富木殿御返事

〔C0・弘安四年一一月二九日・富木常忍及び尼御前〕/鵞目一結ひ、天台大師の御宝前を荘厳し候ひ了んぬ。/経に云く「法華最第一なり」。又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」。又云く「其の福復彼れに過ぐ」。妙楽云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぐ」。伝教大師も「讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。記の十に云く「方便の極位に居る菩薩、猶尚第五十の人に及ばず」等云云。華厳経の法恵功徳林・大日経の金剛薩(さった)等、尚法華経の博地に及ばず。何に況や其の宗の元祖等法蔵・善無畏等に於てをや。是れは且く之れを置く。尼ごぜんの御所労の御事、我が身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり。此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事、灯に油をそへ、木の根に土をかさぬるがごとし。願はくは日月天、其の命にかわり給へと申し候なり。又をもいわするる事もやと、いよ(伊予)房に申しつけて候ぞ。たのもしとをぼしめせ。恐々謹言。十一月二十九日日蓮(花押)/富木殿御返事