莚三枚御書

〔C1・弘安二年三月上旬・南条時光〕/莚三枚・生和布一籠給はり了んぬ。/抑三月一日より四日にいたるまでの御あそびに、心なぐさみてやせやまいもなをり、虎とるばかりをぼへ候上、此の御わかめ給はりて師子にのりぬべくをぼへ候。さては財はところにより、人によて、かわりて候。此の身延山には石は多けれども餅なし。こけは多けれどもうちしく物候はず。木の皮をはいでしき物とす。むしろ(莚)いかでか財とならざるべき。億耳居士と申せし長者は足のうらにけ(毛)のをいて候ひし者なり。ありきのところ、いへの内は申すにをよばず、わたを四寸しきてふみし人なり。これはいかなる事ぞと申せば、先世にたうとき僧にくまのかわをしかせしゆへとみへて候。いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだてて候辺国なる上、へびす(夷)の島、因果のことはりも弁へまじき上、末法になり候ひぬ。仏法をば信ずるやうにてそしる国なり。しかるに法華経の御ゆへに名をたたせ給ふ上、御むしろを法華経にまいらせ給ひ候ひぬれば、(終)