鼠入鹿事

〔C1・建治三年・富木常忍〕/已前御文御返事申し候ひしか。/鵞目一結、三年の古酒一筒給はり了んぬ。/御文に云く、安房国にねずみいるかとかや申し候ふ大魚〈或十七・八尋、或二十尋云云〉、乃至、彼の大魚を鎌倉に、乃至、家々にあぶらにしぼり候香、たえ(堪)候べきやう候はず、くさ(臭)く等云云。扶桑記に云く「出羽国に四月八日、河水泥水にして死魚浮かび、山擁塞して流れず。両の大蛇有り、長さ各十丈許り、相連なり流出して海江に入る。小蛇の随ふは其の数を知らず。河に依りて苗稼流れ損ずるもの多し。或は濁水に染まり、草木臭朽して而も生ぜず、○但弘仁年中、○乃至、兵役之れを火く。又塚墓骸骨、其の山水を汚す」等云云。此の外内典に伝ふるに臭気に依りて悪鬼入りて国喪ぶ。