2018-05-08から1日間の記事一覧

大井荘司入道御書

〔C6・建治二年二月・大井荘司入道〕/柿三本・酢一桶・くくたち・土筆給はり候ひ畢んぬ。/唐土に天台山と云ふ山に竜門と申して百丈の滝あり。此の滝の麓に、春の初めより登らんとして多くの魚集まれり。千万に一も登ることを得れば竜となる。魚、竜と成ら…

松野殿御消息

〔C2・建治二年二月一七日・松野殿〕/柑子一籠・種々の物送り給び候。/法華経第七の巻薬王品に云く「衆星の中に月天子最も為れ第一なり。此の法華経も亦復是の如し。千万億種の諸の経法の中に於て最も為れ照明なり」云云。文の意は、虚空の星は或は半里、…

南条殿御返事

〔C4・建治二年一月一九日・南条時光〕/はるのはじめの御つかひ、自他申しこ(籠)めまいらせ候。さては給はるところのすずの物の事、もちゐ七十まい・さけひとつつ・いもいちだ・河のりひとかみぶくろ・だいこんふたつ(二把)・やまのいも七ほん等な…

清澄寺大衆中

〔C3・文永一二年一月一一日・清澄寺大衆中〕/新春の慶賀自他幸甚幸甚。去年来たらず如何。定めて子細有らんか。/抑参詣を企て候へば、伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。是の如きは真言師蜂起の故に之れを申す。又止観…

白米和布御書

〔C0・文永一〇年七月以降文永一一年五月以前〕/白米五升・和布一連給はり了んぬ。阿育大王は昔得勝童子なり。沙の餅を以て仏に供養し一閻浮提の王と為る。今の施主は白米五升を以て法華経に供養す。豈に成仏せざらんや。何に況や飢ゑたる世をや云云。/乃…

減劫御書

〔C0・建治二年・西山殿〕/減劫と申すは、人の心の内に候貪・瞋・痴の三毒が、次第に強盛になりもてゆくほどに、次第に人のいのちもつづまり、せいもちいさくなりもてまかるなり。/漢土・日本国は仏法已前には三皇・五帝・三聖等の外経をもて、民の心…

上野殿御消息

〔C6・建治元年・南条時光〕/三世の諸仏の世に出でさせ給ひても、皆々四恩を報ぜよと説き、三皇・五帝・孔子・老子、顔回等の古への賢人は四徳を修せよとなり。/四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、三には友に合ふて礼あるへ…

除病御書

〔C6・建治元年一一月以降から二年始め頃・大田乗明〕/其の上日蓮の身並びに弟子等、過去謗法の重罪未だ尽きざるの上、現在多年の間謗法の者と為り、亦謗法の国に生まる。当時信心深からざるか、豈に之れを脱れんや。但し貴辺此の病を受くるの理、或…

強仁状御返事

〔C0・文永一一年一二月二六日・強仁上人〕/強仁上人十月二十五日の御勘状、同十二月二十六日に到来す。此の事余も年来欝訴する所なり。忽ちに返状を書きて自他の疑氷を釈かんと欲す。但し歎ずるは田舎に於て邪正を決せば、暗中に錦を服して遊行し、澗底…

観心本尊得意抄

〔C6・弘安元年一一月二三日・富木常忍〕/鵞目一貫文、厚綿の白小袖一つ、筆十管、墨五丁給はり畢んぬ。/身延山は知ろし食す如く冬は嵐はげしく、ふり積む雪は消えず、極寒の処にて候間、昼夜の行法もはだうすにては堪へ難く辛苦にて候に、此の小袖を…

尊霊御菩提御書

〔C1・建治元年一一月・富木常忍〕/尊霊の御菩提疑ひ無き者か。「時に適ふのみ」等の釈は此の意か。大田殿・次郎入道殿の御事は観心の法門の時申すべし。大田殿御所労の事、之れを歎くと雖もはた又転重

太田入道殿御返事

〔C2・建治元年一一月三日・大田乗明〕/貴札之れを開きて拝見す。御痛みの事、一には歎き、二には悦びぬ。維摩詰経に云く「爾の時に長者維摩詰自ら念へらく、疾みて床に寝ぬ。爾の時に仏文殊師利に告げたまはく、汝維摩詰に行詣して疾を問へ」云云。大涅…

蒙古使御書

〔C6・建治元年九月・西山殿〕/鎌倉より事故なく御下りの由承り候ひて、うれしさ申す計りなし。/又蒙古の人の頸を刎られ候事承り候。日本国の敵にて候念仏・真言・禅・律等の法師は切られずして、科なき蒙古の使ひの頸を刎ねられ候ひける事こそ不便に候へ…

御衣並単衣御書

〔C0・文永七年九月二八日・富木常忍〕/御衣の布、並びに御単衣給はり候ひ了んぬ。鮮白比丘尼と申せし人は、生まれさせ給ひて御衣をたてまつりたりけり。生長するほどに次第にこの衣大になりけり。後に尼とならせ給ひければ法衣となりにけり。ついに法…

阿仏房尼御前御返事

〔C6・建治二年九月三日・阿仏房尼御前〕/御文に云く「謗法の浅深軽重に於ては罪報如何なるや」云云。夫れ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり。然りといへども、信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ。「若し人信ぜずして斯の経…

単衣抄

〔C6・建治元年八月〕/単衣一領送り給び候ひ畢んぬ。/棄老国には老者をすて、日本国には今法華経の行者をすつ。抑此の国開闢より天神七代・地神五代・人王百代あり。神武より已後九十代、欽明より仏法始まりて六十代、七百余年に及べり。其の中に父母を…

妙心尼御前御返事

〔C4・建治元年八月二五日・妙心尼(高橋六郎入道妻)〕/すずの御志送り給び候ひ了んぬ。をさなき人の御ために御まぼりさづけまいらせ候。この御まぼりは、法華経のうちのかんじん、一切経のげんもくにて候。たとへば、天には日月、地には大王…

妙心尼御前御返事

〔C3・建治元年八月一六日・妙心尼(高橋六郎入道妻)〕/あわしがき二籠・なすび一こ給はり候ひ了んぬ。/入道殿の御所労の事、唐土に黄帝・扁鵲と申せしくすしあり、天竺に持水・耆婆と申せしくすしあり。これらはその世のたから、末代のくすしの師なり。…

乙御前御消息

〔C6・建治元年八月四日・乙御前母尼(日妙聖人)〕/漢土にいまだ仏法のわたり候はざりし時は、三皇・五帝・三王、乃至、太公望・周公旦・老子・孔子つくらせ給ひて候ひし文を、或は経となづけ、或は典等となづく。此の文を披きて人に礼儀をおしへ、父…

高橋殿女房御返事

〔C4・建治元年七月二六日・高橋六郎入道妻〕/瓜一籠、ささげひげこ、えだまめ、ねいも、かうのうり給はり候ひ了んぬ。/付法蔵経と申す経には、いさごのもちゐを仏に供養しまいらせしわらは、百年と申せしに一閻浮提の四分が一の王となる。所謂阿…

四条金吾殿御返事2

〔C6・建治元年七月二二日・四条金吾〕/態と御使ひ喜び入りて候。又柑子五十・鵞目五貫文給はり候ひ畢んぬ。各々御供養と云云。/又御文の中に云く「去ぬる十六日に有る僧と寄り合ひて候時、諸法実相の法門を申し合ひたり」と云云。今経は出世の本懐、一切…

高橋入道殿御返事

〔C2・建治元年七月一二日・高橋六郎入道〕/進上高橋入道殿御返事日蓮/我等が慈父大覚世尊は、人寿百歳の時中天竺に出現しましまして、一切衆生のために一代聖教をとき給ふ。仏在世の一切衆生は過去の宿習有りて仏に縁あつかりしかば、すでに得道成り…

大学三郎殿御書

〔C0・建治元年七月二日・大学三郎〕/外道には天・人・畜の三善道を明かし、鬼道の有無之れを論じて、地獄道は其の沙汰無し。小乗経には六道の因果を明かして、四聖は以て分明ならず。倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明かす是れなり。三…

南条殿御返事

〔C2・建治元年七月二日・南条時光〕/白麦一俵・小白麦一俵・河のり五でふ送り給び了んぬ。仏の御弟子に阿那律尊者と申せし人は、をさなくしての御名をば如意と申す。如意と申すは心のおもひのたからをふらししゆへなり。このよしを仏にとひまいらせ給…

浄蓮房御書

〔C5・建治元年六月二七日・浄蓮上人〕/細美帷一つ送り給び候ひ畢んぬ。/善導和尚と申す人は漢土に臨と申す国の人なり。幼少の時、密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが、彼の僧は法華経と浄名経を尊重して、我も読誦し人をもすすめしかば、善導に…

三三蔵祈雨事

〔C0・建治元年六月二二日・西山殿〕/夫れ木をうへ候には、大風ふき候へどもつよきすけをかひぬればたうれず。本より生ひて候木なれども、根の弱きはたうれぬ。甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。すこし健(けなげ)の者も独り…

国府尼御前御書

〔C0・建治元年六月一六日・国府尼御前〕/阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なれば此の文を二人して人によませてきこしめせ。/単衣一領、佐渡の国より甲斐の国波木井の郷の内の深山まで送り給び候ひ了んぬ。法華経第四法師品に云く「人有…

撰時抄

〔C0・建治元年〕/釈子日蓮述/夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。過去の大通智勝仏は出世し給ひて十小劫が間一経も説き給はず。経に云く「一坐十小劫」。又云く「仏、時未だ至らずと知ろしめして、請ひを受けて黙然として坐したま…

妙一尼御前御消息

〔C0・建治元年五月・妙一尼〕/妙一尼御前(日蓮)/夫れ天に月なく日なくば、草木いかでか生ずべき。人に父母あり、一人もかけば子息等そだちがたし。其の上過去の聖霊は、或は病子あり、或は女子あり。とどめをく母もかいがいしからず。…

さじき女房御返事

〔C2・建治三年五月二五日・桟敷女房〕/女人は水のごとし、うつは(器)物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがはさる。女人はふね(舟)のごとし、かぢ(楫)のまかするによるべし。しかるに女人は、をとこ(夫)ぬす人なれば女人ぬす人となる。…