四条金吾殿御返事

〔C3・弘安元年九月一五日・四条金吾〕/銭一貫文給はりて、頼基がまいらせ候とて、法華経の御宝前に申し上げて候。定めて遠くは教主釈尊並びに多宝十方の諸仏、近くは日月の宮殿にわたらせ給ふも、御照覧候ひぬらん。/さては人のよにすぐれんとするをば、賢人聖人とをぼしき人々も皆そねみねたむ事に候。いわうや常の人をや。漢皇の王昭君をば三千のきさき(后)是れをそねみ、帝釈の九十九億那由他のきさきは尸迦をねたむ。前の中書王をばをの(小野)の宮の大臣是れをねたむ。北野の天神をば時平のをとど(大臣)是れをざんそう(讒奏)して流し奉る。/此等をもてをぼしめせ。入道殿の御内は広かりし内なれどもせばくならせ給ひ、きうだち(公達)は多くわたらせ給ふ。内のとしごろ(年来)の人々あまたわたらせ給へば、池の水のすくなくなれば魚さわがしく、秋風立てば鳥こずえ(梢)をあらそう様に候事に候へば、いくそばくぞ御内の人々そねみ候らんに、度々の仰せをかへし、よりよりの御心にたがはせ給へば、いくそばくのざんげん(讒言)こそ候らんに、度々の御所領をかへして、今又所領給はらせ給ふと云云。此れ程の不思議は候はず。此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり。/我が主に法華経を信じさせまいらせんとをぼしめす御心のふかき故か。阿闍世王は仏の御怨なりしが、耆婆大臣の御すすめによて、法華経を御信じありて代を持ち給ふ。妙荘厳王は二子の御すすめによて邪見をひるがへし給ふ。此れ又しかるべし。貴辺の御すすめによて今は御心もやわらがせ給ひてや候らん。此れ偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり。根ふかければ枝さかへ、源遠ければ流れ長しと申して、一切の経は根あさく流れちかく、法華経は根ふかく源とをし、末代悪世までもつきずさかうべしと、天台大師あそばし給へり。/此の法門につきし人あまた候ひしかども、をほやけわたくしの大難度々重なり候ひしかば、一年二年こそつき候ひしが、後々には皆或はをち、或はかへり矢をいる。或は身はをちねども心をち、或は心はをちねども身はをちぬ。釈迦仏は浄飯王の嫡子、一閻浮提を知行する事、八万四千二百一十の大王なり。一閻浮提の諸王頭をかたぶけん上、御内に召しつかいし人十万億人なりしかども、十九の御年浄飯王宮を出でさせ給ひて檀特山に入りて十二年。其の間御ともの人五人なり。所謂拘隣(くりん)と(あび)と跋提(ばつだい)と十力迦葉と拘利(くり)太子となり。此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ。残りの三人も後の六年にすて奉りて去りぬ。但一人残り給ひてこそ仏にはならせ給ひしか。法華経は又此れにもすぎて人信じがたかるべし。難信難解此れなり。又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし。此れをこらへん行者は、我が功徳にはすぐれたる事、一劫とこそ説かれて候へ。/仏滅度後二千二百三十余年になり候に、月氏一千余年が間、仏法を弘通せる人、伝記にのせてかくれなし。漢土一千年、日本七百年、又目録にのせて候ひしかども、仏のごとく大難に値へる人々少し。我も聖人、我も賢人とは申せども、況滅度後の記文に値へる人一人も候はず。竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値へる人々にては候へども、此等も仏説には及ぶ事なし。此れ即ち代のあがり、法華経の時に生まれ値はせ給はざる故なり。今は時すでに後五百歳・末法の始めなり。日には五月十五日、月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先に生まれ給へり。今より後は又のちぐへ(後悔)なり。大陣すでに破れぬ。余党は物のかずならず。今こそ仏の記しをき給ひし後五百歳、末法の初め、況滅度後の時に当りて候へば、仏語むなしからずば、一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん。聖人の出づるしるしには、一閻浮提第一の合戦をこるべしと説かれて候に、すでに合戦も起こりて候に、すでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給ひて候らん。きりん(麒麟)出でしかば孔子を聖人としる。鯉社(りしゃ)なって聖人出で給ふ事疑ひなし。仏には栴檀の木をひて聖人としる。老子は二五の文を踏みて聖人としる。/末代の法華経の聖人をば何を用てかしるべき。経に云く「能説此経能持此経」の人、則ち如来の使ひなり。八巻・一巻・一品・一偈の人、乃至題目を唱ふる人、如来の使ひなり。始中終すてずして大難をとをす人、如来の使ひなり。日蓮が心は全く如来の使ひにはあらず、凡夫なる故なり。但し三類の大怨敵にあだまれて、二度の流難に値へば、如来の御使ひに似たり。心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども、口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使ひに似たり。過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在をとぶらふに加刀杖瓦石にたがふ事なし。未来は当詣道場疑ひなからんか。これをやしなはせ給ふ人々は、豈に浄土に同居するの人にあらずや。事多しと申せどもとどめ候。心をもて計らせ給ふべし。/ちご(稚児)のそらう(所労)よくなりたり、悦び候ぞ。又大進阿闍梨の死去の事、末代のぎば(耆婆)いかでか此れにすぐべきと、皆人舌をふり候なり。さにて候ひけるやらん。三位房が事、さう四郎が事、此の事は宛も符契符契と申しあひて候。日蓮が死生をばまかせまいらせて候。全く他のくすしをば用ゐまじく候なり。/九月十五日日蓮花押/四条金吾殿