南条殿御返事

〔C1・弘安三年一二月中旬・南条時光及び母尼〕/牙(しらげごめ)二石、並びに鵄(いも)一だ(駄)、故五郎殿百ケ日等云云。/法華経の第七に云く「川流江河諸水の中に海為れ第一なり。此の法華経も亦復是の如し」等云云。此の経文は法華経をば大海に譬へられて候。大海と申すはふかき事八万四千由旬、広きこと又かくのごとし。此の大海の中にはなになにのすみ候と申し候へば、阿修羅王○/字、百千万の字あつまて法華経とならせ給ひて候へば、大海に譬へられて候。又大海の一渧は江河の渧と小は同じといへども、其の義はるかにかわれり。江河の一渧は但一水なり、一雨なり。大海の一渧は四天下の水あつまて一渧をつくれり。一河の一渧は一の金のごとし、大海の一渧は如意宝珠のごとし。一河の一渧は一のあぢわい、大海の一渧は五味のあぢわい、江河の一渧は一つの薬なり、大海の一渧は万種の一丸のごとし。南無阿弥陀仏は一河の一渧、南無妙法蓮華経は大海の一渧。阿弥陀経は小河の一てい、法華経の一字は大海の一てい。故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、須臾の間の南無妙法蓮華経は大海の一てい等云云。夫れ以みれば花はつぼみさいて果なる。をや(親)は死にて子にになわる。これ次第なり。譬へば(終)