高橋殿後家尼御前御返事

〔C1・建治二年二月以前・高橋殿後家尼〕/尼御前御返事日蓮/鵞目一貫給はり候ひ了んぬ。それ、じき(食)はいろ(色)をまし、ちから(力)をつけ、いのち(命)をのぶ。ころも(衣)はさむさをふせぎ、あつさをさ(遮)え、はぢ(恥)をかくす。人にものをせ(施)する人は、人のいろをまし、ちからをそえ、いのちをつぐなり。人のためによる火をともせば人のあかるきのみならず、我が身もあかし。されば人のいろをませば我がいろまし、人の力をませば我がちからまさり、人のいのちをのぶれば我がいのちののぶなり。法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。やまいある人は法華経をくやうすれば、身のやまいう(失)すればいろまさり、ちからつ(付)きてみればものもさわ(障)らず。/ゆめうつつわ(分)かずしてこそをはすらめ。と(訪)ひぬべき人のとぶらはざるも、うらめしくこそをはすらめ。女人の御身として、をやこのわかれにみ(身)をすて、かたちをか(変)うる人すくなし。をとこ(夫)のわかれは、ひび・よるよる・つきづき・としどしかさなれば、いよいよこいしさまさり、をさなき人もをはすなれば、たれをたの(頼)みてか人ならざらんと、かたがたさこそをはすらるれば、わがみもまいりて心をもなぐさめたてまつり、又弟子をも一人つかわして御はかの/一巻の御経をもと存じ候へども、このみはしろしめされて候がごとく、上下ににくまれて候ものなり。