日女御前御返事

〔C6・建治三年八月二三日・日女御前〕/御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候ひ畢んぬ。/抑此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕はれ給ふなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕はれ給はんをや。又顕はすべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑑み給へども、故こそあるらめ、言には出だし給はず。彼の顔淵が聞きし事、意にはさとるといへども、言に顕はしていはざるが如し。然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫々たり、明々たり。天台・妙楽等の解釈分明なり。/爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。是れ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎ(摺形木)たる本尊なり。されば首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等座を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅、其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚痴の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等、加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祇等、体の神つらなる、其の余の用の神豈にもるべきや。宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云。此等の仏菩薩・大聖等、総じて序品列座の二界・八番の雑衆等、一人ももれず、此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是れを本尊とは申すなり。経に「諸法実相」と云ふは是れなり。妙楽云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、乃至、十界は必ず身土」云云。又云く「実相の深理、本有の妙法蓮華経」等云云。伝教大師云く「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」文。此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり。仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云ふ事なり。/かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸ひをまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて、闇に灯の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼しこへまはり、此れへより、日女御前をかこみまぼり給ふべきなり。相構へ相構へて、とわり(遊女)を我家へよせたくもなき様に、謗法の者をせ(塞)かせ給ふべし。「悪知識を捨てて善友に親近せよ」とは是れなり。/此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是れを九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之れに依りて曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云ふは天竺の名なり。此には輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。「以信得入」とは是れなり。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」、「不受余経一偈」と無二に信ずる故によて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。如何にも後生をたしなみ給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。/仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」。弘決の四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは、孔丘の言、尚信を首と為す、況や仏法の深理をや。信無くして寧ろ入らんや。故に華厳に信を道の元、功徳の母と為す」等。又止の一に云く「何が円の法を聞き、円の信を起こし、円の行を立て、円の位に住せん」。弘の一に云く「円信と言ふは、理に依りて信を起こす、信を行の本と為す」云云。外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば、河上の波忽ちに氷り、李広父の讐を思ひしかば、草中の石羽を飲む」と云へり。所詮天台・妙楽の釈分明に信を以て本とせり。彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立つ波こほりて行くぞかし。石に矢のたつ、是れ又父のかたきと思ひし至信の故なり。何に況や仏法においてをや。法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり。此の事伝教大師入唐して、道邃和尚に値ひ奉りて、五種頓修の妙行と云ふ事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要、是れより外に求むる事なかれ。神力品に云へり。委しくは又々申すべく候。穴賢穴賢。/八月二十三日日蓮花押/日女御前御返事