異体同心事

〔C6・文永一一年八月六日・駿河地方の有力檀越か〕/白小袖一つ、あつわた(厚綿)の小袖、はわき(伯耆)房のびんぎ(便宜)に鵞目一貫、並びにうけ給はりぬ。/はわき房・さど(佐渡)房等の事、あつわら(熱原)の者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚え候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。其の上貴辺は、多年としつもりて奉公法華経にあつくをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給ふよし人々も申し候。又かれらも申し候。一々に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。御文はいそぎ御返事申すべく候ひつれども、たしかなるびんぎ(便宜)候はで、いままで申し候はず。べんあさり(弁阿闍梨)がびんぎ、あまりそうそうにてかきあへず候ひき。/さては各々としのころいかんがとをぼしつる。もうこ(蒙古)の事すでにちかづきて候か。我が国のほろびん事はあさましけれども、これだにもそら事になるならば、日本国の人々いよいよ法華経を謗して、万人無間地獄に堕つべし。かれだにもつよるならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん。譬へば灸治(やいと)をしてやまい(病)をいやし、針治(はりたて)にて人をなをすがごとし。当時はなげくとも後は悦びなり。日蓮法華経の御使ひ、日本国の人々は大族王の一閻浮提の仏法を失ひしがごとし。蒙古国は雪山の下王のごとし、天の御使ひとして法華経の行者をあだむ人々を罰せらるるか。又、現身に改悔ををこしてあるならば、阿闍世王の仏に帰して白癩をやめ、四十年の寿をのべ、無根の信と申す位にのぼりて、現身に無生忍をえたりしがごとし。恐々謹言。/八月六日日蓮花押