治部房御返事

〔C6・弘安三年八月二二日・治部房〕/白米一斗、茗荷の子、はじかみ一つと送り給び候ひ畢んぬ。仏には春の花、秋の紅葉、夏の清水、冬の雪を進らせて候人々皆仏に成らせ給ふ。況や上一人は寿命を持たせ給ひ、下万民は珠よりも重くし候稲米を法華経にまいらせ給ふ人、争でか仏に成らざるべき。/其の上世間に人の大事とする事は、主君と父母との仰せなり。父母の仰せを背けば、不孝の罪に堕ちて天に捨てられ、国主の仰せを用ゐざれば違勅の者と成りて命をめさる。されば我等は過去遠々劫より菩提をねがひしに、或は国をすて、或は妻子をすて、或は身をすてなんどして、後生菩提をねがひし程に、すでに仏になり近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申す御経に値ひまいらせ候ひし時に、第六天の魔王と申す三界の主をはします。すでに此のもの仏にならんとするに二つの失あり。一には此のもの三界を出づるならば、我が所従の義をはなれなん。二つには此のもの仏にならば、此のものが父母兄弟等も又娑婆世界を引き越しなん。いかがせんとて身を種々に分けて、或は父母につき、或は国主につき、或は貴き僧となり、或は悪を勧め、或はおどし、或はすかし、或は高僧、或は大僧、或は智者、或は持斎等に成りて、或は華厳、或は阿含、或は念仏、或は真言等を以て法華経にすすめかへて仏になさじとたばかり候なり。/法華経第五の巻には、末法に入りては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入りて、法華経の行者を或は罵り或は打ち切りて、それに叶はずんば無量無辺の僧と現じて、一切経を引きてすかすべし。それに叶はずんば、二百五十戒三千の威儀を備へたる大僧と成りて、国主をすかし国母をたぼらかして、或はながし、或はころしなんどすべしと説かれて候。又七の巻の不軽品、又四の巻の法師品、或は又二の巻の譬喩品、或は涅槃経四十巻、或は守護経等に委細に見えて候が、当時の世間に少しもたがひ候はぬ上、駿河の国賀島の荘は、殊に目の前に身にあたらせ給ひて覚えさせ給ひ候らん。他事には似候はず。父母国主等の法華経を御制止候を用ゐ候はねば、還りて父母の孝養となり、国主の祈りとなり候ぞ。/其の上、日本国はいみじき国にて候。神を敬ひ仏を崇むる国なり。而れども日蓮が法華経を弘通し候を、上一人より下万民に至るまで御あだみ候故に、一切の神を敬ひ、一切の仏を御供養候へども其の功徳還りて大悪となり、やいと(灸治)の還りて悪瘡となるが如く、薬の還りて毒となるが如し。一切の仏神等に祈り給ふ御祈りは、還りて科と成りて此の国既に他国の財と成り候。又大なる人々皆平家の亡びしが様に、百千万億すぎての御歎きたるべきよし、兼ねてより人々に申し聞かせ候ひ畢んぬ。又法華経をあだむ人の科にあたる分斉をもて、還りて功徳となる分斉をも知らせ給ふべし。例せば、父母を殺す人は何なる大善根をなせども、天是れを受け給ふ事なし。又法華経のかたきとなる人をば、父母なれども殺しぬれば、大罪還りて大善根となり候。設ひ十方三世の諸仏の怨敵なれども、法華経の一句を信じぬれば諸仏捨て給ふ事なし。是れを以て推せさせ給へ。御使ひいそぎ候へば委しくは申さず候。又々申すべく候。恐々謹言。/八月二十二日日蓮花押/治部房御返事