伯耆殿御返事

〔C4・弘安二年一〇月一二日・日興・日秀・日弁〕/大体此の趣を以て書き上ぐべきか。但し熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等別に問注有るべからざるか。大進房・弥藤次入道等の狼藉の事に至りては、源(もと)行智の勧めに依りて、殺害刃傷する所なり。若し又起請文に及ぶべき事、之れを申さば全く書くべからず。其の故は、人に殺害刃傷せられたる上、重ねて起請文を書き失を守るは、古今未曾有の沙汰なり。其の上、行智の所行書かしむる如くならば、身を容るる処なく、行ふべきの罪方無きか。穴賢穴賢。/此の旨を存じ、問注の時強々と之れを申せ。定めて上聞に及ぶべきか。又行智証人を立て申さば、彼等の人々、行智と同意して百姓等が田畠数十刈り取る由、之れを申せ。若し又証文を出ださば、謀書の由之れを申せ。悉く証人・起請文を用ゐるべからず。但現証の殺害刃傷のみ。若し其の義に背く者は、日蓮の門家に非ず、日蓮の門家に非ず。恐々謹言。/十月十二日日蓮花押/伯耆殿日秀、日弁等下