妙法尼御前御返事

〔C6・弘安四年・妙法尼〕/明衣(ゆかたびら)一つ給はり畢んぬ。/女人の御身、男にもをくれ、親類をもはなれ、一二人あるむすめもはかばかしからず便りなき上、法門の故に人にもあだまれさせ給ふ女人、さながら不軽菩薩の如し。仏の御姨母、摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし。而るに阿羅漢とならせ給ひて声聞の御名を得させ給ひ、永不成仏の道に入らせ給ひしかば、女人の姿をかへ、きさきの位を捨てて、仏の御すすめを敬ひ、四十余年が程五百戒を持ちて、昼は道路にたたずみ、夜は樹下に坐して後生をねがひしに、成仏の道を許されずして永不成仏のうきなを流させ給ひし。くちをしかりし事ぞかし。女人なれば過去遠々劫の間、有るに付けても、無きに付けても、あだな(虚名)を立てしは、はづかしく口惜しかりしぞかし。其の身をいとひて形をやつし尼と成りて候へば、かかるなげきは離れぬとこそ思ひしに、相違して二乗となり永不成仏と聞きしは、いかばかりあさましくをわせしに、法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され、一切衆生喜見仏と成らせ給ひしは、いくら程かうれしく悦ばしくをはしけん。/さるにては法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給ふまじきぞかし。其れに仏の言く「大音声を以て普く四衆に告げたまはく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん」等云云。我も我もと思ふに、諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前女人達、何事をも忍びて我が滅後に此の娑婆世界にして、法華経を弘むべしと三箇度までいさめさせ給ひしに、御用ゐなくして他方の国土に於て広く此の経を宣べんと申させ給ひしは能く能く不得心の尼ぞかし。幾くか仏悪しとをぼしけん。されば仏はそばむきて、八十万億那由他の諸菩薩をこそつくづくと御覧ぜしか。されば女人は由なき道には名を折り命を捨つれども、成仏の道はよはかりけるやとをぼえ候に、今末代悪世の女人と生まれさせ給ひて、かかるものをぼえぬ島のえびす(夷)に、のられ、打たれ、責めをしのび、法華経を弘めさせ給ふ。/彼の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん。彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし。王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり。名はかはれども師子の座は一なり。此の名もかはるべからず。彼の仏の御言をさかがへす尼だにも一切衆生喜見仏となづけらる。是れは仏の言をたがへず、此の娑婆世界にて名を失ひ命をすつる尼なり。彼れは養母として捨て給はず。是れは他人として捨てさせ給はば偏頗の仏なり。争でかさる事は候べき。況や「其中衆生悉是吾子」の経文の如くならば今の尼は女子なり、彼の尼は養母なり。養母を捨てずして女子を捨てる仏の御意やあるべき。此の道理を深く御存知あるべし。しげければとどめ候ひ畢んぬ。/日蓮花押/妙法尼御前