王日殿御返事

〔C2・弘安元年・王日〕/弁房の便宜に三百文、今度二百文給はり了んぬ。仏は真に尊くして物によらず。昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて、一閻浮提の主たりき。貧女の我がかしら(頭)をおろして油と成せしが、須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず。されば此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ、七宝の塔を利天(とうりてん)にくみあげたらんにもすぐるべし。/法華経の一字は大地の如し、万物を出生す。一字は大海の如し、衆流を納む。一字は日月の如し、四天下をてらす。此の一字返じて月となる、月変じて仏となる。稲は変じて苗となる、苗は変じて草となる、草変じて米となる、米変じて人となる、人変じて仏となる。女人変じて妙の一字となる。妙の一字変じて台上の釈迦仏となるべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐々謹言。/王日殿日蓮花押

 

 

 

法衣書〔C0・文永七年・富木常忍及びその母その妻〕/御衣布並びに単衣布給はり候ひ了んぬ。/抑食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪ふものは短命の報をうく。衣を人にほどこさぬ者は世々所生に裸形の報をかんず。六道の中に人道已下は皆形裸にして生まる。天は随生衣なり。其の中の鹿等は無衣にして生まるのみならず、人の衣をぬすみしゆへに、身の皮を人にはがれて盗みし衣をつぐの(償)うほう(報)をえたり。人の中にも鮮白比丘には生ぜし時、衣を被て生まれぬ。仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし。故に釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給ひき。諸の比丘には三衣をゆるされき。鈍根の比丘は衣食ととのわざれば阿羅漢果を証せずとみへて候。/殊に法華経には柔和忍辱衣と申して衣をこそ本とみへて候へ。又法華経の行者をば衣をもって覆はせ給ふと申すもねんごろなるぎ(義)なり。日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり。故に天これをにくませ給ひて食衣ともしき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦し、ときどきこれをとく。譬へば大蛇の珠を含み、いらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし。いらんをすててせんだんまいらせ候。蛇形をかくして珠を授けたてまつる。/天台大師云く「他経は但男に記して女に記せず」等云云。法華経にあらざれば女人成仏は許されざるか。具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼のことなり。此等もってをしはかり候に、女人の成仏は法華経により候べきか。「要当説真実」は教主釈尊の金言、「皆是真実」は多宝仏の証明、「舌相至梵天」は諸仏の誓状なり。日月は地に落つべしや、須弥山はくづるべしや、大海の潮は増減せざるべしや、大地は翻覆すべしや。此の御衣の功徳は法華経にとかれて候。但心をもってをもひやらせ給ひ候へ。言にはのべがたし。