2018-05-07から1日間の記事一覧

真言天台勝劣事

〔C6・文永七年〕/問ふ、何なる経論に依りて真言宗を立つるや。答ふ、大日経・金剛頂経・蘇悉地経、並びに菩提心論、此の三経一論に依りて真言宗を立つるなり。/問ふ、大日経と法華経と何れか勝れたるや。答ふ、法華経は或は七重或は八重の勝なり。大日経…

善無畏三蔵抄

〔C2・文永七年・浄顕房・義浄房〕/法華経は一代聖教の肝心、八万法蔵の依りどころなり。大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は、震旦・月氏・竜宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教恒沙塵数なり。大海を硯の水とし、三千大千世界の草木を…

土木殿御返事

〔C6・文永七年・富木常忍〕/白米一ほかひ(行器)本斗六升たしかに給はり候。ときれう(斎料)も候はざりつるに悦び入り候。何事も見参にて申すべく候。/乃時花押/富木殿

止観第五之事御消息

〔C0・文永六年一二月二二日・富木常忍〕/母尼ごぜんにはことに法華経の御信心のふかくましまし候なる事、悦び候と申させ給ひ候へ。止観第五の事。正月一日辰の時此れをよみはじめ候。明年は世間怱々(そうそう)なるべきよし皆人申すあひだ、一向…

法華捨身念願抄

〔C2・文永六年一一月二八日・富木常忍〕/止観の五、正月(むつき)一日よりよみ候ひて、現世安穏後生善処と祈請仕り候。便宜に給ふべく候。本末は失(う)せて候ひしかども、これにすりよせて候。多く本入るべきに申し候。/大師講に鵞目五連給はり候ひ了…

真間釈迦仏御供養逐状

〔C6・文永七年九月二六日・富木常忍〕/釈迦仏御造立の御事。無始曠劫よりいまだ顕はれましまさぬ己心の一念三千の仏、造り顕はしましますか。はせまいりてをがみまいらせ候はばや。「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是れなり。但し仏の御開眼…

故最明寺入道見参御書

〔C1・文永六年〕/寺々を挙げ、日本国中旧寺の御帰依を捨てしめんが為に、天魔の所為たるの由、故最明寺入道殿に見参の時之れを申す。又立正安国論之れを挙ぐ。総じて日本国中の禅宗・念仏宗

法門可被申様之事

〔C0・文永七年・三位房〕/法門申さるべきやう。選択をばうちをきて、先づ法華経の第二の巻の今此三界の文を開きて、釈尊は我等が親父なり等定め了るべし。何れの仏か我等が父母にてはをはします。外典三千余巻にも忠孝の二字こそせん(詮)にて候…

安国論奥書

〔C0・文永六年一二月八日・矢木式部大夫胤家〕/文応元年〈太歳庚申〉之れを勘ふ。正嘉より之れを始め文応元年に勘へ畢る。去ぬる正嘉元年〈太歳丁巳〉八月二十三日戌亥の刻の大地震を見て之れを勘ふ。其の後文応元年〈太歳庚申〉七月十六日を以て、宿谷禅門…

六郎恒長御消息

〔C6・文永元年九月・六郎恒長〕/所詮念仏を無間地獄と云ふ義に二有り。一には念仏者を無間地獄とは、日本国一切の念仏衆の元祖法然上人の選択集に、浄土三部を除きてより以外一代聖教、所謂法華経・大日経・大般若経等一切大小の経を書き上げて「捨閉閣抛…

土木殿御消息

〔C0・文永六年六月七日・富木常忍〕/大師講の事。今月明性房にて候が、此の月はさしあい候。余人の中、せんと候人候わば申させ給へと候。貴辺如何、仰せを蒙り候はん。又御指合にて候わば他処へ申すべく候。恐々謹言。/六月七日日蓮(花押)/土木殿

問注得意抄

〔C0・文永六年五月九日・富木常忍・以下三人〕/土木入道殿日蓮/今日召し合はせ御問注の由承り候。各々御所念の如くならば、三千年に一度花さき菓なる優曇華に値へるの身か。西王母の園の桃、九千年に三度之れを得たる東方朔が心か。一期の幸ひ何事か之…

弁殿御消息

〔C0・文永一二年三月一〇日・日昭〕/千観内供の五味義、盂蘭経の疏、玄義六の本末、御随身有るべく候。文句十、少輔殿御借用有るべし。恐々謹言。/三月十日日蓮(花押)/弁殿

御輿振御書

〔C2・文永六年三月一日・三位房か〕/御文並びに御輿振(みこしふり)の日記給はり候ひぬ。悦び入りて候。中堂炎上の事其の義に候か。山門破滅の期其の節に候か。此等も其の故無きに非ず。天竺には祇園精舎・鶏頭摩寺(けいずまじ)、漢土には天台山、…

弟子檀那中御書

〔C6・文永五年一〇月一一日・日蓮弟子檀那〕/大蒙古国の簡牒(かんちょう)到来に就きて十一通の書状を以て方々へ申さしめ候。定めて日蓮が弟子檀那、流罪死罪一定ならんのみ。少しも之れを驚くこと莫れ。方々への強言申すに及ばず、是れ併しながら而…

与長楽寺書

〔C6・文永五年一〇月一一日・長楽寺〕/蒙古国調伏の事に就きて方々へ披露せしめ候ひ畢んぬ。既に日蓮、立正安国論に勘へたるが如く普合せしむ。早く邪法・邪教を捨てて実法・実教に帰すべし。若し御用ゐ無くんば今生は国を亡ぼし身を失ひ、後生には…

宿屋入道許御状

〔C6・文永五年八月二一日・宿屋左衛門入道〕/其の後書絶えて申さず不審極り無く候。抑去ぬる正嘉元年〈丁巳〉八月二十三日戌亥刻の大地震、日蓮諸経を引きて之れを勘へたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作(な)…

与多宝寺書

〔C6・文永五年一〇月一一日・多宝寺〕/日蓮、故最明寺殿に奉りたるの書、立正安国論御披見候か。未萌を知りて之れを勘へ申す処なり。既に去ぬる正月、蒙古国の簡牒(かんちょう)到来す。何ぞ驚かざらんや。此の事不審千万なり。縦ひ日蓮は悪(にく)しと雖…

与浄光明寺書

〔C6・文永五年一〇月一一日・浄光明寺〕/大蒙古国の皇帝日本国を奪ふべきの由牒状を渡す。此の事、先年立正安国論に勘へ申せし如く少しも相違せしめず。内々日本第一の勧賞に行はれるべきかと存ぜしめ候の処、剰へ御称歎に預からず候。是れ併しな…

与寿福寺書

〔C6・文永五年一〇月一一日・寿福寺〕/風聞の如くんば、蒙古国の簡牒(かんちょう)、去ぬる正月十八日慥かに到来し候ひ畢んぬ。然れば先年日蓮が勘へし書の立正安国論の如く普合せしむ。恐らくは日蓮は未萌を知る者なるか。之れを以て之れを按ずるに…

与大仏殿別当書

〔C6・文永五年一〇月一一日・大仏殿別当御房〕/去ぬる正月十八日、西戎大蒙古国より牒状到来し候ひ畢んぬ。其の状に云く「大蒙古国皇帝日本国王に書を上る。大道の行はるる其の義(ばく)たり。信を構へ睦を修す、其の理何ぞ異ならん。乃至、至元三年〈丙…

与極楽寺良観書

〔C6・文永五年一〇月一一日・良観房〕/西戎大蒙古国簡牒(かんちょう)の事に就きて鎌倉殿其の外へ書状を進らせしめ候。日蓮去ぬる文応元年の比(ころ)、勘へ申せし立正安国論の如く、毫末計りも之れに相違せず候。此の事如何。長老忍性速やかに嘲哢の心を翻…

与建長寺道隆書

〔C6・文永五年一〇月一一日・建長寺道隆〕/夫れ仏閣軒を並べ法門屋に拒(いた)る。仏法の繁栄は身毒・支那に超過し、僧宝の形儀は六通の羅漢の如し。然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣浅深を知らず。併しながら禽獣に同じ。忽ちに三徳の釈迦如来を…

与北条弥源太書

〔C6・文永五年一〇月一一日・弥源太入道〕/去月御来臨。急ぎ急ぎ御帰宅本意無く存ぜしめ候ひ畢んぬ。抑蒙古国の牒状到来の事、上一人より下万民に至るまで驚動極り無し。然りと雖も何なる故と人未だ之れを知らず。日蓮兼ねて存知せしむるの間、…

与平左衛門尉頼綱書

〔C6・文永五年一〇月一一日・平左衛門尉頼綱〕/蒙古国の牒状到来に就きて言上せしめ候ひ畢んぬ。抑先年日蓮立正安国論に之れを勘へたるが如く、少しも違はず普合せしむ。然る間重ねて訴状を以て愁欝を発かんと欲す。爰を以て諫旗を公前に飛ばし、争戟…

与宿屋入道書

〔C6・文永五年一〇月一一日・宿屋入道〕/先年勘へたるの書安国論に普合せるに就きて、言上せしめ候ひ畢んぬ。抑正月十八日、西戎大蒙古国より牒状到来すと。之れを以て之れを按ずるに、日蓮は聖人の一分に当たり候か。然りと雖も未だ御尋ねに預からず…

与北条時宗書

〔C6・文永五年一〇月一一日・北条時宗〕/謹んで言上せしめ候。抑正月十八日西戎大蒙古国の牒状到来すと。日蓮先年諸経の要文を集め之れを勘へたること立正安国論の如く少しも違はず普合しぬ。日蓮は聖人の一分に当たれり。未萌を知るが故なり。然る間…

宿屋入道再御状

〔C1・文永五年九月・宿屋左衛門入道〕/去ぬる八月の比(ころ)、愚札を進らせしむるの後、今月に至るも是非に付け返報を給はらず、欝念散じ難し。怱々の故に想亡せしむるか。軽略せらるるの故に□一行を慳むか。本文に云く「師子は少兎を蔑らず、大象を…

宿屋入道許御状

〔C6・文永五年八月二一日・宿屋左衛門入道〕/其の後書絶えて申さず不審極り無く候。抑去ぬる正嘉元年〈丁巳〉八月二十三日戌亥刻の大地震、日蓮諸経を引きて之れを勘へたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作(な)…

安国論御勘由来

〔C0・文永五年四月五日・法鑑御房〕/正嘉元年〈太歳丁巳〉八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地振。同二年〈戊午〉八月一日大風。同三年〈己未〉大飢饉。正元元年〈己未〉大疫病。同二年〈庚申〉四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招…