窪尼御前御返事

〔C2・建治三年五月四日・窪尼(高橋殿後家尼)〕/御供養の物、数のままに慥かに給はり候。当時は五月の比おひにて民のいとまなし。其の上、宮の造営にて候なり。かかる暇なき時、山中の有り様思ひやらせ給ひて送りたびて候事、御志殊にふかし。阿育大王と申せし王は、この天の日のめぐらせ給ふ一閻浮提を大体しろしめされ候ひし王なり。此の王は昔徳勝とて五になる童にて候ひしが、釈迦仏にすなごのもちゐ(餅)をまいらせたりしゆへに、かかる大王と生まれさせ給ふ。此の童はさしも心ざしなし、たわぶれなるやうにてこそ候ひしかども、仏のめでたくをはすれば、わづかの事もものとなりてかかるめでたき事候。まして法華経は仏にまさらせ給ふ事、星と月と、ともしびと日とのごとし。又御心ざしもすぐれて候。されば故入道殿も仏にならせ給ふべし。/又一人をはするひめ御前も、いのちもながく、さひわひもありて、さる人のむすめなりときこえさせ給ふべし。当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば、父の後世をもたすくべし。から(唐)国にせいし(西施)と申せし女人は、わかなを山につみて、をひたるはわ(老母)をやしなひき。天あはれみて、越王と申す大王のかりせさせ給ひしが、みつけてきさき(后)となりにき。これも又かくのごとし。をやをやしなふ女人なれば天もまぼらせ給ふらん、仏もあはれみ候らん。一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候なれば、まして法華経にてをはす。金のうつわ(器)ものに、きよき水を入れたるがごとく、すこしももるべからず候。めでたし、めでたし。恐々謹言。/五月四日日蓮花押/くぼの尼御前御返事