法門可被申様之事

〔C0・文永七年・三位房〕/法門申さるべきやう。選択をばうちをきて、先づ法華経の第二の巻の今此三界の文を開きて、釈尊は我等が親父なり等定め了るべし。何れの仏か我等が父母にてはをはします。外典三千余巻にも忠孝の二字こそせん(詮)にて候なれ。忠は又孝の家より出づとこそ申し候なれ。されば外典は内典の初門、此の心は内典にたがわず候か。人に尊卑上下はありというとも、親を孝するにはすぎずと定められたるか。釈尊は我等が父母なり。一代の聖教は父母の子を教へたる教経なるべし。其の中に天上・竜宮・天竺なんどには無量無辺の御経ましますなれども、漢土日本にはわづかに五千七千余巻なり。此等の経々の次第勝劣等は、私には弁へがたう候。而るに論師・大師・先徳には末代の人の智恵こへがたければ、彼の人々の料簡を用ゐるべきかのところに、華厳宗の五教四教、法相三論の三時二蔵、或は三転法輪。「世尊法久後要当説真実」の文は、又法華経より出でて金口の明説なり。/仏説すでに大いに分かれて二途なり。譬へば世間の父母の譲りの前判後判のごとし。はた又、世間の前判後判は如来の金言をまなびたるか。孝不孝の根本は、前判後判の用不用より事をこれり。かう立て申すならば人々さもやとをぼしめしたらん時申すべし。抑浄土の三部経等の諸宗の依経は当分四十余年の内なり。世尊は我等が慈父として未顕真実ぞと定めさせ給ふ御心は、かの四十余年の経々に付けとをぼしめししか、又説真実の言にうつれとをぼしめししか。心あらん人々御賢察候べきかとしばらくあぢわひて、よも仏程の親父の一切衆生を一子とをぼしめすが、真実なる事をすてて未顕真実の不実なる事に付けとはをぼしめさじ。/さて法華経にうつり候はんは四十余年の経々をすてて遷り候べきか、はた又かの経々並びに南無阿弥陀仏等をばすてずして遷り候べきかとをぼしきところに、凡夫の私の計(はからい)、是非につけてをそれあるべし。仏と申す親父の仰せを仰ぐべしとまつところに、仏定めて云く「正直捨方便」等云云。方便と申すは無量義経に未顕真実と申す上に以方便力と申す方便なり。以方便力の方便の内に、浄土三部経等の四十余年の一切経は一字一点も漏るべからざるか。されば四十余年の経々をすてて法華経に入らざらん人々は、世間の孝不孝はしらず、仏法の中には第一の不孝の者なるべし。故に第二譬喩品に云く「今此三界乃至雖復教詔而不信受」等云云。四十余年の経々をすてずして法華経に並べて行ぜん人々は、主師親の三人のをほせを用ゐざる人々なり。教と申すは師親のをしへ、詔と申すは主上詔勅なるべし。仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。されば四十余年の経々につきて法華経へうつらず、又うつれる人々も彼の経々をすててうつらざるは、三徳備へたる親父の仰せを用ゐざる人、天地の中に住むべき者にはあらず。この不孝の人の住処を経の次下に定めて云く「若人不信乃至其人命終入阿鼻獄」等云云。設ひ法華経をそしらずとも、うつり付かざらん人々不孝の失疑ひなかるべし。不孝の者は又悪道疑ひなし。故に仏は入阿鼻獄と定め給ひぬ。何に況や爾前の経々に執心を固くなして法華経へ遷らざるのみならず、善導が千中無一、法然が捨閉閣抛とかけるは、あに阿鼻地獄を脱るべしや。其の所化並びに檀那は又申すに及ばず。/「雖復教詔而不信受」と申すは孝に二つあり。世間の孝の孝不孝は外典の人々これをしりぬべし。内典の孝不孝は、設ひ論師等なりとも実教を弁へざる権教の論師の流れを受けたる末の論師なんどは、後生しりがたき事なるべし。何に況や末々の人々をや。涅槃経の三十四に云く「人身を受けん事は爪上の土、三悪道に堕ちん事は十方世界の土、四重五逆乃至涅槃経を謗ずる事は十方世界の土、四重五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の上の土」なんどととかれて候。末代には五逆の者と謗法の者は十方世界の土のごとしとみへぬ。されども当時五逆罪つくる者は爪の上の土、つくらざる者は十方世界の土程候へば、経文そらごとなるやうにみへ候を、くはしくかんがへみ候へば、不孝の者を五逆罪の者とは申し候か、又相似の五逆と申す事も候。さるならば前王の正法実法を弘めさせ給へと候を、今の王の権法相似の法を尊みて、天子本命の道場たる正法の御寺の御帰依うすくして、権法邪法の寺の国々に多くいできたれるは、愚者の眼には仏法繁盛とみへて、仏天智者の御眼には古き正法の寺々やうやくうせ候へば、一には不孝なるべし、賢なる父母の氏寺をすつるゆへ、二には謗法なるべし。若ししからば日本国当世は国一同に不孝謗法の国なるべし。此の国は釈迦如来の御所領。仏の左右臣下たる大梵天王第六天の魔王にたばせ給ひて、大海の死骸をとどめざるがごとく、宝山の曲林をいとうがごとく、此の国の謗法をかへんとをぼすかと勘へ申すなりと申せ。/此の上捨てられて候四十余年の経々の今に候はいかになんど、俗の難ぜば返詰して申すべし。塔をくむあししろ(足代)は塔くみあげては切りすつるなりなんど申すべし。此の譬へは玄義の第二の文に「今の大教若し起これば方便の教絶す」と申す釈の心なり。妙と申すは絶という事、絶と申す事は此の経起これば已前の経々を断止(たちやむる)と申す事なるべし。正直捨方便の捨の文字の心、又嘉祥の日出でぬるは星かくるの心なるべし。但し爾前の経々は塔のあししろなれば切りすつるとも、又塔をすり(修理)せん時は用ゐるべし。又切りすつべし。三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし。又俗の難に云く、慈覚大師の常行堂等の難、これをば答ふべし。内典の人外典をよむ、得道のためにはあらず、才学のためか。山寺の小児の倶舎の頌をよむ、得道のためか。伝教・慈覚は八宗を極め給へり。一切経をよみ給ふ。これみな法華経を詮と心へ給はん梯磴なるべし。又俗の難に云く、何にさらば御房は念仏をば申し給はぬ。答へて云く、伝教大師は二百五十戒をすて給ひぬ。時にあたりて、法華円頓の戒にまぎれしゆへなり。当世は諸宗の行多けれども、時にあたりて念仏をもてなして法華経を謗ずるゆえに、金石迷ひやすければ唱へ候はず。例せば仏十二年が間、常楽我浄の名をいみ給ひき。外典にも寒食のまつりに火をいみ、あかき物をいむ。不孝の国と申す国をば孝養の人はとをらず。此等の義なるべし。いくたびも選択をばいろはずして先づかうたつべし。又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。そのゆへは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設ひ等覚の菩薩なりともなにとかをもうべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき者につけられて候。毘沙門等は四天下の主、此等が門(かど)まぼり。又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但島の長(をさ)なるべし。長なんどにつかへん者どもに召されたり、上(かみ)なんどかく上、面目なんど申すは、かたがたせんずるところ日蓮をいやしみてかけるか。総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるう。せう(少輔)房がごとし。わ(和)御房もそれてい(其れ体)になりて天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう(条)物くるわし。定めてことば(語)つき音なんども京なめり(訛)になりたるらん。ねずみがかわほり(蝙蝠)になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみ(鼠)にもあらず。田舎法師にもあらず京法師にもにず、せう房がやうになりぬとをぼゆ。言をば但いなかことばにてあるべし。なかなかあしきやうにて有るなり。尊成とかけるは隠岐法皇の御実名か、かたがた不思議なるべし。/かつしられて候やうに、当世の高僧真言・天台等の人々の御いのりは叶ふまじきよしぜんぜん(前々)に申し候上、今年鎌倉の真言師等は去年より変成男子の法行(をこ)なはる。隆弁なんどは自歎する事かぎりなし。七八百余人の真言師、東寺・天台の大法・秘法尽くして行ぜしがついにむなしくなりぬ。禅宗・律僧等又一同に行ひしかどもかなはず。日蓮が叶ふまじと申すとて不思議なりなんど、をどし候ひしかども皆むなしくなりぬ。小事たる今生の御いのりの叶はぬを用てしるべし。大事たる後生叶ふべしや。真言宗の漢土に弘まる始めは、天台の一念三千を盗み取りて真言の教相と定めて理の本とし、枝葉たる印真言を宗と立て、宗として天台宗を立て下す条謗法の根源たるか。又華厳・法相・三論も天台宗日本になかりし時は謗法ともしられざりしが、伝教大師円宗を勘へいだし給ひて後、謗法の宗ともしられたりしなり。当世真言等の七宗の者、しかしながら謗法なれば、大事の御いのり叶ふべしともをぼへず。/天台宗の人々は我が宗は正なれども、邪なる他宗と同ずれば、我が宗の正をもしらぬ者なるべし。譬へば東に迷ふ者は対当の西に迷ひ、東西に迷ふゆへに十方に迷ふなるべし。外道の法と申すは本内道より出でて候。而れども外道の法をもて内道の敵となるなり。諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学として而も天台宗を失ふなるべし。天台宗の人々は我が宗は実義とも知らざるゆへに、我が宗のほろび、我が身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて我が宗を失ふなるべし。法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とわとなえ(唱)ずして、南無阿弥陀仏と常に唱へば、法華経を失ふ者なるべし。例せば外道は三宝を立つ、其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱へしかば、仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり。此れをもって内外のしるしとす。南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり。心には法華経の行者と存すとも、南無阿弥陀仏と申さば、傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とをもうべし。叡山の三千人は此の旨を弁へずして、王法にもすてられ叡山をもほろぼさんとするゆへに、自然に三宝に申す事叶はず等と申し給ふべし。/人不審して云く、天台・妙楽・伝教等の御釈に、我がやうに法華経並びに一切経を心えざらん者は悪道に堕つべしと申す釈やあると申さば、玄の三・籤の三の已今当等をいだし給ふべし。伝教大師、六宗の学者・日本国の十四人を呵して云く、顕戒論の下に云く「昔斉朝の光統(かうづ)を聞き、今は本朝の六統を見る。実なるかな法華の何況することや」等文。華厳・真言・法相・三論の四宗を呵して云く、依憑集に云く「新来の真言家は即ち筆受の相承を泯ぼし、旧到の華厳家は則ち影響の軌模を隠す。沈空の三論宗は弾呵の屈恥を忘れ称心の酔を覆ふ、著有の法相宗は僕陽の帰依を非(なみ)して青竜の判経を撥ふ」等云云。天台・妙楽・伝教等は、真言等の七宗の人々は設ひ戒定はまたく(全)とも、謗法のゆへに悪道脱るべからずと定められたり。何に況や禅宗・浄土宗等は勿論なるべし。されば止観は偏に達磨をこそは(破)して候めれ。而るに当世の天台宗の人々は、諸宗に得道をゆるすのみならず、諸宗の行をうばい取りて我が行とする事いかん。当世の人々ことに真言宗を不審せんか。立て申すべきやう。日本国に八宗あり。真言宗大いに分かちて二流あり。所謂東寺・天台なるべし。法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗、設ひ定恵は大乗なれども東大寺の小乗戒を持つゆへに戒は小乗なるべし。退大取小の者小乗宗なるべし。叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく、全く真言宗の戒なし。されば天台宗の円頓戒にをちたる真言宗なり等申すべし。而るに座主等の高僧名を天台宗にかりて一向真言宗によて法華宗をさぐる(下)ゆへに、叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか。/問うて云く、天台法華宗にたい(対当)して真言宗の名をけづらるる証文如何。答へて云く、学生式に云く〈伝教大師作なり〉「天台法華宗年分学生式〈一首〉。年分度者の人〈柏原先帝天台法華宗伝法者に加へらる〉。凡そ法華宗天台の年分は弘仁九年より○叡山に住せしめて、一十二年山門を出ださず両業を修学せしめん。凡そ止観業の者○凡そ遮那業の者」等云云。顕戒論縁起の上に云く「新法華宗を加へんことを請ふ表一首。沙門最澄華厳宗に二人、天台法華宗に二人」等云云。又云く「天台の業に二人〈一人大毘盧遮那経を読ましめ一人摩訶止観を読ましむ〉」。此等は天台宗の内に真言宗をば入れて候こそ候めれ。嘉祥元年六月十五日の格(きやく)に云く「右入唐廻して請益す。伝灯法師位円仁の表に(いは)く伏して天台宗の本朝に伝はることを尋ぬれば○延暦二十四年○二十五年特(ひとり)天台の年分度者二人を賜はる。一人は真言の業を習はし一人は止観の業を学す。○然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は是れ桓武天皇の崇建する所」矣等云云。叡山にをいては天台宗にたいしては真言宗の名をけづり、天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。而るに末代に及んで天台・真言両宗、中あし(悪)うなりて骨と肉と分け、座主は一向に真言となる、骨なき者のごとし。大衆は多分天台宗なり、肉なきもののごとし。仏法に諍ひあるゆへに世間の相論も出来して叡山静かならず、朝下にわづらい多し。此等の大事を内々は存すべし。此の法門はいまだをしえざりき。よくよく存知すべし。/又念仏宗法華経を背きて浄土の三部経につくゆへに、阿弥陀仏を正として釈迦仏をあなづる。真言師、大日をせん(詮)とをもうゆへに釈迦如来をあなづる。戒にをいては大小殊なれども釈尊を本とす。余仏は証明なるべし。諸宗殊なりとも釈迦を仰ぐべきか。師子の中の虫師子をくらう。仏教をば外道はやぶりがたし。内道の内に事いできたりて仏道を失ふべし。仏の遺言なり。仏道の内には小乗をもて大乗を失ひ、権大乗をもて実大乗を失ふべし。此等は又外道のごとし。又小乗・権大乗よりは実大乗・法華経の人々が、かへりて法華経をば失わんが大事にて候べし。仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに異国我が朝をほろぼさんとす。叡山の正法の失へるゆえに、大天魔日本国に出来して、法然大日等が身に入り、此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて叡山三千人に入るゆえに、師檀中不和にして御祈祷しるしなし。御祈請しるしなければ三千の大衆等檀那にすてはてられぬ。又王臣等天台・真言の学者に向かひて問うて云く、念仏・禅宗等の極理は天台・真言とは一つかととわせ給へば、名は天台・真言にかりて其の心も弁へぬ高僧天魔にぬかれて答へて云く、禅宗の極理は天台・真言の極理なり、弥陀念仏は法華経の肝心なり、なんど答へ申すなり。而るを念仏者・禅宗等のやつばらには天魔乗りうつりて、当世の天台・真言の僧よりも智恵かしこきゆえに、全くしからず禅ははるかに天台・真言に超えたる極理なり。或は云く「諸教は理深、我等衆生は解微なり。機教相違せり、得道あるべからず」なんど申すゆへに、天台・真言等の学者、王臣等檀那皆奪ひとられて御帰依なければ、現身に餓鬼道に堕ちて友の肉をはみ、仏神にいかりをなし、檀那をすそ(呪咀)し、年々に災を起こし、或は我が生身の本尊たる大講堂の教主釈尊をやきはらい、或は生身の弥勒菩薩をほろぼす。進みては教主釈尊の怨敵となり、退きては当来弥勒の出世を過(あやまたん)とくるい候か。この大罪は経論にいまだとかれず。/又此の大罪は叡山三千人の失にあらず。公家武家の失となるべし。日本一州上下万人一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓並びに天照太神等、隣国の聖人に仰せつけられて謗法をためさんとせらるるか。例せば国民たりし清盛入道王法をかたぶけたてまつり、結句は山王大仏殿をやきはらいしかば、天照太神・正八幡・山王等よりき(与力)せさせ給ひて、源頼義が末の頼朝に仰せ下して平家をほろぼされて国土安穏なりき。今一国挙りて仏神の敵となれり。我が国に此の国を領すべき人なきかのゆへに大蒙古国は起こるとみへたり。例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし。彼の国々禅宗念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ。日本国は彼の二国の弟子なり。二国のほろぼされんに、あに此の国安穏なるべしや。/国をたすけ家ををもはん人々は、いそぎ禅念の輩を経文のごとくいましめらるべきか。経文のごとくならば仏神日本国にましまさず。かれを請じまいらせんと術(すべ)はをぼろげならでは叶ひがたし。先づ世間の上下万人云く、八幡大菩薩は正直の頂(かうべ)にやどり給ふ。別のすみかなし等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはをはしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかをはせざるか。但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候へ。其の故は故最明寺入道に向かひて、禅宗は天魔のそい(所為)なるべし。のち(後)に勘文もてこれをつげしらしむ。日本国の皆人無間地獄に堕つべし。これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ。これをもって推察あるべし。それより外の小事曲ぐべしや。又聖人は言(ことば)をかざらずと申す。又いまだ顕はれざる後をしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり。此の法門のゆへに二十余所をわれ、結句流罪に及び、身に多くのきず(疵)をかをほり、弟子をあまた殺させたり。比干にもこえ、伍しそ(子胥)にもをとらず。提婆菩薩の外道に殺され、師子尊者の檀弥利王に頸をはねられしにもをとるべきか。もししからば八幡大菩薩日蓮が頂をはなれさせ給ひてはいづれの人の頂にかすみ給はん。日蓮を此の国に用ゐずばいかんがすべき、となげかれ候なりと申せ。/又日蓮房の申し候。仏菩薩並びに諸大善神をかへしまいらせん事は別の術なし。禅宗念仏宗の寺々を一つもなく失ひ、其の僧らをいましめ、叡山の講堂を造り、霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請じ入れたてまつらざらん外は、諸神もかへり給ふべからず。諸仏も此の国を扶け給はん事はかたしと申せ。