮日本国の一切衆生の目をぬき神(たましい)をまどはかす邪法、真言師にはすぎず。是れは且く之れを置く。十喩は一切経と法華経との勝劣を説かせ給ふと見えたれども、仏の御心はさには候はず。一切経…

大田殿許御書

〔C0・文永一二年一月二四日・大田乗明〕/新春の御慶賀自他幸甚幸甚。/抑俗諦・真諦の中には勝負を以て詮と為し、世間・出世とも甲乙を以て先と為すか。而るに諸経諸宗の勝劣は三国の聖人共に之れを存し、両朝の群賢同じく之れを知るか。法華経と大日経と…

立正観抄

〔C5・文永一一年二月二八日頃・最蓮房〕/法華止観同異決日蓮撰/当世天台の教法を習学するの輩、多く観心修行を貴びて法華本迹二門を捨つと見えたり。今問ふ、抑観心修行と言ふは天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観・一念三千の観に依るか。…

聖人知三世事

〔C0・建治元年・富木常忍〕/聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云ふ。儒家の三皇・五帝、並びに三聖は但現在を知りて過・未を知らず。外道は過去八万・未来八万を知る。一分の聖人なり。小乗の二乗は過去未来の因果を知る。外道に勝れたる聖人なり。…

顕立正意抄

〔C5・文永一一年一二月一五日・門下全体〕/日蓮去ぬる正嘉元年〈太歳丁巳〉八月二十三日大地震を見て、之れを勘へ定めて書ける立正安国論に云く「薬師経の七難の内五難忽ちに起こりて二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、…

合戦在眼前御書

〔C1・文永一二年初頭・曾谷入道〕/先の四ケ条、既に経文の如し。第五闘諍堅固の末法は今に相当たる。随って当世を見聞するに、闘諍合戦眼前に在り。之れを以て之れを惟ふに、法□□□□□疑心。

曾谷入道殿御書

〔C2・文永一一年一一月二〇日・曾谷入道〕/自界叛逆難、他方侵逼の難すでにあひ候ひ了んぬ。之れをもってをもふに「多く他方の怨賊有りて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受く。土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文に合ひぬと覚え候。当時壱岐・対馬の土…

上野殿御返事2

〔C4・文永一一年一一月一一日・南条時光〕/聖人二管・柑子一籠・十枚・薯蕷(やまのいも)一籠・牛房一束、種々の物送り給び候。/得勝・無勝の二童子は仏に沙の餅を供養したてまつりて閻浮提三分が一の主となる。所謂阿育大王これなり。儒童菩薩は錠光仏…

主君耳入此法門免与同罪事

〔C6・文永一一年九月二六日・四条金吾〕/銭二貫文給はり了んぬ。/有情の第一の財は命にすぎず。此れを奪ふ者は必ず三途に堕つ。然れば輪王は十善の始めには不殺生、仏の小乗経の始めには五戒、其の始めには不殺生、大乗梵網経の十重禁の始めには不…

弥源太入道殿御返事

〔C6・文永一一年九月一七日・弥源太入道〕/別の事候まじ。憑み奉り候上は最後はかうと思し食し候へ。河野辺の入道殿のこひしく候に、漸く後(おく)れ進らせて其のかたみと見まいらせ候はん。さるにても候へば如何が空しかるべきや。さこそ覚え候へ。…

異体同心事

〔C6・文永一一年八月六日・駿河地方の有力檀越か〕/白小袖一つ、あつわた(厚綿)の小袖、はわき(伯耆)房のびんぎ(便宜)に鵞目一貫、並びにうけ給はりぬ。/はわき房・さど(佐渡)房等の事、あつわら(熱原)の者どもの御心ざし、異体同心なれば万…

別当御房御返事

〔C3・文永一一年四月~一一月・別当御房〕/聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあいてきかせ給ひ候へ。なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給ふべく候か。世間のり(理)をしりたる物に候へばかう申すに候。これへの別当なんどの事はゆ…