一念三千理事

〔C6・正嘉二年〕/十二因縁図/問ふ、流転の十二因縁とは何等ぞや。答ふ、一には無明。倶舎に云く「宿惑の位は無明なり」文。無明とは昔愛欲の煩悩起こりしを云ふなり。男は父に瞋りを成して母に愛を起こす。女は母に瞋りを成して父に愛を起こすなり。倶舎の第九に見えたり。二には行。倶舎に云く「宿(むかし)の諸業を行と名づく」と文。昔の造業を行とは云ふなり。業に二有り。一には牽引の業なり。我等が正しく生を受くべき業を云ふなり。二には円満の業なり。余の一切の造業なり。所謂足を折り手を切る先業を云ふなり。是れは円満の業なり。三には識。倶舎に云く「識とは正しく生を結する蘊なり」文。正しく母の腹の中に入る時の五蘊なり。五蘊とは色受想行識なり。亦五陰とも云ふなり。四には名色。倶舎に云く「六処の前は名色なり」文。五には六処。倶舎に云く「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文。六処とは眼耳鼻舌身意の六根出来するを云ふなり。六には触。倶舎に云く「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名づく」文。火は熱しとも知らず、水は寒しとも知らず、刀は人を切る物とも知らざる時なり。七には受。倶舎に云く「淫愛の前に在るは受なり」文。寒熱を知りて、未だ淫欲を発さざる時なり。八には愛。倶舎に云く「資具と淫とを貪るは愛なり」文。女人を愛して淫欲等を発すを云ふなり。九には取。倶舎に云く「諸の境界を得んが為に、遍く馳求するを取と名づく」文。今世に有る時、世間を営みて他人の物を貪り取る時を云ふなり。十には有。倶舎に云く「有は謂く正しく能く当有の果を牽く業を造る」文。未来に又此の如く生を受くべき業を造るを有とは云ふなり。十一には生。倶舎に云く「当の有を結するを生と名づく」文。未来に正しく生を受けて母の腹に入る時を云ふなり。十二には老死。倶舎に云く「当の受に至るまでは老死なり」文。生老死を受くるを老死憂悲苦悩とは云ふなり。/問ふ、十二因縁を三世両重に分別する方如何。答ふ、無明と行とは過去の二因なり。識と名色と六入と触と受とは現在の五果なり。愛と取と有とは現在の三因なり。生と老死とは未来の両果なり。私の略頌に云く「過去の二因〈無明・行〉、現在の五果〈識・名色・六入・触・受〉、現在の三因〈愛・取・有〉、未来の両果〈生・老死〉」。問ふ、十二因縁流転の次第如何。答ふ、無明は行に縁たり。行は識に縁たり。識は名色に縁たり。名色は六入に縁たり。六入は触に縁たり。触は受に縁たり。受は愛に縁たり。愛は取に縁たり。取は有に縁たり。有は生に縁たり。生は老死憂悲苦悩に縁たり。是れ其の生死海に流転する方なり。此の如くして凡夫とは成るなり。問ふ、還滅の十二因縁の様如何。答ふ、無明滅すれば則ち行滅す。行滅すれば則ち識滅す。識滅すれば則ち名色滅す。名色滅すれば則ち六入滅す。六入滅すれば則ち触滅す。触滅すれば則ち受滅す。受滅すれば則ち愛滅す。愛滅すれば則ち取滅す。取滅すれば則ち有滅す。有滅すれば則ち生滅す。生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す。是れ其の還滅の様なり。仏は還りて煩悩を失ひて行く方なり。私に云く、中夭の人には十二因縁具に之れ無し。又天上にも具には之れ無く、又無色界にも具には之れ無し。/一念三千理の事/十如是とは、如是相は身なり〈玄二に云く「相は以て外に拠る、覧て別かつべし」文。籖六に云く「相は唯色に在り」文〉。如是性は心なり〈玄二に云く「性は以て内に拠る、自分改めず」文。籖六に云く「性は唯心に在り」文〉。如是体は身と心となり〈玄二に云く「主質を名づけて体と為す」〉。如是力は身と心となり〈止に云く「力とは堪任を用と為す」文〉。如是作は身と心となり〈止に云く「建立を作と名づく」文〉。如是因は心なり〈止に云く「因とは果を招くを因と為す、亦名づけて業と為す」文〉。如是縁〈止に云く「縁とは縁は業を助くるに由る」文〉。如是果〈止に云く「果とは剋獲を果と為す」〉。如是報〈止に云く「報とは因に酬ゆるを報と曰ふ」〉。如是本末究竟等〈玄二に云く「初めの相を本と為し、後の報を末と為す」〉。三種世間とは、五陰世間〈止に云く「十種の陰界不同なるを以ての故に、故に五陰世間と名づくるなり」文〉。衆生世間〈止に云く「十界の衆生寧ろ異ならざることを得んや、故に衆生世間と名づくなり」文〉。国土世間〈止に云く「十種の所居通じて国土世間と称す」文〉。五陰とは、新訳には五蘊と云ふなり。陰とは聚集の義なり。一に色陰、五色是れなり。二に受陰、領納是れなり。三に想陰、倶舎に云く「想は像を取るを体と為す」文。四に行陰、造作是れ行なり。五に識陰、了別是れ識なり。止の五に婆沙を引きて云く「識先づ了別し、次に受は領納し、想は相貌を取り、行は違従を起こし、色は行に由りて感ず」。/百界千如三千世間の事/十界互具即百界と成るなり。地獄〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、地下赤鉄〉。餓鬼〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、地下〉。畜生〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、水陸空〉。修羅〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、海畔底〉。人〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、須弥四洲〉。天〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、宮殿〉。声聞〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、同居土〉。縁覚〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、同居土〉。菩薩〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、同居・方便・実報〉。仏〈衆生世間十如是〉五陰世間〈十如是〉国土世間〈十如是、寂光土〉。止観の五に云く「心と縁と合すれば則ち三種世間、三千の性相皆心より起こる」文。弘の五に云く「故に止観に正しく観法を明かすに至りて、並びに三千を以て指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云ふ。良に以(ゆえ)有るなり。請ふ、尋ね読まん者心に異縁無かれ」文。又云く「妙境の一念三千を明かさずんば如何ぞ一に一切を摂することを識るべけん。三千は一念の無明を出でず。是の故に唯苦因苦果のみ有り」文。又云く「一切の諸業、十界・百界・千如・三千世間を出でず」文。籤の二に云く「仮は即ち衆生、実は即ち五陰及以(および)国土、即ち三世間なり。千の法は皆三なり。故に三千有り」文。弘の五に云く「一念の心に於て十界に約せざれば事を収むること遍からず。三諦に約せざれば理を摂すること周からず。十如を語らざれば因果備はらず。三世間無くんば依正尽きず」文。記の一に云く「若し三千に非ざれば摂すること則ち遍からず。若し円の心に非ざれば三千を摂せず」文。玄の二に云く「但衆生法は太だ広く、仏法は太だ高し。初学に於て難しと為し、心は則ち易しと為す」文。弘の五に云く「初めに華厳を引くは、心は工みなる画師の如く種々の五陰を造る、一切世界の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心・仏及び衆生是の三差別無し。若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば、応当に是の如く観ずべし。心は諸の如来を造る」。金論に云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」文。/三身の事/先づ法身とは、大師、大経を引きて「一切の世諦は若し如来に於ては即ち是れ第一義諦なり。衆生顛倒して仏法に非ずと謂へり」と釈せり。然れば則ち自他・依正・魔界仏界・染浄・因果は異なれども、悉く皆諸仏の法身に乖く事非ざれば、善星比丘が不信なりしも、楞伽王の信心に同じく、般若蜜外道が意の邪見なりしも、須達長者が正見に異ならず。即ち知んぬ、此の法身の本は衆生の当体なり。十方諸仏の行願は実に法身を証するなり。次に報身とは、大師の云く「法如々の智、如々真実の道に乗じて、来たりて妙覚を成ず。智は如の理に称ふ、理に従ひて如と名づけ、智に従ひて来と名づく。即ち報身如来なり。盧舎那と名づけ、此れには浄満と翻ず」と釈せり。此れは如々法性の智・如々真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時、理を如と名づく。智は来なり。