日本真言宗事

〔C6・文応元年〕/日本真言宗祖師の下/┌─実恵桧の尾の僧都/空海─┤真済高尾の僧正/│真雅貞観寺の僧正/└─真然高野の僧正時の別当なり/実恵───宗叡円覚寺の僧正/真雅─┬─益信円成寺の僧正、仁和寺の始めなり/└─聖宝桜本の僧正、醍醐寺の始めなり/┌─観賢般若寺の僧正、両寺を一人にて持つ/│延権律師/聖宝─┤観宿権律師/│済高大僧都/└─貞崇権小僧都/泰舜権律師、蓮舟律師の弟子/寛空寛平法皇の御弟子、蓮台寺の僧正/救世益信流、山階寺の人┌─寛静西院の僧正/寛空─┤定昭嵯峨の僧正/└─寛朝広沢の僧正─┬─広沢流/└─仁和寺/┌─雅慶勧修寺の僧正/寛朝─┤済信仁和寺の僧正/└─深覚/仁海───元杲僧都の弟子、雨の僧正とも云ひ、小野の僧正とも云ふ。醍醐の真言は小野流を祖とす。/仏法伝来記に〈一巻、信救作〉「弘法大師帰朝の後、真言宗を立てんと欲す。諸宗朝廷に群集して即身成仏の義を疑ふ。大師、智拳の印を結びて南方に向かふ。面門俄に開けて金色の毘盧遮那と成り、即便(すなはち)本体に還帰す。入我々入の争ひ、即身頓証の疑ひ、此の日釈然たり。真言瑜伽の宗、秘密曼荼羅の道、是の時より建立す」文。孔雀経の音義の序に「此の時諸宗の学徒、大師に帰し、始めて真言を信じ請益し習学す。三論の道昌、法相の源仁、華厳の道雄、天台の円澄等、皆其の類なり」と〈孔雀経音義は真済の記なり〉。/大師伝に云く「帰朝泛舟の日発願して云く、我が所学の教法若し感応の地有らば、此の三鈷其の処に至るべしと。仍って日本の方に向かひて三鈷を抛げ上ぐるに遥かに飛びて雲に入る。十月に帰朝す」。又云く「高野山に入定の所を占む。乃至、彼の海上の三鈷、今新たに此に在り」。/金剛頂経の疏に云く〈慈覚釈〉「毘盧遮那経に云く、我、昔道場に坐して四魔を降伏すと。此れを以て知ることを得。毘盧遮那仏、不久現証と云ふと雖も、而も成仏以来甚大に久遠なることを」。又云く「彼の法華久遠の成仏は、只此の経の毘盧遮那仏なり。異解すべからず」。/教時義の四に云く〈安然の釈。弘法を破す文なり〉「但し此の文の中に、法華を判じて略説と為すことは、唯理を説けばなり。故に知んぬ、真言教を広説と為すことは、広説とは事理を説けばなり」。/秘蔵宝鑰の中に云く「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕ちて更に出づる期無し。世人此の義を知らず。舌に任せて輙く談じ深害を顧みず。寧ろ日夜に十悪・五逆を作るべくも、一言一語も人法を謗るべからず」。/又云く「師の曰く、菩薩の用心は慈悲を以て本と為し、利他を以て先と為す。能く斯の心に住して浅執を破し深教に入る利益尤も広し。若し名利の心を挟みて浅教に執して深法を破すれば、斯の尤(とが)を免れず」。/教王経の開題に云く「金剛頂経及び大日経は並びに是れ竜猛菩薩、南天の鉄塔の中より誦し出だす所なり」。不空三蔵の要決に云く「其の大経本は阿闍梨の云く、経帙広長にして牀の如し。厚さ四五尺、無量の頌有り。南天竺界の鉄塔の中に在り」。/付法伝に云く「鉄塔は是れ人功の所造に非ず。如来神力の所造なり」。/大日経に云く「大日遍照尊、微塵衆生と為りて八相示現を成し、衆生と同じく受苦す」文。/日蓮花押