上野殿御書

〔C6・建治元年八月一八日・南条時光〕/態と御使ひ有り難く候。夫れについては屋形造りの由、目出度くこそ候へ。何か参り候ひて移徙(わたまし)申し候はばや。/一つ棟札の事承り候。書き候ひて此の伯耆公に進らせ候。此の経文は須達長者、祇園精舎を造りき。然るに何なる因縁にやよりけん、須達長者七度まで火災にあひ候時、長者此の由を仏に問ひ奉る。仏答へて曰く、汝が眷属貪欲深き故に此の火災の難起こるなり。長者申さく、さていかんして此の火災の難をふせぎ申すべきや。仏の給はく、辰巳の方より瑞相あるべし。汝精進して彼の方に向かへ。彼方より光ささば鬼神三人来たりて云はん。南海に鳥あり、鳴忿と名づく。此の鳥の住処に火災なし。又此の鳥一つの文を唱ふべし。其の文に云く「聖主天中天、迦陵頻伽声、哀愍衆生者、我等今敬礼」云云。此の文を唱へんには、必ず三十万里が内には火災をこらじと、此の三人の鬼神かくの如く告ぐべきなり云云。須達、仏の仰せの如くせしかば、少しもちがはず候ひき。其の後火災なきと見えて候。これに依りて滅後末代にいたるまで、此の経文を書きて火災をやめ候。今以てかくの如くなるべく候。返す返す信じ給ふべき経文なり。是れは法華経の第三の巻化城喩品に説かれて候。委しくは此の御房に申し含めて候。恐々謹言。/八月十八日日蓮花押/上野殿御返事