大夫志殿御返事

〔C2・弘安三年一一月(或は一二月)・池上宗仲〕/小袖一つ・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂並びに腰は十貫、已上十七貫文に当たれり。/夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕はして云く「止観の第一に序文を引きて云く、安禅として化す位五品に居したまへり。故に経に云く、四百万億那由他の国の人に施すに一々に皆七宝を与へ、又化して六通を得しむるすら初随喜の人に如かざること百千万倍せり、況や五品をや。文に云く、即ち如来の使ひなり。如来の所遣として如来の事を行ず」等云云。伝教大師、天台大師を釈して云く「今吾が天台大師、法華経を説き法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す」云云。又云く「明らかに知んぬ、如来の使ひなり。讃むる者は福を安明に積み、謗しる者は罪を無間に開く」云云。/如来は且く之れを置く。滅後の一日より正像末二千二百余年が間、仏の御使ひ二十四人なり。所謂第一は大迦葉、第二は阿難、第三は末田地、第四は商那和修、第五は多(きくた)、第六は提多迦、第七は弥遮迦、第八は仏駄難提、第九は仏駄密多、第十は脇比丘、第十一は富那奢、第十二は馬鳴、第十三は毘羅、第十四は竜樹、第十五は提婆、第十六は羅(らご)、第十七は僧(ぎゃ)難提、第十八は僧(ぎゃ)耶奢、第十九は鳩摩羅駄、第二十は闍夜那、第二十一は盤駄、第二十二は摩奴羅、第二十三は鶴勒夜奢、第二十四は師子尊者。此の二十四人は金口の記す所の付法蔵経に載す。但し小乗権大乗経の御使ひなり。いまだ法華経の御使ひにはあらず。三論宗の云く、道朗・吉蔵は仏の使ひなり。法相宗の云く、玄奘・慈恩は仏の使ひなり。華厳宗の云く、法蔵・澄観は仏の使ひなり。真言宗の云く、善無畏・金剛智・不空・恵果・弘法等は仏の使ひなり。日蓮之れを勘へて云く、全く仏の使ひに非ず。全く大小乗の使ひにも非ず。之れを供養せば災を招き之れを謗ぜば福を至さん。/問ふ、汝の自義か。答へて云く、設ひ自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん。然りと雖も釈有り、伝教大師云く「(なん)ぞ福を捨て罪を慕ふ者あらんや」云云。福を捨つるとは天台大師を捨つる人なり。罪を慕ふとは上に挙ぐる所の法相・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨て一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし。三千大千世界と申すは東西南北・一須弥山・六欲梵天を一四天下となづく。百億の須弥山・四州等を小千と云ふ。小千の千を中千と云ふ。中千の千を大千と申す。此の三千大千世界を一つにして、四百万億那由他の国の六道の衆生を八十年やしなひ、法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。天台大師此に勝れたる事五倍なり。かかる人を供養すれば福を須弥山につみ給ふなりと、伝教大師ことはらせ給ひて候。此の由を女房には申させ給へ。恐々謹言花押/大夫志殿御返事