窪尼御前御返事

〔C4・建治三年冬か弘安元年冬・窪尼(高橋殿後家尼)〕/あまざけ一をけ、やまのいも、ところ(野老)せうせう給はり了んぬ。梵網経と申す経には一紙一草と申して、かみ一枚、くさひとつ。大論と申すろんにはつち(土)のもちゐ(餅)を仏にくやうせるもの、閻浮提の王となるよしをとかれて候。これはそれにはにるべくもなし。そのうへをとこ(夫)にもすぎわかれ、たのむかたもなきあま(尼)の、するが(駿河)の国西山と申すところより、甲斐国はきゐ(波木井)の山の中にをくられたり。人にすてられたるひじり(聖)の、寒にせめられていかに心くるしかるらんと、をもひやらせ給ひてをくられたるか。父母にをくれしよりこのかた、かかるねんごろの事にあひて候事こそ候はね。せめての御心ざしに給はり候かとおぼえて、なみだもかきあへ候はぬぞ。/日蓮はわるき者にて候へども、法華経はいかでかおろかにおはすべき。ふくろはくさけれどもつつめる金はきよし。池はきたなけれどもはちすはしょうじょう(清浄)なり。日蓮は日本第一のえせものなり。法華経一切経にすぐれ給へる御経なり。心あらん人金をとらんとおぼさば、ふくろをすつる事なかれ。蓮をあいせば池をにくむ事なかれ。わるくて仏になりたらば、法華経の力あらはるべし。よって臨終わるくば法華経の名ををりなん。さるにては日蓮はわるくてもわるかるべし、わるかるべし。恐々謹言。/月日御返事