富木殿御書2

〔C0・建治三年八月二三日・富木常忍〕/妙法蓮華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗し、経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。乃至是の如く展転して無数劫に至らん」。第七に云く「千劫阿鼻獄に於てす」。第三に云く「三千塵点」。第六に云く「五百塵点劫」等云云。涅槃経に云く「悪象の為に殺されては三悪に至らず、悪友の為に殺されては必ず三悪に至る」等云云。/堅恵菩薩の法性論に云く「愚にして正法を信ぜず、邪見及び慢なるは過去の謗法の障りなり。不了義に執著し、供養恭敬に著し、唯邪法を見て善知識に遠離し、謗法の者に親近し、小乗の法に楽著す。是の如き等の衆生大乗を信ぜず、故に諸仏の法を謗ず。智者は怨家・蛇火毒・因陀羅・霹靂・刀杖・諸の悪獣・虎・狼・師子等を畏るべからず。彼れは但能く命を断じて、人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむること能はず。畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識なり。決定して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ。悪知識に近づきて悪心にして仏の血を出だし、及び父母を殺害し諸の聖人の命を断じ、和合僧を破壊し、及び諸の善根を断ずと雖も、念を正法に繋くるを以て能く彼の処を解脱せん。若し復余人有りて甚深の法を誹謗せば、彼の人無量劫にも解脱を得べからず。若し人、衆生をして是の如きの法を覚信せしめば、彼れは是れ我が父母、亦是れ善知識、彼の人は是れ智者なり。如来の滅後に邪見顛倒を廻らして、正道に入らしむるを以ての故に、三宝清浄の信、菩提功徳の業なり」等云云。竜樹菩薩の菩提資糧論に云く「五無間の業を説きたまふ。乃至、若し未解の深法に於て執著を起こせるは○彼の前の五無間等の罪を聚めて之れに比するに百分にしても及ばず」云云。/夫れ賢人は安きに居して危ふきを欲(おも)ひ、佞人は危ふきに居して安きを欲ふ。大火は小水を畏怖し、大樹は小鳥に値ひて枝を折らる。智人は恐怖すべし、大乗を謗ずる故に。天親菩薩は舌を切らんと云ひ、馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願ひ、吉蔵大師は身を肉橋と為し、玄奘三蔵は此れを霊地に占ひ、不空三蔵は疑ひを天竺に決し、伝教大師は此れを異域に求む。皆上に挙ぐる所は経論を守護する故か。今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆、上は主上上皇より、下は臣下・万民に至るまで、皆一人も無く、弘法・慈覚・智証の三大師の末孫の檀越なり。円仁慈覚大師云く「故に彼れと異なり」。円珍智証大師云く「華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為作(な)す」。空海弘法大師云く「後に望めば戯論と作す」等云云。此の三大師の意は、法華経は已今当の諸経の中の第一なり。然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法なり等云云。此の義、心有らん人信を取るべきや不や。今日本国の諸人、悪象・悪馬・悪牛・悪狗・毒蛇・悪刺・懸岸・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従等よりも此等に超過し、恐怖すべきこと百千万億倍なるは持戒邪見の高僧等なり。/問うて云く、上に挙ぐる所の三大師を謗法と疑ふか。叡山第二円澄寂光大師・別当光定大師・安恵大楽大師・恵亮和尚・安然和上・浄観僧都・檀那僧上・恵心先徳、此等の数百人、弘法の御弟子実恵・真済・真雅等の数百人、並びに八宗・十宗等の大師先徳、日と日と、月と月と、星と星と並び出でたるが如く、既に四百余年を経歴す。此等の人々、一人として此の義を疑はず。汝何なる智を以て之れを難ずるや云云。此等の意を以て之れを案ずるに、我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之れを案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ。恐々謹言。/八月二十三日日蓮(花押)/富木殿/鵞目一結給はり候ひ了んぬ。志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞有るべきか。