春之祝御書

〔C0・文永一二年一月下旬・南条時光〕/春のいわい(祝)わすでに事ふり候ひぬ。/さては故なんでうどの(南条殿)はひさしき事には候はざりしかども、よろず事にふれてなつかしき心ありしかば、をろかならずをもひしに、よわひ(寿)盛んなりしに、はかなかりし事、わかれかなしかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はか(墓)をば見候ひぬ。それよりのちはするが(駿河)のびん(便)にはとをもひしに、このたびくだしには人にしのびてこれへきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばず、とをりて候ひしが心にかかりて候。その心をとげんがために、此の御房は正月の内につかわして、御はか(墓)にて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候。御との(殿)の御かたみ(形見)もなし、なんどなげきて候へば、とのをとどめをかれける事よろこび入りて候。故殿は木のもと、くさむら(叢)のかげ、かよう人もなし。仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれなるらん。をもひやり候へばなんだ(涙)もとどまらず。との(殿)の法華経の行者うちぐして御はかにむかわせ給ふには、いかにうれしかるらん、いかにうれしかるらん。