南部六郎殿御書

〔C6・文永八年五月一六日・波木井実長〕/眠れる師子に手を付けざれば瞋らず、流れにさをを立てざれば浪立たず、謗法を呵責せざれば留難なし。「若善比丘見壊法者置不呵責」の「置」の字をおそれずんば今は吉し、後を御らんぜよ、無間地獄は疑ひ無し。故に南岳大師の四安楽行に云く「若し菩薩有りて悪人を将護し治罰すること能はず。其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば、此の人は実に菩薩に非ず。外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと。其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」云云。十輪経に云く「若し誹謗の者ならば共住すべからず亦親近せざれ、若し親近し共住せば即ち阿鼻地獄に趣かん」云云。栴檀の林に入りぬれば、たをらざるに其の身に薫ず。誹謗の者に親近すれば所修の善根悉く滅して倶に地獄に堕落せん。故に弘決の四に云く「若し人本悪無けれども、悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて、悪名天下に遍し」云云。/凡そ謗法に内外あり。国家の二是れなり。外とは日本六十六箇国の謗法是れなり。内とは王城九重(ここのえ)の謗是れなり。此の内外を禁制せずんば宗廟社稷の神に捨てられて、必ず国家亡ぶべし。如何と云ふに、宗廟とは国王の神(たましい)を崇む。社とは地の神なり。稷とは五穀の総名、五穀の神なり。此の両の神、法味に飢ゑて国を捨て給ふ故に国土既に日々に衰減せり。故に弘決に云く「地広くして尽く敬すべからず、封じて社と為す。稷とは謂く五穀の総名にして即ち五穀の神なり」。故に天子居する所には宗廟を左にし、社稷を右にし、四時五行を布き列ぬ。故に国の亡ぶるを以て社稷を失ふと為す。故に山家大師は「国に謗法の声有るによて万民数を減じ、家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」。故に分々の内外有るべし。/五月十六日日蓮花押/南部六郎殿