こう入道殿御返事

〔C0・建治二年四月一二日・国府入道(その女房)〕/あまのり(海紫菜)のかみぶくろ(紙袋)二、わかめ(裙帯菜)十でう(帖)、こも(小藻)のかみぶくろ一、たこ(霊芝)ひとかしら(一頭)。/人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さど(佐渡)の国に候ひし時、御信用ありしだにもふしぎ(不思議)にをぼへ候ひしに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、又国もへだたり年月もかさなり候へば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろ(色)をあらわし、こう(功)をつませ給ふ事、但一生二生の事にはあらざるか。此の法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、め(女)となりなんどしてこそ信ぜさせ給ふなれ。しかるに御子もをはせず、但をや(親)ばかりなり。「其中衆生悉是吾子」の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国(なかつくに)に候か。宿善たうとく候。又蒙古国の日本にみだれ入る時はこれへ御わたりあるべし。又子息なき人なれば御とし(齢)のすへ(末)には、これへとをぼしめすべし。いづくも定めなし。仏になる事こそつゐのすみか(栖)にては候へと、をもひ切らせ給ふべし。恐々謹言。/卯月十二日日蓮(花押)/こう(国府)の入道殿御返事