檀越某御返事

〔C0・弘安元年四月一一日・四条金吾〕/御文うけ給はり候ひ了んぬ。日蓮流罪して先々にわざわいども重なりて候に、又なにと申す事か候べきとはをもへども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(兆)候はんずらむ。もしその義候はば、用ゐて候はんには百千万億倍のさいわいなり。/今度ぞ三度になり候。法華経もよも日蓮をばゆるき行者とわをぼせじ。釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌千界の御利生、今度みはて(見果)候はん。あわれあわれさる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらにやくびやう(疫病)にやをかされ候はんずらむ、をいじに(老死)にや死に候はんずらむ。あらあさましあさまし。願はくは法華経のゆへに国主にあだまれて、今度生死をはなれ候はばや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい、今度心み候はばや。/事々さてをき候ひぬ。各々の御身の事は此れより申しはからうべし。さてをはするこそ、法華経を十二時に行ぜさせ給ふにては候らめ。あなかしこあなかしこ、御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。かへすがへす御文の心こそをもいやられ候へ。恐々謹言。/四月十一日日蓮(花押)