南部六郎三郎殿御返事

〔C4・文永一〇年八月三日・南部六郎三郎〕/鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨と申す小僧等之れ有り。之れを召して御尊み有るべし、御談義有るべし。大事の法門等粗申す。彼等は日本に未だ流布せざる大法少々之れを有す。随って御学問注し申すべきなり。/鳥跡(てがみ)飛び来たれり。不審の晴るること疾風の重雲を巻きて明月に向かふが如し。但し此の法門、当世の人上下を論ぜず信心を取り難し。其の故は仏法を修行するは「現世安穏後生善処」等云云。而るに日蓮法師、法華経の行者と称すと雖も留難多し。当に知るべし、仏意に叶はざるか等云云。/但し此の邪難先案の内、御勘気を蒙るの後始めて驚くべきに非ず。其の故は法華経の文を見聞するに、末法に入りて教の如く法華経を修行する者は留難多かるべきの由、経文赫々たり。眼有らん者は之れを見るか。所謂法華経の第四に云く「如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」。又五の巻に云く「一切世間、怨多くして信じ難し」等云云。又云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し、刀杖瓦礫を加ふる有らん」等云云。又云く「悪世の中の比丘」等云云。又云く「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在る有らん。乃至、白衣の与(ため)に法を説いて世に恭敬せらることを為(う)ること六通の羅漢の如くならん」等云云。又云く「常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲する故に、国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向かひて誹謗して我が悪を説かん」等云云。又云く「悪鬼其の身に入りて我を罵詈し毀辱せん」等云云。又云く「数数擯出せられん」等云云。大涅槃経に云く「一闡提羅漢の像を作して空閑処に住し方等大乗経典を誹謗すること有るを、諸の凡夫人見已りて皆真の阿羅漢なり是れ大菩薩なりと謂(おも)はん」等云云。又云く「正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少しく経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん。乃至、袈娑を服すと雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺ふが如し」等云云。又般泥経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有り乃至」等云云。/予此の明鏡を捧げ持ちて日本国に引き向けて之れを浮かべたるに一分も陰れ無し。「或有阿蘭若納衣在空閑」とは何人ぞや。「為世所恭敬如六通羅漢」とは何人ぞや。「諸凡夫見已皆謂真阿羅漢是大菩薩」とは此れ又誰ぞや。「持律少読誦経」とは又如何。是の経文の如く、仏、仏眼を以て末法の始めを照見したまふに、当世に当たりて此等の人々無くんば世尊の謬乱なり。此の本迹二門と双林の常住と誰人か之れを信用せん。今日蓮仏語の真実を顕はさんが為、日本に配当して此の経を読誦するに「或有阿蘭若住於空処」等と云ふは、建長寺寿福寺極楽寺建仁寺東福寺等の日本国の禅・律・念仏等の寺々なり。是等の魔寺は比叡山等の法華天台等の仏寺を破せん為に出来するなり。「納衣」、「持律」等とは当世五七九の袈裟を着たる持斎等なり。「為世所恭敬」、「是大菩薩」とは道隆・良観・聖一等なり。「世」と云ふは当世の国主等なり。「有諸無智人」、「諸凡夫人等」とは日本国中の上下万人なり。日蓮凡夫たるの故に仏教を信ぜず。但し此の事に於ては水火の如く手に当たりて之れを知れり。但し法華経の行者有らば悪口・罵詈・刀杖・擯出せらるべし等云云。此の経文を以て世間に配当するに一人も之れなし。誰を以てか法華経の行者と為さん。敵人は有りと雖も法華経の持者は無し。譬へば東有りて西なく、天有りて地無きが如し。仏語妄説と成るは如何。予自讃に似たりと雖も之れを勘へ出だして仏語を扶持す。所謂日蓮法師是れなり。/其の上仏、不軽品に自身の過去の現証を引きて云く「爾の時に一りの菩薩有り、常不軽と名づく」等云云。又云く「悪口罵詈」等。又云く「或は杖木瓦石を以て之れを打擲(ちょうちゃく)す」等云云。釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始めを勧め励ましたまふ。不軽菩薩、既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽ちに妙覚の極位に登らせたまひぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被り二度遠流に当たる。当来の妙果之れを疑ふべしや。/如来の滅後に四依の大士正像に出世して此の経を弘通したまふの時にすら猶留難多し。所謂付法蔵第二十の提婆菩薩、第二十五の師子尊者等、或は命を断たれ頸を刎ねられ、第八の仏駄密多、第十三の竜樹菩薩等は赤き旗を捧げ持ちて七年十二年王の門前に立てり。竺の道生は蘇山に流され、法祖は害を加へられ、法道三蔵は面に火印を捺され、恵遠法師は呵責せられ、天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す。是等は皆王の賢愚に当たるに依りて用取有るのみ。敢へて仏意に叶はざるに非ず。正像猶以て是の如し。何に況や末法に及ぶにおいてをや。既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸ひの中の幸ひなり。瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是れなり。/但し歎きは、仁王経に云く「聖人去る時は七難必ず起こる」等云云。七難とは所謂大旱魃・大兵乱等是れなり。最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以て行らず」等云云。愛悪人とは誰人ぞや、上に挙ぐる所の諸人なり。治罰善人とは誰人ぞや、上に挙ぐる所の数数見擯出の者なり。星宿とは此の二十余年の天変地夭等是れなり。経文の如くんば日蓮流罪するは国土滅亡の先兆なり。其の上御勘気已前に其の由之れを勘へ出だす。所謂立正安国論是れなり。誰か之れを疑はん、之れを以て歎きと為す。/但し仏滅後今に二千二百二十二年なり。正法一千年には竜樹・天親等仏の御使ひと為りて法を弘む。然りと雖も但小・権の二教を弘通して実大乗をば未だ之れを弘通せず。像法に入りて五百年に、天台大師漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたまふ。所謂教門の五時、観門の一念三千是れなり。国を挙げて小釈迦と号す。然りと雖も円定・円恵に於ては之れを弘宣して、円戒は未だ之れを弘めず。仏滅後一千八百年に入りて、日本の伝教大師世に出現して、欽明より已来二百余年の間の六宗の邪義之れを破失す。其の上天台の未だ弘めたまはざる円頓戒之れを弘宣したまふ。所謂叡山円頓の大戒是れなり。/但し仏滅後二千余年、三朝の間、数万の寺々之れ有り。然りと雖も本門の教主の寺塔、地涌千界の菩薩に別して授与したまふ所の妙法蓮華経の五字、未だ之れを弘通せず。経文には有りて国土には無し。時機の未だ至らざる故か。仏記して云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」等云云。天台記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾はん」等云云。伝教大師記して云く「正像稍過ぎ已りて末法太だ近きに有り。法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云。此等の経釈は末法の始めを指し示すなり。外道記して云く「我が滅後一百年に当たりて仏世に出でたまふ」云云。儒家に記して云く「一千年の後、仏法漢土に渡る」等云云。是の如き凡人の記文すら尚以て符契の如し。況や伝教・天台をや。何に況や釈迦・多宝の金口の明記をや。当に知るべし残る所の本門の教主・妙法の五字、一閻浮提に流布せんこと疑ひ無き者か。/但し日蓮法師に度々之れを聞きける人々、猶此の大難に値ひての後之れを捨つるか。貴辺は之れを聞きたまふこと一両度、一時二時か。然りと雖も未だ捨てたまはず、御信心の由之れを聞く。偏に今生の事に非じ。妙楽大師の云く「故に知んぬ、末代に一時も聞くことを得、聞き已りて信を生ずること宿種なるべし」等云云。又云く「運像末に居して此の真文を矚(み)る。妙因を植ゑたるに非ざるよりは実に遇ひ難しと為す」等云云。法華経に云く「過去に十万億の仏を供養せし人、人間に生まれて此の法華を信ぜん」。又涅槃経に云く「熈連一恒供養の人、此の悪世に生まれて此の経を信ぜん」等云云〈取意〉。/阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり。然りと雖も涅槃経の座に来たりて法華経聴聞せしかば、現世の悪瘡を治するのみに非ず、四十年の寿命を延引したまひ、結句無根初住の仏記を得たり。提婆達多は閻浮第一の一闡提の人、一代聖教に捨て置かれしかども此の経に値ひ奉りて天王如来の記別を授与せらる。彼れを以て之れを推するに末代の悪人等の成仏・不成仏は、罪の軽重に依らず。但此の経の信不信に任すべきのみ。而るに貴辺は武士の家の仁、昼夜殺生の悪人なり。家を捨てずして此の所に至りて何なる術を以てか三悪道を脱るべきか。能く能く私案有るべきか。法華経の心は当位即妙・不改本位と申して、罪業を捨てずして仏道を成ずるなり。天台の云く「他経は但善に記して悪に記せず。今経は皆記す」等云云。妙楽の云く「唯円教の意は逆即是順なり、自余の三教は逆順定まるが故に」等云云。爾前分々の得道有無の事、之れを記すべしと雖も、名目を知る人に之れを申すなり。然りと雖も大体之れを教ふる弟子之れ有り。此の輩等を召して粗聞くべし。其の時之れを記し申すべし。恐々謹言。文永十年〈太歳癸酉〉八月三日日蓮花押/甲斐国南部六郎三郎殿御返事