経王御前御書

〔C6・文永九年・経王御前〕/種々御送り物給はり候ひ畢んぬ。法華経第八妙荘厳王品と申すには、妙荘厳王と浄徳夫人とは浄蔵・浄眼と申す太子に導かれ給ふと説かれて候。経王御前を儲けさせ給ひて候へば、現世には跡をつぐべき孝子なり。後生には又導かれて仏にならせ給ふべし。/今の代は濁世と申して乱れて候世なり。其の上眼前に世の中乱れて見え候へば、皆人今生には弓箭の難に値ひて修羅道におち、後生には悪道疑ひなし。而るに法華経を信ずる人々こそ仏には成るべしと見え候へ。御覧ある様にかかる事出来すべしと見えて候。故に昼夜に人に申し聞かせ候ひしを、用ゐらるる事こそなくとも、科に行はるる事は謂れ無き事なれども、古へも今も人の損ぜんとては善言(よきこと)を用ゐぬ習ひなれば、終には用ゐられず世の中亡びんとするなり。是れ偏に法華経釈迦仏の御使ひを責むる故に、梵天・帝釈・日月・四天等の責めを蒙りて候なり。又世は亡び候とも、日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ。如何に申さじと思ふとも、毀らん人には弥(いよいよ)申し聞かすべし。命生きて御坐さば御覧有るべし。又如何に唱ふとも、日蓮に怨をなせし人々は先づ必ず無間地獄に堕ちて、無量劫の後に日蓮の弟子と成りて成仏すべし。恐々謹言。日蓮花押/四条金吾殿御返事