曾谷入道殿御返事

〔C6・文永一二年三月・曾谷入道〕/方便品の長行書き進らせ候。先に進らせ候ひし自我偈に相副へて読みたまふべし。此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり。例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随ひて別々なり。此の経の文字は盲眼の者は之れを見ず、肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る。仏は一々の文字を金色の釈尊と御覧有るべきなり。即持仏身とは是れなり。されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり。唯相構へて相構へて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし。「心の師とはなるとも心を師とせざれ」とは六波羅蜜経の文ぞかし。委細は見参の時を期し候。恐々謹言。/文永十二年三月日日蓮花押/曾谷入道殿