富木殿御返事

〔C0・文永一二年二月七日・富木常忍〕/富木殿御返事日蓮/帷一領給はり候ひ了んぬ。夫れ仏弟子の中に、比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御斎、事かけて候ひければ、比丘袈裟をうて其のあたい(価)を仏に奉る。仏其の由来を問ひ給ひければ、しかじかとありのままに申しけり。仏云く、袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり。このあたひ(価)をば我ほうじがたしと辞退しましましかば、此の比丘申すは、さてこの袈裟あたひをばいかんがせんと申しければ、仏の云く、汝が悲母有りや不や。答へて云く、有り。仏云く、此の袈裟をば汝母に供養すべし。此の比丘、仏に云く、仏は此の三界の中第一の特尊なり。一切衆生の眼目にてをはす。設ひ十方世界を覆ふ衣なりとも、大地にしく袈裟なりとも、能く報じ給ふべし。我が母は無智なる事牛のごとし。羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜん云云。仏返詰して云く、汝が身をば誰か生みしぞや。汝が母これを生む。此の袈裟の恩報じぬべし等云云。/此れは又、齢九旬にいたれる悲母の、愛子にこれをまいらせさせ給ふ。而して我と老眼をしぼり、身命を尽くせり。我子の身として此の帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか。日蓮又ほうじがたし。しかれども又返すべきにあらず。此の帷をきて日天の御前にして、此の子細を申す上は、定めて釈梵諸天しろしめすべし。帷一なれども十方の諸天此れをしり給ふべし。露を大海によせ、土を大地に加ふるがごとし。生々に失せじ、世々にくちざらむかし。恐々謹言。/二月七日日蓮(花押)