松野殿女房御返事

〔C6・弘安三年九月一日・松野殿女房〕/白米一斗・芋一駄・梨子一籠・茗荷・はじかみ・枝大豆・ゑびね(山葵)、旁(かたがた)の物給はり候ひぬ。濁れる水には月住まず。枯たる木には鳥なし。心なき女人の身には仏住み給はず。法華経を持つ女人は澄める水の如し。釈迦仏の月宿らせ給ふ。譬へば女人の懐み始めたるには、吾が身には覚えねども、月漸く重なり、日も屡過ぐれば、初めにはさかと疑ひ、後には一定と思ふ。心ある女人はをのこご(男子)をんな(女)をも知るなり。/法華経の法門も亦かくの如し。南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給ふ。始めはしらねども、漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし。法門多しといへども止め候。法華経は初めは信ずる様なれども後遂ぐる事かたし。譬へば水の風にうごき、花の色の露に移るが如し。何として今までは持たせ給ふぞ。是れ偏へに前生の功力の上、釈迦仏の護り給ふか。たのもしし、たのもしし。委しくは甲斐殿申すべし。/九月一日日蓮花押/松野殿女房御返事