身延山御書

〔C6・建治元年八月〕/誠に身延山の栖は、ちはやふる神もめぐみを垂れ天下りましますらん。心無きしづの男しづの女までも心を留めぬべし。哀れを催す秋の暮には、草の庵に露深く、檐にすだ(集多)くささがに(蜘蛛)の糸玉を連き、紅葉いつしか色深くして、たえだえに伝ふ懸樋の水に影を移せば、名にしおふ竜田河の水上もかくやと疑はれぬ。又後ろには峨々たる深山そびへて、梢に一乗の果を結び、下枝に鳴く蝉の音滋く、前には湯々たる流水湛へて実相真如の月浮かび、無明深重の闇晴れて法性の空に雲もなし。かかる砌なれば、庵の内には昼は終日に一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜要文誦持の声のみす。伝へ聞く釈尊の住み給ひけん鷲峰を我が朝此の砌に移し置きぬ。霧立ち嵐はげしき折折も、山に入りて薪をこり、露深き草を分けて深谷に下りて芹をつみ、山河の流れもはやき巌瀬に菜をすすぎ、袂しほれて干わぶる思ひは、昔人丸が詠じける、和歌の浦にもしほ(藻汐)垂つつ世を渡る海士もかくやとぞ思ひ遣る。つくづくと浮身の有様を案ずるに、仏の法を求め給ひしに異ならず。/昔釈尊、楽法梵志としては、皮をはぎて紙とし、髄の水を取りて硯の水とし、肉を割きて墨とし、骨を摧きて筆として、下方の迦葉仏に値ひ奉りて「如法応修行、非法不応行、今世若後世、行法者安穏」云云と、此の文を伝へ給ふ。薩王子としては飢ゑたる虎の為に身を与へ、雪山童子としては半偈の為に身をなげ、尸毘王としては鳩の為に肉を秤にかけ、乞眼婆羅門には眼をくじりて取らせ給ひき。又仏、大国の王と御座し時は、宿善内に催し、月卿雲客の政をも忘れ、百官万乗に仰がれ給ふ十善の楽も風の前の灯、あだなる春の夜の夢、籬につたふ槿樺の日影をまつ程ぞかし。然るに過去の戒善いみじきに依りて、今生には大国の王たりと云へども、無常の殺鬼にさそはれて、一期空しくして後、修するところの善無くんば、阿鼻大城の炎の底に沈み、刹利も須陀もかはらぬためしにて、三熱の炎にまじはり、鉄縄五体をしばり、三熱のまろかし(弾丸)を口に入れ、阿防羅刹、三鈷のひしほこを手に取り、邪見の音をあららかにして、五体身分を取々に責むるならば、音を天に響かし叫ぶとも、地に臥して歎くとも、百官万乗も来たりて助くること無く、親類眷属も来たりて救ふこと無からん。/又錦帳の内にして、よなよなのねざめの床にして、天にあらば比翼の鳥、地に住まば連理の枝とならんと、月日を送り年を重ねて契りし妻子も、来たりて訪ふ事はあらじ、なんどと様々に思ひつづけ給ひて、自ら蔵を開きて、金銀等の七珍万宝を僧に供養し、象馬妻子を布施し、然して後大法の螺をふき、大法の鼓を撃ちて、四方に法を求め給ふ。爾の時に阿私仙人と申す仙人来たりて申しける様は、実に法を求め給ふ志御坐ば、我が云はん様に仕へ給へと云ひければ、大に悦びて山に入りては果を拾ひ、薪をこり、菜をつみ、水をくみ、給仕し給へる事千歳なり。常に御口ずさみには「情存妙法故、身心無懈惓」とぞ唱へ給ひける。文の心は、常に心に妙法を習はんと存ずる間、身にも心にも仕れどもものうき事なしと云へり。此の如くして習ひ給ひける法は即ち妙法蓮華経の五字なり。爾の時の王とは今の釈迦牟尼仏是れなり。仏の仕へ給ひて法を得給ひし事を我が朝に五七五七七の句に結び置きけり。今、如法経の時伽陀に誦する歌に「法華経を我が得し事は薪こり菜つみ水くみつかへてぞえし」。此の歌を見るに、今は我が身につみしられて哀れに覚えけるなり。/実に仏になる道は師に仕ふるには過ぎず。妙楽大師の弘決の四に云く「若し弟子有りて師の過を見さば、若しは実にも、若しは不実にも、其の心自ら法の勝利を壊失す」云云。文の心は、若し弟子あて師の過を見ば、若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、已に其の心有るは身自ら法の勝利を壊り失ふ者也云云。又止観の一に云く「如来慇懃に此の法を称歎したまへば聞く者歓喜す。常啼は東に請じ、善財は南に求め、薬王は手を焼き、普明は頭を刎らる。一日に三度恒河沙の身を捨つるとも、尚一句の力を報ずること能はず。況や両肩に荷負し百千万劫すとも、寧ろ仏法の恩を報ぜんや」云云。文の心は如来ねんごろに此の法を称歎し給へば聞く者即ち歓喜す。常啼菩薩は東に法を請ひ、善財菩薩は南に法を求め、薬王菩薩は臂を焼き、普明王は頭を刎られたり。一日に三度恒河の沙の数程身をば捨つるとも、尚一句の法恩を報ずる事あたはじ。況や二つの肩に荷負ひて百千万劫すとも、寧ろ仏法の恩を報ずる事あるべからずと云へる心なり。止観の五に云く「香城に骨を粉き、雪嶺に身を投ぐとも、亦何ぞ以て徳を報ずるに足らんや」と云へり。/弘決の四に云く「昔毘摩大国と云ふ国に狐あり。師子に追はれて逃げけるが、水もなき渇井に落ち入りぬ。師子は井を飛び越えて行きぬ。彼の狐井より上らんとすれども、深き井なれば上る事を得ざりき。既に日数を経るほどに飢死なんとす。其の時狐文を唱へて云く、禍ひなるかな。今日苦に逼められて、便ち当に命を丘井に没すべし。一切の万物皆無常なり。恨むらくは身を以て師子に飼はざることを。南無帰命十方仏、我が心の浄くして已むこと無きを表知したまへ」文。文の心は、禍ひなるかな。今日苦しみにせめられて即ち当に命を渇井に没すべし。一切の万物は皆是れ無常なり。恨むらくは身を師子に飼はざりける事を。南無帰命十方仏、我が心の浄きことを表知し給へと喚りき。爾の時に天の帝釈狐の文を唱ふる事を聞き給ひて、自ら下界に下り、井の中の狐を取り上げ給ひて、法を説き給へとの給ひければ、狐の云く、逆なるかな、弟子は上に師は下に居たる事を、と云ひければ諸天笑ひ給へり。帝釈誠にことわりと思し食して、下に居給ひて法を説き給へとの給ひければ、又狐の云く、逆なるかな。師も弟子も同座なる事を、と云ひければ、帝釈諸天の上の御衣をぬぎ重ねて高座として、登せて法を説かしむ。狐説いて云く、人有り生を楽ひ死を悪む。人有り死を楽ひ生を悪むと云云。文の心は、人有りて生くる事を楽ひて死せん事をにくみ、又人有りて死せん事を願ひて生まれん事をにくむと。此の文を狐に値ひて帝釈習ひ給ひて、狐を師として敬はせ給ひけり。/天台の御釈に云く「雪山は鬼に随ひて偈を請ひ、天帝は畜を拝して師と為す。袋臭きをもて其の金を捨つる事なかれ」と釈し給へり。されば何に賤しき者なりとも、実の法を知りたらん人をいるがせにする事あるべからず。然れば法華経の第八に云く「若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん」云云。文の心は法華経の行者のとがを、若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、云はん者は現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕つべし、と説かれたり。此等の理を思ひつづくるに、大地の上に針を立てて、大梵天宮より糸を下して、あやまたず糸の針の穴に入る事は有りとも、我等が人間に生まるる事は難し。又億々万劫不可思議劫をば過ぐるとも、如来の聖教に値ひ奉る事難し。而るに受け難き人間に生をうけ、値ひ難き聖教に値ひ奉る。設ひ聖教に値ふと云へども、悪知識に値ふならば三悪道に堕ちん事、疑ひ有るべからず。師堕つれば弟子堕つ。弟子堕つれば檀那堕つと云ふ文有り。今幸ひに一乗の行者に値ひ奉れり。皮をはぎ、肉を切り、千歳仕へざれども、恣に一念三千、十界十如、一実中道、皆成仏道の妙法を学ぶ。実に過去の宿善拙くして、末法流布の世に生まれ値はざれば未来永々を過ぐとも解脱の道難かるべし。又世間の人の有り様を見るに、口には信心深き事を云ふといへども、実に神にそむる人は千万人に一人もなし。涅槃経に云く「仏法を信ぜずして悪道に堕せん者は大地の土の如く、仏法を信じて仏に成らん者は爪上の土の如し」と説き給へるも理なり。/昔仏、摩耶の恩を報じ給はんがために、俄に人にも知られ給はずして利天へ四月十五日に昇らせ給ひて御座しけるに、五天竺の国王大臣を始めとして、あやしのしづの男しづの女までも、仏を失ひ奉りて啼き悲しみける歎き限り無く、誠に子を失ひ親にをくれたるが如し。いとをしき妻を恋ひ、男を恋ふる思ひの暗すら忍び難し。何に況や大覚世尊の三十二相八十種好紫磨金色の粧ひ厳くして、迦陵頻伽の御音を以て、一切衆生を皆仏に成し給はんと御経を説かせ給ふ。慈悲深重に御座す仏の御余波(なごり)惜しみ進らする歎き思ひ遣るに、上陽人の上陽宮に閉ぢ籠められて歎きし歎きにも勝れ、尭王の娘娥皇・女英の二人舜王に別れ奉りて歎きし歎きにも勝れ、蘇武が胡国に流されて十九年雪中に住けん思ひにも勝れたり。余りの御恋しさに木を以て仏の御形を作り奉るに、三十二相の一相をだにも作り似せ奉らず。爾の時に優填大王と申しける王、赤栴檀と云ふ木を以て利天より毘首羯摩天を請して作り奉りける仏の、利天へ本仏の御迎へに参らせ給ひけるも、優填大王の信心深き故なり。是れこそ一閻浮提に仏を作り奉りける始めなれ。/又須達長者と云ひける人あり。仏は利天に御座すが七月十五日に天竺へ下り給ふべきよし聞えければ、御儲に御堂を作らんとしけるに、御堂造るべき地を持たざりければ、波斯匿王の太子祇陀太子と云ひける人、祇陀林と云ふ苑を持ち給ひたりけるに、広四十里有りける此の苑に人太刀刀を持ちて入れば折砕ける苑なり。須達、祇陀太子に値ひ奉りて、此の苑を売らせ給へ、御堂を造らんと云ひければ、太子の給ふ様、此の苑四十里に金を厚さ四寸に敷き給はば売らんとの給ひけり。須達之れを買ふべき由を申しければ、太子の給はく、戯れにこそ云ひつれ、実には叶ふまじとの給ひけり。須達申しける様は、天子に二言なしと云ふ。争でか仮染の戯れにも虚言をし給ふべきと申して、波斯匿王に此の由を申しけり。大王の給はく、祇陀太子は我が位を継ぐべき者なり。争でか仮染の戯れにも虚言をすべきと仰せられければ、太子力なく売らせ給ひけり。須達四十里に金を四寸に敷きて買ひ取りて、悦びて御堂を造らんとしけるに、舎利弗来たりて縄をひき地をわりけるに、舎利弗空を見上げて咲ひけり。須達が云く、大聖は威儀を乱さざる理なり。いかに咲はせ給ふぞと怪み申しければ、舎利弗云く、汝此の堂を造らんとすれば六欲天に軍起こる。かかる大善根を修する者なれば、我天へこそ迎へんずれとて、互ひに諍をなす事のをかしと覚ゆるなり。汝は一期百年の後には兜率の内院に生まるべしとぞの給ひける。然して後此の堂を作り畢れり。其の名を祇園精舎と云ふ。/此の祇園精舎へ七月十五日の夜仏入らせ給ふべき由有りしかば、梵天・帝釈は利天より金銀水精の三つの橋をかけたりける。中の橋を仏は入らせ給ふに、仏の左には梵天、右には帝釈、互ひに仏に天蓋を指かけまいらせ、仏の御後には四衆八部・迦葉・迦旃延・目連・須菩提・千二百の羅漢・万二千の声聞・八万の菩薩等を引き具して下り給ひけるに、五天竺に有りと在る人、皆たえだえ(分々)に随ひて油を儲けてともしけり。万灯をともす人もあり、千灯をともす人もあり、或は百灯乃至一灯をともす人もありけるに、此に貧女と云ふ者ありけり。貧しき事譬ふべき方もなし。身に纏ふ物とては、とふ(十府)のすがごも(菅薦)にも及ばざる藤の衣計りなり。四方に馳走すとも一灯の代を求むるにあたはず。空しく歎き思ひつもれる涙油ならましかば、百千万灯にともすとも尽きじ。思ひの余りに自ら髪を切り、手づからかづら(鬘)にひねりて、油一灯にかへて、わづかにぞともしたりけるに、仏神も三宝も天神も地神も納受を垂れ給ひけるにや、藍風・毘藍風と申す大風吹きて灯を吹き消しけるに、貧女が一灯計りが残りたりける。此の光にて仏は祇園精舎へ入らせ給ひけり。/之れを以て之れを思ふに、たのしくして若干の財を布施すとも、信心よはくば仏に成らん事叶ひ難し。縦ひ貧なりとも信心強うして志深からんは、仏に成らん事疑ひ有るべからず。されば無勝徳勝と云ひける者は土の餅を仏に供養し奉りて、此の功徳に依りて閻浮提の主阿育大王と生まれて、終に八万四千の石塔を造り、国々に送り給ひ、後に菩提の素懐をとげ給ふ。されば法華経にて四十余年が程きらはれし女人も仏に成り、五逆闡提と云はれし提婆も仏になりけり。然れば、末代濁世の謗法・闡提・五逆たる僧も俗も尼も女も、此の経にて仏に成らん事疑ひ無し。然れば法華経第七に云く「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定して疑ひ有ること無けん」云云。此の文こそよによに憑も敷く候へ。/此等をさまざま思ひつづけて観念の床の上に夢を結べば、妻恋鹿の音に目をさまし、我が身の内に三諦即一、一心三観の月曇り無く澄みけるを、無明深重の雲引き覆ひつつ、昔より今に至るまで生死の九界に輪廻する事、此の砌にしられつつ自らかくぞ思ひつづけける。立ちわたる身のうき雲も晴れぬべしたえぬ御法の鷲の山風。/日蓮花押