大尼御前御返事

〔C1・弘安二年九月二〇日・大尼御前〕/いのりなんどの仰せかうほるべしとをぼへ候はざりつるに、をほせたびて候事のかたじけなさ。かつはしなり、かつは弟子なり、かつはだんななり。御ためにはくびもきられ、遠流にもなり候へ。かわる事ならばいかでかかわらざるべき。されども此の事は叶ふまじきにて候ぞ。大がくと申す人は、ふつうの人にはにず、日蓮が御かんきの時、身をすててかたうどして候ひし人なり。此の代は城殿の御計らひなり。城殿と大がく殿は知音にてをはし候。其の故は大がく殿は坂東第一の御てかき、城介殿は御てをこのまるる人なり。/あるべからずの御ちかいとだにも候わば、法華経・釈迦仏・天照太神・大日天と大かくのじょうどのに申すべく候。これをそむかせ給わば、他のをほせはかほるとも、此の事は叶ひがたく候。我が力の及ばぬ事に候へば御うらみも有るべからず。地頭がいかんがいわずらむ、うたへすらむとの御をくびやうは、地頭だにもをそろし。ましてごくそつえんま(獄卒閻魔)王の長は十丁ばかり、面はす(朱)をさし、眼は日月のごとく、歯はまんぐわ(馬鍬)の子のやうに、くぶし(拳)は大石のごとく、大地は舟を海にうかべたるやうにうごき、声はらい(雷)のごとく、はたはたとなりわたらむには、よも南無妙法蓮華経とはをほせ候はじ。日蓮が弟子にてはをはせず。よくよく内をしたためてをほせをかほり候はん。なづき(頭悩)をわり、み(身)をせめていのりてみ候はん。たださきのいのりとをぼしめせ。これより後はのちの事をよくよく御かため候へ。恐々謹言。/九月二十日日蓮(花押)/大尼御前御返事