窪尼御前御返事

〔C4・弘安二年一二月二七日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/しなじなのものをくり給びて候。/善根と申すは大なるによらず、又ちいさきにもよらず、国により、人により、時により、やうやうにかわりて候。譬へばくそ(糞)をほしてつきくだき、ふるいて、せんだん(栴檀)の木につくり、又、女人・天女・仏につくりまいらせて候へども、火をつけてやき候へばべちの香なし、くそくさし。そのやうに、ものをころし、ぬすみをして、そのはつを(初穂)をとりて、功徳善根をして候へども、かへりて悪となる。須達長者と申せし人は月氏第一の長者、ぎをん(祇園)精舎をつくりて、仏を入れまいらせたりしかども、彼の寺焼けてあとなし。この長者もといを(魚)をころしてあきなへて長者となりしゆへに、この寺つゐにうせにき。今の人々の善根も又かくのごとし。大なるやうなれども、あるひはいくさをして所領を給はり、或はゆへなく民をわづらはして、たから(財)をまうけて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども、仏にもならざる上、其の人々あともなくなる事なり。又、人をもわづらはさず、我が心もなをしく、我とはげみて善根をして候も、仏にならぬ事もあり。いはく、よきたねをあしき田にうゑぬれば、たねだにもなき上、かへりて損となる。まことの心なれども、供養せらるる人だにもあしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候。此れは日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまかせまいらせ候。/抑今年の事は申しふりて候上、当時はとし(歳)のさむき事、生まれて已来いまだおぼえ候はず。ゆきなんどのふりつもりて候事おびただし。心ざしある人もとぶらひがたし。御をとづれをぼろげの御心ざしにあらざるか。恐々謹言。/十二月二十七日日蓮花押/くぼの尼御前御返事