土木殿御返事3

〔C0・文永一〇年七月六日・富木常忍〕/鵞目二貫給はり候ひ了んぬ。太田殿と其れと二人の御心か。伊与殿は機量物にて候ぞ。今年留め候ひ了んぬ。御勘気ゆりぬ事、御歎き候べからず候。当世日本国に子細之れ有るべき由之れを存す。定めて勘文の如く候べきか。/設ひ日蓮死生不定為りと雖も、妙法蓮華経の五字の流布は疑ひ無き者か。伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす。但し定恵は存生に之れを弘め、円戒は死後に之れを顕はす。事相為る故に一重大難之れ有るか。仏滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず。当時果報を論ずれば、恐らくは伝教・天台にも超え、竜樹・天親にも勝れたるか。文理無くんば大慢豈に之れに過ぎんや。章安大師、天台を褒めて云く「天竺の大論すら尚其の類に非ず。真旦の人師何ぞ労はしく語るに及ばん。此れ誇耀に非ず、法相の然らしむるのみ」等云云。日蓮又復是の如し。竜樹・天親等尚其の類に非ず等云云。此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ。故に天台大師、日蓮を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾はん」等云云。伝教大師、当世を恋ひて云く「末法太だ近きに有り」等云云。幸ひなるかな、我が身「数数見擯出」の文に当たること、悦ばしきかな悦ばしきかな。諸人の御返事に之れを申す。故に委細は止め了んぬ。/七月六日日蓮(花押)/土木殿御返事